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村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文

2011-06-11 20:50:58 | 多文化共生
(以下、毎日新聞から転載)
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村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文


カタルーニャ国際賞の授賞式で、スピーチする作家の村上春樹さん=スペインのバルセロナで2011年6月9日、ロイター
 9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)

 「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)

毎日新聞 2011年6月10日 19時00分(最終更新 6月10日 19時09分)

偏向した“経済”を批判 復興への原理探る 西谷修さん(哲学者)

2011-06-11 20:50:13 | 多文化共生
(以下、東京新聞から転載)
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偏向した“経済”を批判 復興への原理探る 西谷修さん(哲学者)
2011年6月11日

 東日本大震災からの復興が叫ばれる今、盛んに飛び交うのは「経済」の二文字だ。被災地の経済をいかに立て直すか。それが中心的課題であることに疑いを挟む余地はない。だが、哲学者で東京外国語大教授の西谷修さん(61)は異論を唱える。「今、経済を語ることは、特定の思想を語ることに等しい。経済として語られているものは何か、震災後の今こそ、徹底的に問い直さねばならないのです」
 政治、法律などと同様、人間社会に不可欠な事象を示す語として意識されている「経済」とは何か。「その語源は古代ギリシャ語のオイコノミア。一族や奴隷をどう食べさせ、切り盛りしていくかという課題であり、人間の生存の基本的条件をすべて含み込む豊かな意味を持っていました」
 しかし、近代以降、意味が変質する。「十八世紀の英国で、所有権に基づいて土地を囲い込まれ、土地を追われた農民が都市に流入し、労働力を“自由”に売る労働者が出現した。これを正当化するのが、経済学がモデルとする人間像“経済人”です」。経済人は「孤立し、飢えを恐れ、自分の利益を求めて合理的に行動する」とされ、「アダム・スミスは『国富論』で、各人が利己的に自分の利益を追求することで、社会は活性化し、国全体の富も増えると指摘、経済の自由放任を主張した。これが市場の自己調節機能に任せるという自由主義経済の出発点になった」。
 何も所有しないと経済人は惨めな存在だが、「開拓期の米国では俄然(がぜん)、輝いてくる」。英国はアメリカ大陸で、先住民から奪った土地を移民に払い下げた。その結果、自然環境だった大地が、個人間で自由に取引できる不動産となった。それを起源として、後にはドルが変動相場制に移行し、インターネットの普及で市場がグローバル化するなど環境は激変したが、「米国建国以来の“私的所有権に基づく自由”を原理とする経済は、新自由主義(ネオ・リベラリズム)として世界を席巻している」。
 今、すべてが経済の用語で語られ、指標が数値化されて、利潤や生産効率だけが善しとして追求されるが、「人間社会の豊かさを完全に数値化などできない。オイコノミアと比べ、経済はやせ細ってしまった」。英国の農民の悲哀に彩られ、アメリカ先住民の血に染まった功利主義としての経済。それは人間社会の基本原理というより、社会を利潤追求に落とし込む一つの偏向した思想なのである。
 西谷さんが中心となってまとめた『“経済”を審問する』(せりか書房)は二〇〇八年秋の世界金融恐慌を機に、金融システムの破綻を予言した金子勝氏や、反功利主義を研究するフランスの社会学者アラン・カイエ氏らを論者に、経済至上主義を批判し、未来を司(つかさど)るべき原理を展望した書だ。直接の標的は金融恐慌だが、震災と原発事故からの復興論議が盛んな今、注目すべき示唆に富んでいる。
「自然を征服し、産業の仕組みで社会化する今の産業技術経済システムは一九六〇~七〇年代、資源の枯渇と公害の発生、人口爆発などの問題にぶつかった。これを突破する打ち出の小づちが原発だったのです」
 経済成長を至上の価値とするこのシステムの延命に原発は寄与したものの、今回の事故でその命運は尽きた。だが、私たちは慣れ親しんだこのシステムからどうやって脱却するのか。
「このシステム自体を使って方向転換すればいい。今の私たちは電力会社から大量の電気を使うように仕向けられている。これをやめ、送電と発電を切り離し、送電システムを公共財として地域ごとの管理とする。そして、その地域が発電システムを水力、風力などと独自に選んで、必要な分だけ電気を買うのです。もちろん、発電所の事故は電力会社が全責任を負う。そうすれば、リスクを恐れて原子力発電などできなくなる」
「従来のシステムに風穴を開けなければならない。今が最大で、最後のチャンスです」と強調する。実際、日本人は経済学のモデルにはなり得ない。「被災者の皆さんは孤立したり、自己利益の追求に走ったりせず、お互いに助け合った。経済人なんて嘘(うそ)ですよ」
 専門は西欧的な理性を批判したフランスの思想家ジョルジュ・バタイユだが、思想家個人の研究よりも、戦争などを切り口に、世界を動かす原理の探究に重きを置く。「私たちは、これから生まれてくる子に、日々、放射線量を気にしながら生きなければならない世界を残してしまった。このことを重く受け止めねばなりません」 (三沢典丈)

外国人との結婚に関する規定、年内にも改正案政府提出

2011-06-11 20:49:41 | 多文化共生
(以下、HOTNAM!Newsから転載)
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外国人との結婚に関する規定、年内にも改正案政府提出

 政府事務局は6月6日、通知133/TB-VPCP号でNguyen Thien Nhan副首相の指導を伝え、法務省が中心となり、外国人との結婚に関する関連省庁からなる作業部会設立決定草案をまとめるよう求めた。外国人との結婚で生ずる問題を抑制するのが狙い。

 また副首相はベトナム女性連合会中央に対し、婚姻支援センターの活動効果を高め、現在の「4無」:夫となる人の母国の文化・言語・法律を知らない、結婚予定の相手について知らない、結婚予定の人の家庭環境を知らない、愛情がないという状況から、「5知」:夫となる人の母国の文化・言語・法律を知っている、地元で外国人と結婚した人の成功例・失敗例を知っている、結婚予定の人を知っている、結婚予定の人の家庭環境を知っている、外国人との結婚に関するベトナムの規定を知っている、に変えていくよう指導している。

 また副首相は法務省に対し、外国人との結婚について規定した政令68/2002/ND-CP号および69/2006/ND-CP号に代わる政令草案をまとめ、2011年第4四半期に政府に提出するよう指導している。この草案では、手続きが細かく定められ、婚姻登録手続き時間の短縮などがなされる予定。また法務省では、ホーチミン市で設立する国際結婚コンサルティング会社の試験設立案もまとめ、政府に第4四半期中に提出する。

宮崎市国際交流協会:災害に不安…外国人支援策を考える

2011-06-11 20:48:53 | 多文化共生
(以下、毎日新聞【宮崎】から転載)
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宮崎市国際交流協会:災害に不安…外国人支援策を考える 17日に意見交換会 /宮崎

 ◇異国での災害に不安…
 東日本大震災後、県内各地で防災対策の見直しが進む一方、日本語が十分に分からない外国人が災害情報を得る手段は限られている。宮崎市国際交流協会は17日、意見交換会「大地震がきたら…あなたはどうしますか? 外国人と一緒に考えましょう!」を開く。市や県職員が災害時に必要な支援を考えるため、外国人の声を聞く。

 中国・広州から昨年5月に来日し、宮崎市で日本人の夫と暮らす趙天怡(ちょうてんい)さん(41)は3月11日、1人で福岡空港近くにいた。中国に一時帰国した帰りで、ホテルのテレビで異変に気付いた。「最初はドラマだと思った。日本語は勉強中で、難しい言葉は知らない。もし1人の時に地震の被害に遭ったら、どうしたらいいかわからない」

 県内の外国人は昨年末現在、前年比3・2%増の4238人で、2年連続で増加。昨年9月の県のアンケートでは、県内在住の外国人156人のうち「災害に不安を感じている」と答えたのは39・5%で、「感じていない」は60・5%だった。

 県文化文教・国際課の河野龍彦主幹は「震災前なので『不安を感じていない』と答えた人も多いのでは。災害対策が万全とは言えない」と話す。「感じている」のうち、複数回答で50・9%が「災害緊急時の日本語の情報が理解できない」、47・3%が「自分の避難場所がどこかわからない」と答えた。

 県危機管理課によると、外国人は高齢者や障害者と同様、災害時に支援が必要な「要援護者」に含まれるが、外国人だけの支援策はなく、災害時の心得を説く多言語の防災ハンドブックがある程度。河野主幹は「避難マニュアルの見直しと併せ、外国人向けの防災対策も検討しなければならない」と話す。

 08年度から外国人を対象に防災セミナーを開いてきた宮崎市国際交流協会は今年、災害時に通訳を務める防災ボランティアを初めて養成する。協会の河野博子さんは「災害時の外国人支援は不十分。意見交換会をきっかけに、県と自治体が協力して支援する仕組みを作りたい」と話す。

 意見交換会は午後6時半、宮崎市民プラザで。軽食、飲み物付きで500円。申し込み・問い合わせは国際交流協会(0985・21・1719)へ。【川上珠実】

紙芝居:心温まるエピソード 富山の橋本さん原作「異人館はショコラ色」

2011-06-11 20:48:05 | TOYAMAな多文化共生
(以下、毎日新聞【富山】から転載)
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紙芝居:心温まるエピソード 富山の橋本さん原作「異人館はショコラ色」 /富山

 ◇抑留外国人と住民の交流
 ◇「戦時中の実話、知って」あすイベントで披露
 第二次世界大戦中、神奈川県南足柄市の施設に抑留されていた外国人と地元住民との温かい交流をテーマにした紙芝居「異人館はショコラ色」が12日、富山市新富町の再開発ビル「CiC」で披露される。原作者の富山市田中町の元中学教諭、橋本哲さん(61)は「暗い戦時中に実際あった心温まるエピソードを子どもたちに知ってほしい」と話している。【青山郁子】

 紙芝居は、戦時中に抑留され、深刻な食糧不足に苦しんでいた外国人に、近隣住民がイモや野菜、豆などをこっそりと差し入れ、終戦後、解放された人がチョコレートとお礼の手紙を持参したという内容。

 このエピソードは橋本さんが主宰する旅行記同人誌「旅想」に、差し入れした人の息子にあたる神奈川県在住の矢後一三さん(88)から投稿された。感動した橋本さんは昨年、「異人館はショコラ色」(星雲社、1000円)を出版し、地元の中学生にプレゼント。それを聞いた南足柄市を中心に活動する「劇団ぽぽ」が紙芝居に仕立てた。

 紙芝居は2月には神奈川県内の戦没者遺族会の集まりで初披露。橋本さんも招待され、地元でも知る人の少ない戦時中の心温まるエピソードは大好評だった。その後、劇団から複写した紙芝居が橋本さんに届けられた。

 今回、紙芝居は橋本さんが所属する「富山子どもの文化を育てる会」のイベントの一環として披露される。橋本さんは「戦争中と言えば暗くて残酷な話が多い中で、人種、民族を超えて助け合った無名の人々の国際交流を知ってほしい」と語った。同日午後2時開演。入場無料。問い合わせは同会の事務局、山道康子さん方(076・424・6987)。

東日本大震災:6カ国語で災害情報--Inter FM

2011-06-11 20:47:26 | 多文化共生
(以下、毎日新聞から転載)
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東日本大震災:6カ国語で災害情報--Inter FM

 東日本大震災を受けて外国語ラジオ「Inter FM」は、6月から新たに6カ国語で政府の災害関連情報番組「Inter Community Square」の放送を始めた。

 月~金曜の午前6時33分と午後0時33分からそれぞれ3分間。午前は毎日英語で放送する。午後は曜日ごとに言語が異なり、月曜は北京語、火曜は韓国語、水曜はタガログ語、木曜はスペイン語、金曜はポルトガル語で放送する。

 また、6カ国語で放送した情報については、放送エリアの首都圏以外の人でも利用できるように、ホームページ(http://www.interfm.co.jp)に文字や音声情報として掲載している。

毎日新聞 2011年6月11日 東京夕刊

震災救援、多言語で 宮城県国際交流協会が冊子

2011-06-11 20:46:46 | 多文化共生
(以下、河北新報社から転載)
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震災救援、多言語で 宮城県国際交流協会が冊子


多言語かわら版の震災復興支援特別号と「倶楽部MIA」を手に、県国際交流協会の女性スタッフは「ぜひ役立てて」と呼び掛ける
 東日本大震災で被災した宮城県在住の外国人に役立ててもらおうと、県国際交流協会(仙台市)が「震災復興支援特別号」と銘打った多言語の情報冊子を発行した。協会は「外国人は震災の情報弱者。一日でも早く届けたかった」と当初の発行予定を前倒しして5月下旬に完成させ、配布している。

 協会は偶数月の年6回、多言語かわら版「KAWARABAN」の名称で冊子を発行。今回の特別号は30ページにわたり「みやぎ県政だより5月号」の震災に関する項目を英語、中国語、韓国語、ポルトガル語の4カ国語に翻訳して載せた。
 協会内に設置されている外国人相談センター窓口の電話番号をはじめ、住宅や雇用、生活資金に関する制度の紹介や問い合わせ先一覧を掲載。3000部印刷し、県の出先機関や市町村の災害対策本部などに置いているほか、協会のホームページからもダウンロードできる。
 一方、協会が会員向けに同時期に発行した月刊情報誌「倶楽部MIA(クラブミア)6月号」も、「情報弱者」の立場に置かれた外国人の声を取り上げた。
 南三陸町志津川の自宅が津波で流された台湾出身の女性は「用事で仙台にいたので難を逃れた。幸い家族は無事だったが、情報がないということがこんなに不安だとは思いもよらなかった」と振り返っている。
 協会の伊藤友啓さん(37)は「母国語で情報がほしい外国人の要望に応えたかった。情報弱者である外国人に情報を伝える際は、『避難所』を『にげるところ』と言い換えるなど、分かりやすい日本語の使用を心掛けてほしい」と呼び掛けている。


2011年06月11日土曜日

外国籍住民のための医療相談会・福島祥紘代表 /新潟

2011-06-11 20:45:50 | 多文化共生
(以下、毎日新聞【新潟】から転載)
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この人にとことん:外国籍住民のための医療相談会・福島祥紘代表 /新潟

 ◇在日外国人の置かれた医療環境
 言葉が通じにくいことや経済的な理由など、日本で暮らす外国人が医療を受けるうえでの困難は多い。医師や通訳ボランティアらでつくる「外国籍住民のための医療相談会」は09年から、安心して医療相談ができる場として無料相談会を開いている。これまで新潟市内で3回開催され、第4回が12日、クロスパルにいがた(新潟市礎町)で開かれる。外国人が日本で抱える医療の問題を、代表の福島祥紘・明倫短期大名誉教授(71)に聞いた。【小林多美子】

 ◇言葉の壁、情報、経済的不安 行政は積極的に通訳の養成を
 --活動を始めたきっかけは何ですか。

 ◆日本で暮らす外国人は増え続け、現在外国人登録をしている人は220万人近くに上る。東京や神奈川、愛知など人数の多い都府県では、10年ほど前からボランティアなどによる医療相談会は行われている。新潟は県全体で約1万5000人、新潟市内で約5000人と他県に比べて多い方ではないが、取り組まなければいけない問題だと思っていた。

 従来は在日外国人といえば在日コリアンだったが、約10年前から多様化し始め、特に中国人が増えてきた。彼らは働きに来たり、日本人の元に嫁いできた人など、いわゆる「ニューカマー」と呼ばれる若い人が多い。生活習慣の違いや教育など、彼らが地域社会でいかに暮らしていくのかという問題の中の一つに、医療を受ける権利をどうやって保障するかという問題がある。

 --外国人が医療を受けるうえで、何が問題なのでしょうか。

 ◆大きくいえば三つある。一つは言葉。言葉が通じないので病院に行ってもうまく説明できなかったり、行くのが面倒くさくなる。二つ目は情報。病院などの情報がなかなか入ってこない。三つ目がお金。経済的に苦しい人が多く、病院に行くのをためらってしまう。雇用主に病気になったことが分かれば職場を解雇されてしまうのではないか、という不安で治療を受けない人も多い。

 --過去3回の相談会ではどのような方が来ましたか。

 ◆第1回は30人、第2回は19人、第3回は46人が相談に訪れた。国籍は中国、フィリピン、インドネシア、パキスタンなど。命にかかわるような深刻な病状の人というのはいないが、胃腸など消化器系疾患や、ひざが痛いなどの相談とともに、うつ病など精神的な問題を抱えている人が多い。母親が子どもが学校になじめなかったり、日本人の夫とうまくいかないなどの問題を相談するケースもあった。医療ソーシャルワーカーによる相談も行っていて、仕事がなく経済的に苦しいケースは生活保護制度についても紹介している。

 --開催を重ね、見えてきた課題はありますか。

 ◆本当に情報を必要としている人にはなかなか伝わらないということだ。日本語が話せない人にこそ必要なのに、そういう人には情報がいかない。チラシを作って日本語学校に掲示したり、国際交流協会の広報誌などに掲載してもらっているが、やはり口コミに勝るものはない。前回はパキスタン人が32人と大勢来ましたが、会場の隣がイスラム教の教会で、当日に情報が彼らの間でばっと広がったのが大きかった。

 --行政に望むことはありますか。

 ◆医療は行政が責任をもって担うべき分野で、行政にも積極的にかかわってほしいと思う。特に必要なのが医療通訳の養成だ。ただ細かいニーズに応えるためには、行政が担うと共に民間ボランティアは必要だと思う。

 問われているのは、地域医療は誰のためにあるのかということだ。地域で困っている患者を見つけ、救い出すということができなければ、地域医療として成り立っているとは言えない。患者が日本人か外国人かというのは関係ない。

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 ■人物略歴

 ◇ふくしま・まさひろ
 1940年、東京都生まれ。国立東京医科歯科大学大学院博士課程修了。新潟大学歯学部助教授などを経て、明倫短期大学教授、副学長を歴任した。

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毎日新聞 2011年6月11日 地方版

外国人対策:県警が研修会 現状と課題テーマ /岐阜

2011-06-11 20:45:04 | 多文化共生
(以下、毎日新聞【岐阜】から転載)
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外国人対策:県警が研修会 現状と課題テーマ /岐阜

 県警は10日、県内の外国人の現状と課題をテーマにした研修会を県警本部で開いた。タイトルは「外国人と共に生きる~外国人犯罪と文化共生について(県警の取り組みから)」。「ぎふ善意通訳ガイドネットワーク」のメンバーら40人が参加した。

 同ネットの河合雅子会長と、県警組織犯罪対策課の山内登・国際犯罪担当調査官が、県内の在住外国人をめぐる状況や、外国人犯罪などについて報告した。

 県内の外国人登録者数は08年を境に減少し、10年末で約4万8000人。外国人の検挙件数も09年の599件から昨年は325件に減少している。

 山内調査官は「外国人の方には、警察に対して『怖い』という意識があり、言葉の問題もあって、相談したいのにできないという状況がある。結果的に犯罪を未然に防げないことがある」と話し、外国人の現状把握のためにも市町村と警察の連携が必要と指摘した。河合会長は、外国籍の中学生による人権作文などを紹介。多様性を受け入れられる地域社会の実現を訴えた。

 参加した各務原市の山下修司・秘書広報課長は「市民生活が安定していれば犯罪が起こる土壌はなくなる。警察による取り締まりの前に、行政として在住外国人の状況を把握する必要がある」と話した。【梶原遊】