京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

川端龍子展 堂本印象美術館

2019-10-17 05:31:06 | 美術・博物館


堂本印象美術館で開催中の『川端龍子展』です。
川端龍子(1885-1966)は、東京で活躍した日本画家として知られています。
それが理由ではないでしょうが、没後53年、京都の美術館では初めての回顧展になります。
川端龍子は戦前より「健剛なる芸術」の創造を唱え、従来の日本画の伝統にとらわれない斬新で豪快な作風を創出したことで知られています。
主宰した「青龍社」は帝展・院展と肩を並べる日本画壇の一大勢力となりました。
今回の展示会は、龍子の初期から晩年にかけての代表作を取り揃え、その画業を振り返るものです。
龍子が主張した会場芸術の作品、京都を題材にした作品などに加え、京都にゆかりのある青龍社の画家の作品も展示しています。
龍子と同時期に活躍した日本画家、堂本印象(1891-1975)が建てた美術館で、東の雄である龍子展が開催中です。
作品は撮影不可です。投稿画像は40年以上も前に買い求めた川端龍子の画集です。









金閣炎上 1950年(昭和25) 142.0x239.0cm
昭和25年7月焼失した金閣寺をさっそくテーマに、二ヶ月後の9月に始まる秋の青龍展に取り上げ出品した。
「あの焼けた翌日の新聞の写真ーまだ余韻の立ち昇っているのを見た際に、私の気持ちはそれを惜しむということと同時に、やはり生者必滅の諦めが湧くのでした。ところであの夜の雨の火事に、京都の画人で焼けつつある金閣を惜しみ得たのは幾人だったろうか、、、、、、この金閣の炎上はこれは絵になる、、、、というわけです。もちろん想念の範囲ですが、実景の真はもし眺め得られた方があったとしたら、京都の画人の筆を待つことにしましょう。」 龍子





佳人好在 1925年(大正14)140.6x115.0cm
色鮮やかな皿、鉢、豪華な器に盛られたとりどりの京料理、画面の主役に食膳を据えた作品は例を見ない。
この構想も誰もが目にする平凡な光景から意表をついた画材を見つける龍子独特の機知の働く作品である。
手入れの行き届いた庭、茶室、畳の目一筋一筋、繊細優美な純日本的雰囲気も濃厚に漂う。
ここは瓢亭です。





使徒所行事 1926年(大正15)三面 228.8x506.1cm
深山高山を開き、苦行を積み、鬼神を使役した修験道の開祖、役小角をテーマにした作品。
















筏流し 1959年(昭和34)242.4x727.2cm
現在も行われている保津川下り。
空をせばめてそそり立つ断崖、水流豊かに流れる奔流。
水しぶきをあげ岩を濡らし湧き返る。













白亜と群青 1962年(昭和37)
四天王寺講堂壁画「仏教東漸」の取材に訪れたインドでの作品。
「釈尊がまだ苦行から悟り切れず、前正覚山から下り、疲れ衰えて尼蓮禅河を渡られたーその河は、水は踵を浸す程度の浅い川であるが、その徒渉点にある民家ーマホメット教徒の豪家らしい家造りだったが、そこを写生中に天から降ったように孔雀が飛んできて、塔らしい飾りの上にふわりと届り、やがて二羽の雌も集まってくる。」 龍子






龍安泉石 1924年(大正13)4面1双 各186.0x419.0cm
龍子の初の横長ワイドの大作。有名な京都龍安寺の石庭を大きな四面一双の屏風に描いている。
この作品に特色は大胆な構図で、左上から見下ろしたような視点が右にうつるにつれ低くなり、部屋の真ん中から望んだ光景に変化する。









爆弾散華 1945年(昭和20)





南飛図(部分) 1931年(昭和6)





香炉峰 1939年(昭和14)










川端龍子の作品は大画面で壮大です。
従来の日本画のサイズより一回りも二まわりも大きな作品です。これが川端龍子の真骨頂かも知れません。
堂本印象の大作品に通じるものがあり、床の間や寺院の襖絵とは全く異なるダイナミックさがあります。
堂本印象、川端龍子ともに文化勲章受賞者です。もっと展示会が開催されてほしいものです。





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2 コメント

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金閣炎上も描かれた画家 (birugo)
2019-10-17 19:40:58
こんばんは
堂本印象は美術館もあり、以前、円山公園で家族で食事した「いそべ」の絵文字が堂本印象のだったり、触れる機会はよくあります。最近たしか2019/10/05(土)の朝日新聞のbeでサザエさんをさがしてという欄で金閣炎上のことが一言書いてあってその当時のことを考えていました。
川端龍子のことをいろいろ教えていただきありがとうございます。
birugoさまへ (京都で定年後生活)
2019-10-17 21:39:40
こんばんは
川端龍子が金閣炎上を描いた1950年といえば、戦後5年、まだ復興途上の時代、朝鮮戦争が起こり、世情不安も大きかったのでないでしょうか。
龍子は炎上中の絵を描きましたが、堂本印象は焼け残った金閣寺を描き、「文化財を守りましょう」というポスターにしました。
堂本印象の作品は東寺、東福寺、醍醐寺、智積院、法然院などに納められ、京都の人はよく知られていますん。とかく抽象画や障壁画に焦点があたりがちですが、初期から中期の卓越した才能の絵画が気に入っています。
ありがとうございます。

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