京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

コレクション展 ピカソとマティスを中心に

2018-06-20 16:28:04 | 美術・博物館


京都国立近代美術館で開催中のコレクション展示です。
20世紀美術の巨匠、パブロ・ピカソとアンリ・マティスの特集です。
 1869年フランス生まれのマティスは、モーリス・ド・ヴラマンクやラウル・デュフィらとともにフォーヴィズム(野獣派)の旗手として、そして1881年スペインに生まれたピカソはジョルジュ・ブラックとともにキュビスムの創始者として知られています。
ピカソとマティスの初めての出会いは1906年頃、当時パトロンであったレオ&ガートルード・スタイン兄妹を介してのこと。
 画風や性格、絵画に対する考え方は異なりますが、ふたりは互いに刺激し、尊敬しあった生涯のライバルとして、20世紀絵画の新しい地平をひらきました。
マティスの《鏡の前の青いドレス》はパリの画商ポール・ローザンベールの所蔵でしたが、その後、ナチス=ドイツ政権のナンバー2を務めた政治家であり、美術コレクターでもあったヘルマン・ゲーリングの手元へと渡ります。第二次世界大戦が始まると、フランス国内でもナチスによる美術品の組織的略奪が行われ、ユダヤ人であるローザンベールの管理する美術作品もまた略奪の対象となったのです。
 この作品は幸い戦火を逃れ、戦後ローザンベールへ返還されたのち、1978年に当館の所蔵となりました。ピカソの《静物-パレット、燭台、ミノタウロスの頭部》は、1937年に起きたスペインでのドイツ軍の無差別爆撃を主題とする代表作《ゲルニカ》の翌年に描かれたもので、ふたつの作品にはミノタウロスの頭部や燭台などモチーフ上の共通点が見られます。
 マティスとピカソが巨匠としての地位を確立しえた条件として、長年にわたって精力的に創作活動を展開したことと、彼らの作品群が(当時から広く愛されたがゆえに)多数残されたことが挙げられます。ヨーロッパでふたつの世界大戦を生き延びたふたりの作品の大多数が今日まで失われずにきたのは、戦禍や災害などによる破壊からこの作品を守りたい、という誰かの意思の集積でもあるのです。

アンリ・マティス  





アンリ・マティス 「鏡の前の青いドレス」 1937






アンリ・マティス 「ジャズ:Ⅷイカルス」 1947





アンリ・マティス  「ジャズ:空中ブランコ(コドマ兄弟)」 1947





アンリ・マティス  「ジャズ:潟」 1947





アンリ・マティス  「ジャズ:水槽お泳ぐ女」 1947





アンリ・マティス  「ジャズ:馬、曲芸師、道化師」 1947





アンリ・マティス  「ジャズ:ナイフを投げる男」 1947





アンリ・マティス  「ジャズ:カウボーイ」 1947





アンリ・マティス  「ジャズ:ピエロの葬式」 1947





アンリ・マティス  「ジャズ:サーカス」 1947





アンリ・マティス  「ジャズ:白象の悪夢」 1947





パブロ・ピカソ





パブロ・ピカソ「静物ーパレット、燭台、ミノタウロスの頭部」 1838





パブロ・ピカソ 「えびと魚」 1949





パブロ・ピカソ 「テーブル」 1910




パブロ・ピカソ 「修道院」 1910





パブロ・ピカソ 「レオニー嬢」 1910










ピエト・モンドリアン 「ヘイン河畔の樹」 1903





ピエト・モンドリアン 「コンポジション(プラスとマイナスのための習作)」 1916






ピエト・モンドリアン 「コンポジション」 1929