多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

僕は憲法の前文が好きでした。

2012-12-14 00:30:19 | ダイバーシティ
(以下、facebook「元島しょう」さんより転載)
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僕は憲法の前文が好きでした。
一国の憲法の前文がこんなに長く、そして決意に満ち溢れ、熱を帯びた文章であること。そしてその内容。
読むたびに、胸が熱くなり、日本人であることを誇りに思ったものでした。
宗教や信条を持たず、迷いながら進む頼りない僕を、幾度も勇気づけた文章でした。
特に「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
自民党が一番毛嫌いする文章ですが僕はこれが好きでした。
保育の現場で行き詰る時、この発想は活かされました。
荒れた行動で保育士を困らせる子どもがいます。
一見わがままに見えるその行動。
「親の育て方が悪い」
「わがままな悪い子だ」
と思考して、その子や親を悪者にしてしまうのは簡単です。
そうなりがちです。
しかし、そう思考してしまいそうになる時、僕はいつも思い直していました。
信じてみようと。
どうやったら親と信頼関係をもって話ができるか、そう考えて、毎月お父さんを飲みに誘ったこともありました。
こどもの荒れた行動には、「その行動にどんなメッセージが込められているのか」と捉え直すようにしていました。
本当に根っこから悪い子などいないのです。
悪いことをする理由がある。
その悪い事が「犯罪」に育つまでその子を悪者にし続け、放っておくことがいけないのです。
親であれ、子であれその人間の本質を信じて付き合ってみること。
表面的な事実ではなく、その人間の「信義に信頼」してみる。
そうやって心からそういう思いで関わった結果、信頼関係をきづけなかった経験は僕にはありません。
ぴたりと荒れた行動をとらなくなった子どもたちもたくさん見てきました。
きっと国際社会もそうなると信じたい。
しかし僕らは所詮人間。そう簡単にはできない。
僕も出来る時もあればできない時もある。
むしろできない時の方が多い。
しかし、だからこそ、指針として、理想として、ああいう文章がこの国の前文に掲げてある事に意味があると僕は思います。
人間は不完全です。
なかなか理想通りに生きていけない。
過ちを犯すものです。
しかしだからこそ、今この国に必要な文章だと思うし、必要な憲法だと思うのです。
現日本国憲法と自民党の憲法改正案をとにかく見てほしいです。
みんなで決めましょう。

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