京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

鷹峯三寺 少し色づいてきた光悦寺、源光庵、常照寺

2019-10-19 06:34:13 | 京都めぐり


鷹峯三寺に行ってきました。
古来、鷹峯と周辺域一帯は「栗栖野」と呼ばれていました。
平安時代には、代々の天皇が都に程近いこの地に行幸し、遊猟、鷹狩に興じています。
鷹狩の鷹を捕捉できる場所として知られ「鷹峯」に変化したものと言われています。
1591年(天正19年)豊臣秀吉が外敵の侵入に備えて鷹峯街道中程に御土居を構築します。
御土居の外側、洛外とされたところの治安は、辻斬りや追いはぎが出没するなど、相当に悪化していたされます。
1615年(元和元年)、都から離れた居住を希望していた本阿弥光悦が、徳川家康から御土居以北の約8、9万坪の原野を拝領し、一族縁者を引き連れて移り住みます。
鷹峯の地に集落(いわゆる光悦村)が形成され、光悦屋敷を中心として街路に面した家々がたちました。
光悦を慕う芸術家や豪商も移り住み、京都の芸術・文化の一大拠点となりました。

大虚山光悦寺
光悦の死後、1656年(明暦2年)に日蓮宗の日磁を開山として寺となった。
光悦の墓、大虚庵を始めとする七つの茶室、大虚庵前に組まれたゆるやかな曲線の竹垣「光悦垣」などが知られる。

















上をみあげると少し色づいています。














元禄5年創建の鐘楼





こちらも色づきはじめです。














円成寺
非公開寺院ですが、ここも紅葉も格別に美しい場所でず。
ただここは一切の撮影が禁止です。





鷹峰山源光庵
1346年(貞和2年)に徹翁義亨が隠居所として創建。
当初は臨済宗に属していたが、1694年(元禄7年)に加賀国大聖寺の卍山導山が再興し改宗した。
本堂天井は伏見城の遺構で、関ヶ原の戦いで東軍についた鳥居元忠とその家臣が自刃した床を用いた血天井。
北山を借景とする枯山水庭園、仏教の真理を示す円形の「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」が有名。

庫裡改修に伴う拝観休止の看板。
昨年秋の台風で被害を受け、創建300年の庫裡の改修工事が行われす。
令和3年10月末まで。今年の秋は残念ながら拝観できません。













寂光山常照寺
1616年(元和2年)光悦が土地を寄進し、その子光瑳の発願により、日蓮宗の日乾を開山として創建された。
日乾に帰依した吉野太夫ゆかりの寺として知られる。
こちらの色づきは遅れています。






























次回は街道沿いを投稿します。



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