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被災外国人に言葉の壁

2011-07-04 10:06:45 | 多文化共生
(以下、読売新聞【山梨】から転載)
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被災外国人に言葉の壁

地震に当惑、情報不足に悩む

3か月ぶりの母国語での会話に、外国人妻らは笑顔だった(6月23日、宮城県石巻市で)

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市で6月12日から2週間、復興活動などを取材した。漁師町に嫁いだ外国人妻らは、人生で初めての巨大地震に当惑し、言葉の壁による情報不足に悩んでいた。(小高広樹)

嫁不足の漁村に嫁ぐ 

石巻市がある牡鹿半島沖合は海流がぶつかる好漁場として知られ、町は水産業で発展してきた。フィリピン、中国などの女性が結婚紹介業者の仲介で来日し、慢性的な嫁不足に悩む漁村に嫁ぎ、港に隣接した水産加工品工場などで働いていた。外国人妻は日本語教室を通じて、母国出身の同じ境遇の仲間と出会い、交流を広げていたという。

 震災で日本語教室が休止したため、宮城県国際交流協会は、外国出身者同士が震災について語り合う集会を開き、情報交換や心のケアを行っている。石巻地区の集会では、フィリピンから来日し、外国語教師をしている高橋リャネットさん(34)が「日本人は優しくて、避難所でも助けられたけれど、外国人が普段から一緒に住んでいることを考えて災害に備えてほしい」と県職員に要望した。必死な表情に、3か月の被災生活のつらさがにじみ出ていた。

 石巻市や周辺は震災で漁港が壊滅。ワカメの加工工場で働いていた石巻市の木村ジェニファーさん(29)は、工場が休業し、新しい仕事も見つかっていない。被災後しばらくは度重なる地震が怖くて何も出来なかった。ようやく仕事を探し始めたが、「市役所で失業保険などについて聞いたが、言葉が難しくて分からない」と肩を落とす。タガログ語の分かる弁護士や行政書士の協力で何とかハローワークに通い始めた。

夫は会社復興で多忙 

石巻市渡波で輸入雑貨店を経営していた中国出身の三川小夜子さん(44)は、2人の子どもに恵まれ、日本国籍も取得した。店舗は津波で全壊した。夫は自分の経営する会社の復興で忙しく、子どもの世話や、家に関する手続きなどは三川さんが行うことになったが、市役所の機能はまひし、被災申請などの制度も専門用語が多く理解出来ない。悩みを相談しようにも、同郷の仲間は避難のため散り散りに。役所で受け取った外国人向けパンフレットも、「書類の書き方ばかりで、どんな制度があるかといった本当に知りたいことが書いてなかった」。震災から3か月が過ぎ、ようやく生活は安定してきたが、「ちゃんと申し込みが出来ているのか不安」と話した。

本県に1万7000人 

山梨県の外国人人口は約1万7000人。ブラジル人が最も多く中国、韓国と続く。地域では製造業工場のある甲府市、中央市、南アルプス市に集中している。中央市ではブラジル出身の住民向けに、震災を受けて市のホームページに英語とポルトガル語で防災情報の掲載を始めた。外国人観光客の多い山梨県では、日本語がまったく分からない外国人が被災する可能性もある。災害弱者や情報過疎を起こさない備えが必要だ。
(2011年7月4日 読売新聞)

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