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官製の「多文化共生」を問う 都内でシンポジウム

2008-06-20 14:22:29 | 多文化共生
(以下、JanJanNewsから転載)
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官製の「多文化共生」を問う 都内でシンポジウム
山口朝2008/06/17
いまや政治家や企業そしてNGOと、誰彼を問わずに使われる便利なスローガンとなっている「多文化共生」。この言葉をいま一度きちんと捉え直そうというシンポジウムが5月18日、都内で開かれた。

 「多文化共生」という言葉は、いまや政治家や企業そしてNGOと、誰彼を問わずに使われる便利なスローガンとなっている。しかし、耳触りのよいこの言葉は、真意を問われることなくいつの間にか社会に流布していったのではないだろうか。「そもそも共生とは何なのか」、「多文化とは何を示しているのか」、「共生社会が実現すればどうなるのか」を、いま一度きちんと捉え直そうというシンポジウムが5月18日、都内で開かれた。

官製の「多文化共生」を問う 都内でシンポジウム |
5月18日(日)、東京・麻布台にて(撮影すべて筆者)
5月18日(日)、東京・麻布台にて(撮影すべて筆者)

 題して「官製『多文化共生』を問う~NGOは植民地主義・民族差別を超えられるか~」。パネリストは金迅野(キム・シンヤ)氏(川崎市ふれあい館職員)と、樋口直人氏(移住労働者と連帯する全国ネットワーク・国際人権部/徳島大学教員)。司会は〈NGOと社会〉の会代表・藤岡美恵子氏。


 金氏は前職の神奈川県国際交流センター職員であった頃の経験を語った。外国人の生活実態調査(アンケート)を行った際「現実には施策という言葉にそぐわない声があるのではないか、聞き取りにくいが大事な声があるのではないか」ということを強烈に感じたという。また、ある「多文化共生」を掲げた施設で、予定していた従軍慰安婦の展示が、右翼の街宣活動によって取り止めになるなど、言葉が醸すイメージとはかけ離れた現実を目にした。金氏は「多文化共生」をとりまく国家主義的な空気、全体主義的な傾向を「日の丸弁当」と呼び、「多文化共生」が抱える矛盾を問いかけた。

 樋口氏は「南米からのデカセギ」という移住者の問題について、実践と研究に携わる立場から「共生」という概念の限界について語った。第一に、地域社会での「共生」概念は文化の領域に限定されている。文化的な問題として矮小化することで体制側でも「共生」概念を採用できるようになるという。第二に、「共生政策」の実効性には疑いがある。共生政策の抱える問題点は、社会構造に起因する問題に有効な処方箋を打ち出せないということだ。むしろマイノリティ側に問題の原因があるとして、責任を負わされる危険性があることを指摘した。第三に、現在言われている「共生」は、主権国家体制での共生を前提としており、トランスナショナル(国境を越えた)な現実を生きる移住者を排除する可能性があるという。

 シンポジウムの主催は〈NGOと社会〉の会。NGOの問題を社会の問題として、また社会の問題をNGOの問題として相互に捉え合おうと、06年に結成された会の第3回目のシンポジウムである。「綺麗事を並べ立てるのはやめにして、できるだけ本当のことを言おう!」と、毎回、プレゼンターにNGOのスタッフや研究者を呼び、刺激的な議論を展開している。「多文化共生」の「共生」は「強制」につながるのではないか……など、今回は特に、NGOへの関心如何にかかわらず、身近な問題として捉えられる内容であった。

※シンポジウムの詳細は動画、音声でご覧いただけます。

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