多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

多文化共生の新たな地平が拓かれました。

2012-12-18 01:23:44 | ダイバーシティ
(以下、ダイバーシティとやまからの転載です)
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http://diversity-toyama.org/?p=676
2012年12月15日。
ここ富山で新しい多文化共生の地平が切り拓かれました。

「姜尚中とともに考える多文化共生」

約500名の来場者とともに新しい時代の胎動を感じる講演会となりました。
姜さんから、穏やかでいて、凛としたお話をいただきました。

講演の前半にひとつのキーワードが提示されます。
司馬遼太郎さんが書かれたという「落地生根落葉帰根」。
ひとつの命が大地に根差して生き、そしてまた大地に帰るということ。
生きとし生けるものの「さま」として、また、命のダイナミズム、移動する生物の常なる
姿として、提示されました。
姜さんは、帰化植物の喩えを交えつつ、軽妙な語り口で、会場に笑いを起こすとともに、
ご自身の体験から、ひとつの命が国境を越えて、生きていくさまを話されます。

私たちの世界の国境は、または近代国家の"クニ"という概念は、わずか100~200年ほどの
歴史の検証しか経ていないこと。それ以前は、もっと別の概念により自身の生まれや育ち
などに依拠していたものであること。それはすなわち、地域社会であり、地域の文化であり、
食であり、酒であり、伝統工芸であり、祭りなど生きた文化、人との交流であるということ。
こうした地域に住む人間は、その地域内にしか存在しない文脈(コンテキスト)を持って
いるということです。同じ文脈の中で生きているので、多くを語らなくても意思疎通が
できる。そうした心地良さの中に生きているということです。また別の言い方をすると、
他の地域からみると、翻訳が必要な世界に生きているということになりますね。

数十年前には、日本の大学にはいろんな考え方、いろんな地域文化を背景に持っている学生
が混在していた。いろいろな背景、文脈を持つ学生たちが混在することで、切磋琢磨し、
互いを理解しようとする中で、素晴らしい人材を輩出してきた。近年の学生を見ていると、
その学生の親を含めて、極めて均質化してきているように見受けられる。例えば、東京大学
の学生は、人口10万人以上の都市出身で、両親が四大卒の学生が大多数ではないか。異質な
文化背景を持った学生が交流することが難しくなってきている。縦の時系列でみると、若い
ときに異なる文化と出会う機会が著しく減っており、この影響かどうかは断じ得ないが、
海外に留学しよう、異なる文化を享受しようという気概も減じてきているように感じられる。

こうした文脈のちがいは、なにも難しいものではなく、"男女"のことを考えると理解しや
すいと思う。ほんの数十年前には、「女性は学問を修めなくてもよい」という風潮や考え方
もあったと思うが、今ではそんなことは、まったくなくなってきている。
むしろ、女性を積極的に登用していくことが企業や社会に活力を与える必須のことになって
いる。(ここで某大手企業の女性登用の少なさについて、会場の笑いを誘う姜さんの体験談
もありました。)
異なる人・背景・文化との交流が人を成長させていく原動力ともなる。

私たちは、わずか100~200年の間に"クニ"というものを作り上げたが、同じ文脈に生きる
ことに慣れ過ぎている。"クニ"というものは、果たして完成したものだろうか。私たちは、
その"クニ"ができるまでは、様々な地域との軋轢や衝突を経験したはずである。(たとえば、
現在に生きる人の中に脈々と生きている明治維新期の話をいただきました。)
日本に生まれ、日本語を自由に操り、日本社会で当たり前のことを当たり前のように感じて
生きているということは、ひとつの結果であり、日本社会が培ってきたもの、すなわち、
私たちが日本社会のプロだという言い方も可能だろう。小学生の時から、文字を学び、
歴史を学び、文化を学び、日本社会に生きる努力をし、トレーニングをしているからこそ、
日本社会のプロになっているといえるのではないか。
(姜さんは姜さんの母親の姿を見て、これを強く実感し、その姿に感動されたそうです。)

ニューカマーと呼ばれる昨今の在住外国人に目を向けてみるとどうだろう。在住外国人は、
日本社会においては、あるいは日本の文脈においては、プロという概念に照らしてみると、
いわば学習途上のアマチュアともいえるのではないだろうか?日本に移り住み、もしくは
日本に根付いて生きていこうとしている過程は、日本社会の文脈を学ぼうとしている、
プロになろうとしているアマチュアに、その姿を重ねることはできはしないだろうか。

プロはプロとして向上していこうとする。
しかし、ときにあまりに自明の文脈の中で生きているため、忘れてしまうことがある。
その忘れてしまうことは何か。幼い頃から日本社会で生きていくために学んできた小学校の
こと、中学校のこと、文字を書いたり読んだりすること、部活動であったり、他の地域文化
との出会いと学び、すなわち生きていくための学びを実践していくということ。

プロはこうしたことを忘れてしまいがちだが、アマチュア、すなわち日本社会での学習途上
にある外国人に出会うことで、学ぶことの大切さを思い出すことができる。アマチュアは
アマチュアとして努力しなくてはならないかもしれない。しかし、プロはアマチュアと対峙
することで、自らが、まだ、「途上の人」として学び続けなければならないことに気づく
だろう。そして学ぶことを思い出すきっかけともなるだろう。大切なのは「気づき」を
得ていくこと。
「途上の人」、人生の途上であるということは、すなわち「青春」であるともいえる。
70歳、80歳の人とインタビューする機会もあったが、若々しくみな口をそろえて
「まだまだこれから」と青春を生きている人のように言われるのが印象的だった。

同じように、私たちが多文化共生を考えるとき、それは青春の学びであり、「途上の人」と
いう自覚であり、これから成熟していく過程であると捉えることが大切だろうということ
です。

講演会のあとには、「日曜美術館」での名コンビ再会となるNHK富山放送局の中條誠子さん
との対話となりました。ここでは、富山をフィールドのスポットにあててのお話となり
ました。
中條さんからは、富山に住む外国人からコメントとして、富山での生活や意見、富山の
住みよさなどのご紹介があり、これに対して姜さんからの感想もいただきました。世界に
おける多民族多文化の国家の状態と比較して、日本社会は多文化の受入に寛容ではないか、
懐が深い多文化を許容する世界のどの国とも異なるポテンシャルがあるのではないか。
とのことでした。
中條さんからは、同じく外国人からのコメントとして、私たちが忘れつつある富山の
住みよさについて、外国人からの声のご紹介もありました。
最後に、姜さんは、数十年後を見据えた場合、歴史的背景や地政学的にも富山の立地は
今後、環日本海の拠点となりうるだろうとのご意見でした。ダイバーシティ・多文化共生の
拠点として、頑張っていきたいものです。

会場からの感想はとてもたくさんありましたが、姜さんの講演はもちろん、中條さんが
富山のこと、富山の自然や生活に視点を置いて対談してくださったおかげで、姜さんのお話
もよく理解でき、多文化共生が富山の未来の扉なのだと思いました、富山から発信しなくて
は!との感想もありました。中條さんにも感謝の言葉がございません!!!

姜さん、中條さん、本当にありがとうございました。
主催の富山県国際・日本海政策課のみなさまには、今回の講演会開催に際して、
ダイバーシティとやまを協力団体としてくださったこと、有形無形のアドバイス、ご支援、
とてもとても尽力いただきましたこと、感謝申しあげます。
あわせてダイバーシティとやま会員のみなさま、ドリプラ―なみなさまのご協力あっての
賜物でした!大感謝!

舞台裏のことですが、姜さんは、講演前に、私にこう語ってくださいました。
「私たちは自己のうちに多様性を見出さなくてはならない。」と。
すなわち、ダイバーシティです。

文責:ダイバーシティとやま(柴垣)