多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

「日本の農村はどうなっているのか? ~私たちの食・水・いのち」

2008-08-18 14:21:36 | 多文化共生
(以下、EICネットから転載)
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「日本の農村はどうなっているのか? ~私たちの食・水・いのち」

日 時:2008年8月23日(土)11:30 ~ 24日(日)15:00
場 所:ファシリテーター宅および農場
参加費:10,500円( 1 泊 3 食 = 23日夕、24日朝、昼)
京都市右京区京北町下黒田町(ご連絡は関西セミナーハウス活動センターへ)
現在、日本の食料自給率は約40%で、日本へ食材を輸出している国々では環境破壊やくらしの異変が進んでいます。一方、日本の農村ではさまざまな政策や生活様式の変化などにより農林業や地域の共同体の衰退が進んできました。グローバリゼーションが引き起こす問題を考える中で農業を始めた松平さんのお宅を訪れ、水に関するフィールドワークや農作業をしながら、「食と農」「持続可能な社会」そして「いのちとしての水」について考えましょう。
(財)日本クリスチャンアカデミー 関西セミナーハウス活動センター
フィールド・スタディ
「日本の農村 はどうなっているのか ?
~ 私たちの 食・水・いのち」
*申込み締切りは8月20日(水)、ただし 定員15名 に達し次第受付を停止します
(部分参加は事務局にご相談下さい)
会場への順路は裏面をご覧下さい
開発教育セミナー 人権・平和・環境などの地球的課題がテーマの参加型学習。特に日本と世界とのつながりを「持続可能な開発」をキーワードに考える。2008年度 第4回
(当日のタイムテーブルは)
ファシリテーター:松平尚也(まつだいらなおや)さん・山本奈美(やまもと なみ)さん
山本奈美(やまもとなみ)
国際交流NGOピースボートで活動後、オランダの大学院で開発学を修了。後、オランダのNGO、CEO(コーポレート・ヨーロッパ・オブザーバトリー)と TNI(トランスナショナル研究所)が運営するWaterjustice Projectで、住民参加で「水」という共有財産を守っていくという、世界で広がりつつある取り組みに関わってきた。現在、パートナーの松平の農業を手伝いながら、食と農という視点から地に足をつけた暮らしを模索中。
松平尚也(まつだいらなおや)
AMネット代表理事。アジア農民交流センター世話人。京都自由学校で縁農講座を企画。京都京北で農業に携わりながら現場の視点を生かして食や農そして水の循環について考え、調査し発信している。1998年から4年間は京都市中央卸売市場鮮魚部丁稚として働く。グローバル化と水産・漁業の現場を実践的に調査。 2003年世界水フォーラムが京都で開催された折には市民ネットワークに関わり、桂川上下流交流事業に携わった。その時に出会った爺様の紹介で桂川の袂に移住。現在六反の田畑を耕しながらNGO活動を実践中。

_ 第5回 10月4日(土)・5日(日)
「もっと知りたいビルマ ~民主化運動の過去・現在・未来」
講師: 中尾 恵子 さん(日本ビルマ救援センター)
_ 第6回 11月8日(土)・9日(日)
「アフリカに接近 ~タンザニアとのフェアトレードを通して」
講師:辻村 英之 さん(京都大学大学院農学研究科准教授)
* 各プログラムの詳細・最新情報は当センターホームページ (http://www.academy-kansai.org) に随時掲載いたします。
(財)日本クリスチャンアカデミー
関西セミナーハウス活動センター
http://www.academy-kansai.org
電話 :
FAX :
Eメイル:
075-711-2115
075-701-5256
office@academy-kansai.org
(財)日本クリスチャンアカデミー 関西セミナーハウス活動センター
2008年度開発教育セミナー 今後の日程・講師およびテーマ
【8月24日】
起 床
7:30 ~ 朝食準備・朝食
8:30 ~ 農作業
12:00 ~ フィールドツアー「水の旅」(上桂川流域)
地元の方からのお話
広葉樹の森で昼食
13:30 ~ ふりかえり
15:00 終了・解散
【8月23日】
11:30 周山バスターミナル集合
松平さん宅へ移動
12:00 ~ オリエンテーション、自己紹介
昼 食
13:30 ~ 農作業
17:00 ~ 夕食準備
18:30 ~ 夕 食・片付け
20:00 ~ 松平さんのお話「食糧危機と持続可能性」
フリートーク
20:00 ~ 終 了・交流会
就 寝
_ セミナー当日のタイムテーブル
《 持ち物 》
農作業用の服(長袖、長ズボン)、長靴、軍手、帽子、手ぬぐい(タオル)、日焼け防止用グッズ、エプロン、ビーチサンダル、洗面用具、歯ブラシ、着替え、寝巻き、23日の昼食(周山バスターミナル近くのウッディ京北などでも購入可能)、その他各自必要なもの
_ 会場、宿泊は松平さんのご自宅です。食事は、地元の旬の食材を使って参加者で自炊をします。
_ 8月下旬の熱い中で、農作業をします。熱中症対策や農作業用の服装などの準備は各自でお願いします。
_ 周山バスターミナルへは、京都駅から四条大宮等を経由して1時間に1本程度バスが出ています。周山バスターミナルから松平さん宅へは自動車に乗り合わせて行きます。京都駅10時発(四条大宮10時10分、二条駅前10時14分)周山11時20分着が最適です。詳しくは、西日本JRバス京北線をお調べ下さい。_ 参加される方には、事前資料やアクセス等の詳細について後日お知らせします。

中南米で初の原爆展=移民博物館=広島、長崎の悲劇伝える

2008-08-18 14:20:37 | 多文化共生
(以下、ニッケイ新聞から転載)
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中南米で初の原爆展=移民博物館=広島、長崎の悲劇伝える=被爆資料19点を展示=来月7日まで開催

 実際の被爆資料が持ち込まれた展示としては、中南米初となる「ヒロシマ・ナガサキ展」がモオカ区の州立移民博物館で二日に始まった。来月七日まで一般開放される。ブラジル日本移民百周年を機に企画され、広島、長崎両市と在ブラジル原爆被爆者協会(森田隆会長)の共催。熱線で変形した瓶や炭化した弁当箱など、十九点の被爆資料が展示され、四十八点のポルトガル語で説明された写真パネルは、同博物館に寄贈され、州内で巡回展示される予定。
 同展は被爆五十周年を迎えた一九九五年に広島、長崎両市の共同事業として始まり、今回で十三カ国、三十五都市目となる。メキシコ以南では初。
 二日午前にあったオープンニングには、州や市の関係者ら約二百五十人が出席、同博物館のアナマリア・レイトン館長(61)によれば、公立学校の授業にも組み込まれ、約三万人の来場を見込んでいるという。
 広島から出席した本多正登・広島平和文化センター常務理事(58)は「被爆後六十三年が経ち、当時の悲惨な記憶は世界的に薄れつつあるなか、国際世論を高めていくきっかけになれば」とあいさつ、テープカットの後、来場者は展示品を熱心に見入っていた。
 広島出身の西村ヤスコさん(旧姓下道、77)は十六歳で被爆、五五年に来伯した。「写真を見て当時を思い出した。平和な時代が続いてほしいと思う」と願った。
 ハンガリーからの移住者、エヴァ・ピレールさん(76)は、「人間が人間にやる所業ではない」と眉をひそめ、「戦争では何も解決しない。中南米に核兵器はないが、世界からなくす声を上げるべき」と話した。
 会場入り口には、ブラジル、広島、長崎の砂を混ぜ、原爆ドームや平和の像を描いた水彩画が飾られた。作者はサンパウロ在住の画家、伊藤薫さん(71)。八歳のとき長崎で被爆した。
 「いたるところで死体を焼いていた。今でもあの惨状が頭から離れない。二度と戦争を起こしたくない思い。魂を入れて絵を描きました」
 森田会長(84)は、
「かねてから原爆展の開催を願っていた。ブラジルの子供たちに平和学習を通して戦争の悲惨さを伝えるのが我々被爆者に残された仕事」と表情を引き締めた。
 月曜休館。開館時間は午前十時から、午後五時まで。詳しくは、同博物館(Rua Visconde de Parnaiba, 1316 ? Mooca、メトロ・ブレッセル駅から徒歩十分。電話=11・2692・1866)まで。

「日本の医療、しっかり学びたい」―インドネシア人看護師

2008-08-18 14:18:41 | 多文化共生
 記事自体、建前ばかりが語られているようにも読めるが…

(以下、CBニュースから転載)
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「日本の医療、しっかり学びたい」―インドネシア人看護師

 インドネシア人看護師・介護福祉士候補者が日本での研修に意欲的だ。この日の研修に参加したヌル・フダさんは、「日本はとても進んでいる国だと思う。研修中しっかり学びたい」と話した。海外技術者研修協会(AOTS)のスタッフも、インドネシア人研修生の「敬老精神」を評価する。一方で、「日本で学んだことをインドネシアで生かしたい」と、「留学」意識の本音を明かす候補者もいた。


 「日本はとても先進的な国だと思う。国家試験にパスできるよう、しっかり勉強したい」と、キャリアブレインのインタビューにさわやかに答えた。
 ヌルさんは、インドネシアでもシンガポールに近いリアウ州の出身。母国で看護師として3年間働いた経験を持つ。同国の看護師協会からの情報で日本との経済連携協定(EPA)の締結を知り、応募。ジャカルタで選抜テストに合格し、健康診断、日本側の病院とのマッチングなどを終え、8月7日に来日にした。

 ヌルさんは「第2次世界大戦で日本は壊滅的な打撃を受けたが、その後すぐに復興できた。勤勉な国民性が備わっているからだと思う。日本のいいところを学んでいきたい」と意欲的だ。
 既にインドネシアで看護師として働いていた経験があるにもかかわらず、日本で働くに当たってあらためて日本の国家試験を受けなければならない点にも、「特に不満は無い。日本で看護師になるために、日本の国家試験にパスしなければならないのは当然。とりわけ看護師の仕事は患者さんに接する特殊なものだ。その国の看護を学ぶのは大切」と前向きだ。
 AOTSのスタッフも、「積極的に電車で席を譲ったり、レストランの順番待ちで、後から来た年配の人に先に行くよう勧めたりするなど、『敬老精神』が備わっている。(看護師・介護福祉士に)とても向いているのではないか」と評価する。

 ただ、「日本で看護・介護のことは学びたいが、長期間、働くことは考えていない」「故郷はインドネシア。3年間日本で学び、国家試験をパスしたら、学んだことを故郷で生かしたい」と本音を明かす人も。受け入れる病院側との認識の違いも浮き彫りになった。

更新:2008/08/15 18:40   キャリアブレイン