20日の産経新聞

三国同盟推進の2人批判か
http://www.sankei.co.jp/news/morning/21pol003.htm

 昭和天皇はA級戦犯をひとくくりにして批判していたわけではない。
 昭和天皇の側近、木戸幸一内相の「日記」をみると、昭和天皇はA級戦犯に同情を示している。昭和天皇は終戦直後の昭和20年8月29日に「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きところ」、9月20日に「敵側のいわゆる戦争犯罪人、ことにいわゆる責任者はいずれもかつては只管忠誠を尽くしたる人々」と語ったという。
 宮内省御用掛の寺崎英成氏が記した「昭和天皇独白録」からは、昭和天皇がA級戦犯の代表格である東条英機元首相を信頼していたこともうかがえる。昭和天皇は21年3月ごろ、「元来東条という人物は、話せばよく判る」「東条は一生懸命仕事をやるし、平素いっていることも思慮周密で中々良い処があった」などと語っている。
 大原康男・国学院大教授は「メモが事実だったとしても、昭和天皇がA級戦犯の合祀そのものに不快感を示しているとは言えない」と指摘する。
 大原氏が注目するのは、今回のメモで言及された人物が、日独伊三国同盟を推し進めた松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使の2人とみられることだ。大原氏は「昭和天皇は『独白録』でも松岡のことを一番批判している」と語る。
 一方、「公の発言ではなく、非公式メモをA級戦犯分祀論に結びつけるのは、昭和天皇の『政治利用』になりかねない」(百地章・日大教授)との懸念も出ている。
 靖国神社は、昭和53年、厚生省が公務死と認定して靖国側に送った「御祭神名票」に基づいてA級戦犯を合祀した。
 昭和天皇も現天皇陛下も春秋の例大祭には勅使を派遣するなど、靖国重視の姿勢を示し続けてこられた。昭和天皇の弟宮である高松宮さま(故人)と三笠宮さまは、合祀後も参拝を続けられた。
現宮司の南部利昭氏は就任に際し「天皇陛下から『靖国のこと、よろしく頼みます』と直接、言われている」(関係者)とされる。
靖国側は分祀について「A級戦犯の御霊だけ除くことはできないし、ありえない」との立場を堅持している。
 政府筋は「手帳のあのページだけ紙がはり付けてあるという。メモを宮内庁で見た人はいない。
本当に昭和天皇が言ったかどうかも分からない」と指摘しており、分祀論の高まりには戦没者の慰霊を置き去りにした政治的意図を強く感じる


昭和天皇、靖国のA級戦犯合祀に不快感
http://www.sankei.co.jp/news/060720/sha060.htm

≪元宮内庁長官、発言メモ書き残す≫

 昭和天皇が靖国神社のいわゆるA級戦犯合祀に不快感を示していたことを示すメモが表に出たことについて、安倍晋三官房長官は20日午前の記者会見で、「政府としてコメントする事柄ではない」と述べた。だが、自民党内は現在、戦没者の追悼をめぐって、A級戦犯分祀(ぶんし)論、国立追悼施設の建設や千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充論など百家争鳴状態にあり、波紋が広がるのは間違いなさそうだ。

 政府は、小泉純一郎首相の靖国参拝に関しては「首相自身が判断するもの」(安倍長官)との姿勢だが、首相の参拝に反対する勢力が、今回のメモ発見を利用し、勢いを増すことも想定される。またメモ発見が、首相の靖国参拝に反対している中国の高官が、「A級戦犯分祀論」を唱える自民党の古賀誠元幹事長に賛意を示したばかりというタイミングの問題もある。

 ただ9月の自民党総裁選に向けて「公になった言葉ではなく、非公式な会話メモで判断するのは、昭和天皇の『政治利用』につながりかねない」(百地章・日大教授)との懸念も出ている。

 政府筋は「(故・富田朝彦宮内庁長官のメモだけでは)昭和天皇が本当に不快感を示すご発言をしたかどうかは、誰も分からないだろう」とも指摘する。

 また、仮に内心がどうであれ、昭和天皇も現天皇陛下も春秋の例大祭には靖国に勅使を派遣するなど、靖国重視の姿勢を示し続けてこられた事実は重い。靖国の現宮司の南部利昭氏は就任に際して「天皇陛下から『靖国のこと、よろしく頼みます』と直接、言われている」(関係者)ともいう。

 今回のメモ発見でも、「戦没者追悼の中心施設は靖国」(小泉首相)という事実には何ら変わりはない。

 ■「政治利用」に懸念も

 昭和天皇が昭和63年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)について「あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと不快感を示されたとする当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)のメモが残されていることが20日、分かった。昭和天皇は50年以降、靖国神社を参拝されていない。A級戦犯合祀は昭和53年。

 関係者によると、富田氏は昭和天皇のご発言などを手帳などに書き留めており、63年4月28日付で靖国参拝に関するメモが残っていた。昭和天皇が「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などとお話しになったとしている。

 「松岡」「白取」はA級戦犯として祭られている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐イタリア大使を指すとみられる。

 ほかに「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが。松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々(やすやす)と。松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている」などの記述もあった。

 「筑波」はA級戦犯の合祀をしなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(故人)、「松平」は最後の宮内大臣の松平慶民氏(同)、その「子」は長男でA級戦犯合祀をした当時の松平永芳宮司(同)とみられる。

 富田氏は昭和53年から63年まで宮内庁長官を務めた。

【2006/07/20 大阪夕刊から】

(07/20 16:00)
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