a letter from Brecht Raum TEE-BLOG

東京演劇アンサンブルの制作者が、見る、聞く、感じたことを書いています。その他、旅公演や、東京公演情報、稽古場情報など。

TEEリレートークVol.15 『明けましておめでとうございます』 入江洋佑

2019-01-05 18:32:08 | 劇団員リレートーク


明けましてオメデトウございます。
本年も東京演劇アンサンブルを応援してください。
昨年7回目の戌歳を終えた入江洋佑です。
今年はもの凄く忙しいそして新しい出発の年になります。
そうご存知のように劇場と稽古場の移転です。
そこでいままでの稽古場の歴史をチョッピリ書いてみようと思っています。





むかーし、むかし、アメリカが史上初の水素爆弾の実験を南太平洋のビキニ環礁で成功させました。
そこから200㎞離れた海上で日本の漁船第5福龍丸が被ばくし、その放射能と死の灰によって久保山さんが亡くなりました。
世界が更に凶悪になったイヤな記念日1954年3月1日、その日が東京演劇アンサンブル(当時三期会)が創立された日なのです。
残念!!



劇団を創ってまず必要なのが集まる場所、稽古場です。
みんなで探して見付ったのが恵比寿の料理教室です。
昼間の授業が終った後、あの大きなテーブルを片付け発声をやり、バレエをやり夜9時に次の日のため元に戻し掃除をして帰るのです。
でも2ヶ月で追い出されました。
次は渋谷の金王神社の附属金王幼稚園。
ここも夜だけ。
そこで第一回公演のアーサー・ミラー作『みんな吾が子』の稽古をしたのです。



ぼくたちは劇団を創る時に、それまで大都市でしか出来なかった芝居(新劇と呼ばれていました)を日本全国に持って行こう、
大変だけど若いんだからさあと話し合っていたのです。
だから東京演劇アンサンブルの第一回初公演は九州の鹿児島市なのです。
地元の新聞が好意的に「戦後初めて三太郎峠(鹿児島県と熊本県の県境にある峠)を越えてきた演劇」と大見出しを付けた記事を載せてくれました。
入場の時市民会館前に並んでいた行列がゆっくり動きだしました。
「あっあの人達、俺たちの芝居を観に来てくれたんだ俺たちの!」と叫んだ。
亡くなった愛川欽也の声はいまも耳の奥に残っています。
そして東京に帰って来て相変わらず稽古場はなし。
2回目の『森の野獣』の時は、撞球場、フトン屋の2階、倉庫、廃工場、車庫など15ヶ所、
毎日アッチニイッタリ、コッチニキタリ大変辛く落着かないそして懐かしい体験でした。
それから青山の小原流生花のビル、柿の木坂の伊藤道郎さんのバレエスタジオ等々転々として、
1967年、念願の自分たちの稽古場を自前で買取ることが出来たのが高円寺の稽古場でした。



そしてまたまた次の抱負が生み出したのがいまの「ブレヒトの芝居小屋」です。
フリースペースのブラックボックス、海外でも評判になった前衛的な空間なのです。
そして今年そのステキな大好きな贅沢な贅沢な空間からさようならです。



新しい更に前衛的な空間を目指してぼくたち旅立ちます。
時間とエネルギーはかかると思いますが遠くまで行くんだは東京演劇アンサンブルの歴史です。
新しい場所の住所、電話番号の記された挨拶状の届く日を楽しみにお待ちください。
そして今後も皆さまの応援を、お続けくださるようお願いいたします。
以上、東京演劇アンサンブルのチョッピリ稽古場史でした。

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