AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

朝日新聞経済欄の連載記事  「SCK GIRLS」 気仙沼(編集ナッキー)

2013-12-28 05:56:00 | 新聞・本に登場、AKB48・アイドル
(けいざい心話)被災地の少女隊:1 気仙沼から希望叫ぶ
2013年12月18日


 ◇けいざいSHINWA

 11月9日、愛称「りせっしゅ」こと、高橋里瀬(19)は、東京・池袋の屋内ステージに立った。

 〈みなさんに届け、わたしたちの感謝の気持ちが〉

 東日本大震災で津波と火災におそわれた宮城県気仙沼市。高橋は、そこからやって来た。ご当地アイドル、「SCK GIRLS(エスシーケーガールズ)」のリーダーだ。

 ほかのメンバー4人といっしょに、高橋は歌う。

 #ありがとうの言葉 大声で叫ぶよ これからの姿を見てて(デビュー曲「ありがとうの言葉」から)

 産地直送気仙沼、略してSCK。思いを込めたオリジナル曲を歌う。

 高橋は、南三陸町の漁師の娘だ。高校1年、16歳のとき、震災にあう。

 大津波で家を失い、仮設住宅で暮らしはじめた。学費がかかることもあって、高校を中退した。はたらこうと思ったけれど、どこの社員募集にも、「18歳以上」とあった。

 〈この世界に、わたしができることってないの〉

 ひきこもり。家族とさえ会話をしなくなった。

 ある日、母に言われた。「気仙沼でアイドルグループをつくるそうよ。応募しなさい」

 母の運転する車に乗り、高橋は1時間ほどかかる気仙沼に通い、歌とダンスを猛特訓する。

 東北各地、東京、愛知などでのイベントで舞台に立ってきた。昨冬、高橋はリーダーになった。ことしの春からは、「気仙沼災害FM」で番組ももつ。自分やメンバーのこと、そして震災復興のことを話す。

 〈できることがあった! 将来は、声優のような『声』の仕事をしたい〉

 アナウンサー、藤村陽子(41)はいう。「彼女は、きちんと準備してくる。プロ意識がすごいんです」

 実は、きちんと稼いでいるかという意味で、SCKのメンバーはプロではない。イベントの出演料はただ、主催者から交通費だけをもらっている。

 メンバーは、高橋を筆頭に、小学1年までの18人いる。イベントにはいつもメンバーをしぼってのぞむ。主催者側の予算を考えてのことだ。「池袋でのイベントでは、往復の新幹線代や、前日の宿泊費をいただきました。本当にありがたい」と、SCK代表の佐藤健(36)はいう。

 ふだんの移動につかう車のガソリン代、ホームページづくりなどにはお金がかかる。収入は、出演会場でのCDやタオルなどのグッズ販売だけ。佐藤らスタッフの持ち出しがつづいた。

 あるとき、知人から、「アイドルグループならどこでもしているツーショットチェキをしたら」と助言された。インスタントカメラで、メンバーと写真を撮るサービスのことだ。相場よりかなり安い1枚400円ではじめると、やっと資金繰りが楽になってきた。

 池袋のステージに立った日、高橋は夕方まで4回の出演をこなし、帰途へ。南三陸の仮設住宅につくと、午前0時をまわっていた。

 〈わたしは、がんばる。夢をつかむため。周りのみなさんのため〉

 #手にした未来のカケラ 集めて放つよ 届け明日へ(「FUTURE この街の子供たち」から)

 2011年11月3日、東日本大震災から8カ月目に、SCKは誕生した。ご当地アイドルグループは日本中にあるが、SCKは「震災復興」という重い4文字を背負う。

 試練のなかで生まれたSCKは、その後いくつもの試練に見舞われてきた。

 「お情け頂戴(ちょうだい)アイドル」「ガキは勉強しろ バカ」

 誕生前後、ネットで相次いだ心ない書き込みの数々も、そのひとつだった。=敬称略

 (編集委員・中島隆)

(けいざい心話)被災地の少女隊:2 「父」失ってもステージに立つ
2013年12月19日05時00分

ファンから差し入れを受けとり、「ありがとう」と手をふる=11月9日、東京・池袋のサンシャインシティ、早坂元興撮影
 ◇けいざいSHINWA

 「SCK GIRLS」がデビューする2011年秋、ネットでこんな中傷の書き込みが飛び交った。「なんでも同情買おうってのは間違ってますよ」

 SCKのはじまりは、被災地の気仙沼に全国から寄せられた支援物資だった。地元の有志30人ほどが、被災者に届けるうちに「助けてもらうだけでは申し訳ない」と思った。

 震災から半年たったころ、有志のひとり、保険代理店をいとなむ阿部健一が「アイドルグループをつくろう」といい出す。メンバーを募集すると、地元の小学生から高校生まで10人ほどが集まった。グループ運営の代表には、阿部がなった。

 阿部は、プロモーションビデオのなかで当時の心境を語る。「子どもたちの心の復興をめざして、笑顔をとりもどしたかった。それをみている大人たちも、笑顔をとりもどせるはず」

 デビュー曲「ありがとうの言葉」の作詞作曲は、佐藤健(36)。地元写真館のカメラマンで、ロックのギタリストとしてプロデビューしたこともある。大津波に祖父母や知人をのみ込まれた佐藤は、「笑顔を取り戻す」という阿部に共感した。移動のときの運転手役を買って出るなど、阿部たちと行動をともにした。

 少しずつ共感は広がり、東京から駆けつける熱烈なファンもできた。心ない書き込みも目立たないようになった。

 だが、メンバーの父のような存在だった阿部は、悪性リンパ腫にむしばまれていた。それを隠さず、宮城の各地、岩手、山形。毎週末のようにあるイベントのほとんどに阿部はつき添った。「おれには時間がない」。佐藤は、阿部の姿がそういっているように思えた。

 この夏、入院していた阿部が危篤、の知らせを受けた佐藤は、リーダーの高橋里瀬と病院に見舞う。かろうじて意識があった阿部は、点滴をうつ手に携帯電話をにぎっていた。子どもたちの情報をチェックするためだ。

 8月17日、阿部は、51歳で逝く。その日の午後、SCKは宮城県の南の端、丸森町でステージを予定していた。気仙沼のコンビニに集まったメンバーに、佐藤は阿部の死を伝え、「きょうはキャンセルしてもいいぞ」と語りかけた。だが、だれもキャンセルを申し出ず、車で南へ。泣いていた彼女たちは、せいいっぱいの笑顔でステージに立った。

 阿部の遺志を継ぎ、代表になった佐藤は語る。「決して試練に負けないことを、世の中に発信しつづけます」

 佐藤にとっての試練は、彼女たちがデビューして3カ月ほどたったころ。初のCDをつくりたいが、お金はない。

 そんなとき、業界で知らない人はいない東京の音楽プロデューサーから、思いがけない申し出を受けた。=敬称略

 (編集委員・中島隆)

 ◇けいざいSHINWA
(けいざい心話)被災地の少女隊:3 つんく♂自腹、デビュー作応援
12月20日(金)11時30分

「重い現実を夢にかえていく作業を、あの子たちの笑顔でできれば、最高ですね」とつんく♂=東京都中央区、河合博司撮影

 ◇けいざいSHINWA

 2011年3月11日。つんく♂(45)は、自分へのもどかしさを感じていた。

 テレビは、灰色の大津波にのみこまれる街を流していた。〈ぼくには何もできないのか〉

 数日たって、思い直した。〈音楽をつくることだ〉。「モーニング娘。」を生んだ音楽プロデューサーである。

 生きる意味を問う曲をユーチューブに寄せた。使用料なし、自由に使って、と考えた。

 そのあと、自身のバンド「シャ乱Q」のメンバーと岩手の仮設住宅などをまわった。迎えてくれた笑顔の裏に、悲しみを見た。

 冬に向かうころ。同じ年の気の合う仲間で、宮城生まれの松田公太(45)に頼まれた。

 「気仙沼に、できたばかりの『SCK GIRLS』というアイドルグループがいる。資金はないし、ノウハウもない。手伝ってくれないか」

 松田は、タリーズコーヒージャパンの創業者で、みんなの党の国会議員だ。

 12年2月ごろ、つんく♂らは、SCKの曲をつくった佐藤健たちに申し出た。「デビューCDをつくる手伝いなら、協力できるかもしれない」

 ポケットマネーを出し合うなどして、彼女たちのデビューCDをつくった。ジャケットづくりなどのノウハウは、つんく♂たちが提供した。一枚千円として、千枚売れれば100万円になる計算。「これで、当座の活動資金にしいや」との思いだ。

 のちに東京に来た彼女たちに会い、つんく♂は思った。

 〈ご当地アイドルたちでも、彼女たちは経験してきたものがちがう〉

 つんく♂のテレビ番組や、そのイベントに、ときどきSCKが出演する。ただ、いくつかあるアイドルグループの一つ、という扱いだ。「SCKを直接プロデュースしていません。ぼくの色がついてしまうから。遠くから応援している、という精神的な支えになりたかった」

 アイドルグループを運営する大変さを、つんく♂に聞くと、こんな答えが返ってきた。

 「衣装代がかかる。1着5万円として、10人いれば、50万円になってしまう」。これまでSCKは、スーパーのイオンや地元のスポーツ店から提供してもらってきた。

 「下手にビジネスにせず、純真無垢(むく)に地域復興を貫くことが成功のカギでしょう」

 プロとは呼べないSCKは、夢をつかむ場でもある。

 サブリーダーの中学2年の熊谷亜莉里(ありさ)(14)は、歌も踊りもグループ一、二を争う。夢はモデルになることだ。

 渡辺さと美(19)は、この春から仙台暮らし。短大に通っているが、往復6時間かけて気仙沼に通う。テレビなどへの出演が増えても、「SCKはやめない」。将来の自分を模索している。=敬称略

 (編集委員・中島隆)


 ◇けいざいSHINWA
(けいざい心話)被災地の少女隊:4 歌い続ける、忘れないため
2013年12月21日05時00分

 「SCK GIRLS」の稽古場は、仮設商店街の一角にある。大津波に負けなかった薬局を改造した建物で、ふだんは遊び場などに使われるが、月曜の夜は、彼女たちの稽古場になる。

 この仮設商店街は、NPO「気仙沼復興商店街」が運営する「南町紫市場」。160ほどの店があったけれど、東日本大震災で、ほぼすべてが流された。だが、店主らの商人魂で、震災の年のクリスマスイブ、仮設商店街としてオープンした。いま店の数は54を数える。

 震災観光ツアーで商店街を訪れる人が多く、夜の飲食店も繁盛している。イベントには、SCKの出演は欠かせない。

 だがプレハブづくりの仮設商店街は、いずれ本格的につくり直さなくてはならない。

 NPOの理事長で「あさひ鮨(ずし)」の社長、村上力男(72)はいう。「未来が見通せないわたしたちにとって、彼女たちは、希望の光です」

 今月7日、気仙沼の中央公民館で、SCKの2周年感謝祭があった。全国から集まった200人ほどで盛り上がった。そこに、愛知県豊田市から来た前田祐佳(30)の姿もあった。

 母がいとなむアパレルの会社ではたらく前田は、ボランティアとして、何度も気仙沼に入った。昨夏、あの稽古場で、メンバーの練習を見ていた。

 全身がうつる壁の鏡を見ながら、踊り、歌う。できないところは教えあう。くりかえし、くりかえし、できるまで。

 そんな姿に、前田は涙ぐんだ。〈豊田に来てもらおう〉

 10人を超すメンバーが来て3泊4日すれば、宿泊代や交通費など、200万円はかかる。前田は、地域活性化をめざす女性グループ「SWT+(プラス)」のメンバーと、地元企業を回った。

 冷ややかな人もいた。「なぜアイドル?」「仮設住宅の子どもならわかるけどね」

 前田は、あきらめなかった。「仮設に住む子もいます」「経験しなくていいことを経験したのに、がんばってるんです」

 ことし10月、希望するSCKのメンバー14人を豊田に招いた。小中学校で交流し、ステージに立つメンバーたちを見て、前田は、また泣いた。

 震災の風化、がいわれる。

 今月7日の気仙沼での2周年イベントで、リーダーの高橋里瀬(19)はいつものフレーズを口にした。「震災を忘れないため、この歌を歌いつづけます」

 ♯この地球に生まれ変わりとかあるのなら いつかは会えるかな どんな形でも(「ReGenerasion」から)

 最後に、彼女たちは、赤と黒のオリジナル衣装を初披露した。スーパーから提供してもらっていた衣装からの卒業だ。

 等身大の「あまちゃん」の物語は、つづく、これからも。=敬称略

 (編集委員・中島隆)=終わり
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伝統的なアイドル「みちのく... | トップ | 『鈴懸なんちゃら』は、実は... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

新聞・本に登場、AKB48・アイドル」カテゴリの最新記事