・右足底の痛みで約1週間、自由に動けなかった。
・先日の血液検査の結果を聞きに、整形外科に行く。今はもう、痛みはなくなって自由に歩けるといったのに、電気治療器にかけられた。
・整形外科は、連日、私同様年寄りの患者でいっぱいだ。電気治療器をはじめ、いろいろな治療器具があり、これらの機器が仕事をしているようだ。半オートメーションで饅頭を作っている趣だ。
・痛みはなくなったので、電気は最も弱くしてもらった。
・施術終了後、先生から血液検査の結果を説明してもらう。通風だって。生活習慣を変えないと、また、痛みが再発します。特にビールはいけませんとのこと。1ケ月後に再度血液検査をするので、その間、節制するようにと、通風に関する小冊子を渡された。
・朝から気持のいい日曜日。思い立って、伊豆一週のドライブに出かける。2本の足で自由に歩ける喜びを感じながら。
・日曜朝8時から始まる稲取漁協の朝市で朝食。干物を試食させ、味噌汁をただで提供してくれるところへいく。釜飯と寿司が売り物なのだが、寿司の方がない。寿司を作る人が体調を崩していてるので売っていないのだという。2年前からだそうだが、前回寄ったのはそんな前ではないのにと思いながら、このごろ月日の経つのが早く感じるので、そうなのかしらん。
・おじさんが、タッパから金目を取り出して網に載せる。味噌汁に浸けているのかと問うと、そうではなく、金目の味噌漬けを水であらってから焼いているとのこと。味噌漬けをそのまま焼くと味噌が先に焦げてしまってうまくいかないが、水で味噌を洗ってから焼くとふっくらと焼けるのだという。これが金目の味噌漬けの食べ方のコツだとのこと。
・いままでは、こげるのを恐れて、アルミホイールに包んで焼いていたが、これからは、こちらの方法でやってみよう。
・連れは釜飯を注文したが、炊き込みご飯類はあまり好きではない自分は、別のところで、いなりずしを買い、ただの味噌汁と金目焼きでの朝食となった。ただという言葉に弱いので金目を食べ過ぎ、しばらく、金目の味が体の中に残った。
・今日のメインは下田公園のアジサイを見ることと、西伊豆黄金崎の散策だ。
・アジサイ祭りは6月末まで、やや花の時期を過ぎていた。
・アジサイほど、時期おくれの姿がダサイ花はない。盛りを過ぎた女性の厚化粧崩れのようだ。
・公園内に下岡蓮杖の銅像があり、並んで、小学生の作った詩を刻んだ石碑がある。昭和59年、小学6年とあるから27年前、彼女も熟年になっている・・・・などと思いながらシャッターを切る。
アルバムを広げた
12年前の私がいた
あのころはかわいい顔をしていた
学校も勉強も宿題もなにもない
ちょっぴりもどりたいなー
お父さんの写真も白黒ではってある
まるまる太っている
私に似ているかな
日本ではじめて写真を考えた人
すばらしい人だなー
母がいった
下岡蓮杖という人だよ
アルバムにいる私
写真はひとつの物語をつくってくれる
すてきだな
すばらしいな
私の思い出を大切にしよう
下田生まれの蓮杖さんは
えらい人なんだなー
朝日小学校6年
石井さおり
昭和五十九年
・東日本大震災でも汚泥に流された被災者の写真がていねいに拾い集められている。思い出を集めているのだ。
・古いアルバムを引っ張り出して再び見ることはほとんどないが、あるから見ないので、アルバムが無くなったら見たくてしかたがない。
・亡き妻の写ったアルバムは、次女がアメリカに渡る時、全て持っていった。
・デジカメ時代になり、私のような素人でも気軽に写真を撮ることが出来る時代になった。
・下岡蓮杖(1823年~1914年)は、下田市出身で画家であり、わが国の商業写真の祖といわれている他、石版印刷、喫茶店、ビリヤード、牛乳製造、馬車屋などを興すなど、今で言えばヴェンチャー事業家だ。
・蓮根の杖をいつも愛用していたので蓮杖と号したという。銅像は杖と写真機を持った構図だ。あの蓮根がどうやったら杖になるのだろう?
・いきのいいアジサイを見つけてはクローズアップで写真を撮りすぎたので、黄金崎ではバッテリーが切れてしまった。
(2011.07.03)
・先日の血液検査の結果を聞きに、整形外科に行く。今はもう、痛みはなくなって自由に歩けるといったのに、電気治療器にかけられた。
・整形外科は、連日、私同様年寄りの患者でいっぱいだ。電気治療器をはじめ、いろいろな治療器具があり、これらの機器が仕事をしているようだ。半オートメーションで饅頭を作っている趣だ。
・痛みはなくなったので、電気は最も弱くしてもらった。
・施術終了後、先生から血液検査の結果を説明してもらう。通風だって。生活習慣を変えないと、また、痛みが再発します。特にビールはいけませんとのこと。1ケ月後に再度血液検査をするので、その間、節制するようにと、通風に関する小冊子を渡された。
・朝から気持のいい日曜日。思い立って、伊豆一週のドライブに出かける。2本の足で自由に歩ける喜びを感じながら。
・日曜朝8時から始まる稲取漁協の朝市で朝食。干物を試食させ、味噌汁をただで提供してくれるところへいく。釜飯と寿司が売り物なのだが、寿司の方がない。寿司を作る人が体調を崩していてるので売っていないのだという。2年前からだそうだが、前回寄ったのはそんな前ではないのにと思いながら、このごろ月日の経つのが早く感じるので、そうなのかしらん。
・おじさんが、タッパから金目を取り出して網に載せる。味噌汁に浸けているのかと問うと、そうではなく、金目の味噌漬けを水であらってから焼いているとのこと。味噌漬けをそのまま焼くと味噌が先に焦げてしまってうまくいかないが、水で味噌を洗ってから焼くとふっくらと焼けるのだという。これが金目の味噌漬けの食べ方のコツだとのこと。
・いままでは、こげるのを恐れて、アルミホイールに包んで焼いていたが、これからは、こちらの方法でやってみよう。
・連れは釜飯を注文したが、炊き込みご飯類はあまり好きではない自分は、別のところで、いなりずしを買い、ただの味噌汁と金目焼きでの朝食となった。ただという言葉に弱いので金目を食べ過ぎ、しばらく、金目の味が体の中に残った。
・今日のメインは下田公園のアジサイを見ることと、西伊豆黄金崎の散策だ。
・アジサイ祭りは6月末まで、やや花の時期を過ぎていた。
・アジサイほど、時期おくれの姿がダサイ花はない。盛りを過ぎた女性の厚化粧崩れのようだ。
・公園内に下岡蓮杖の銅像があり、並んで、小学生の作った詩を刻んだ石碑がある。昭和59年、小学6年とあるから27年前、彼女も熟年になっている・・・・などと思いながらシャッターを切る。
アルバムを広げた
12年前の私がいた
あのころはかわいい顔をしていた
学校も勉強も宿題もなにもない
ちょっぴりもどりたいなー
お父さんの写真も白黒ではってある
まるまる太っている
私に似ているかな
日本ではじめて写真を考えた人
すばらしい人だなー
母がいった
下岡蓮杖という人だよ
アルバムにいる私
写真はひとつの物語をつくってくれる
すてきだな
すばらしいな
私の思い出を大切にしよう
下田生まれの蓮杖さんは
えらい人なんだなー
朝日小学校6年
石井さおり
昭和五十九年
・東日本大震災でも汚泥に流された被災者の写真がていねいに拾い集められている。思い出を集めているのだ。
・古いアルバムを引っ張り出して再び見ることはほとんどないが、あるから見ないので、アルバムが無くなったら見たくてしかたがない。
・亡き妻の写ったアルバムは、次女がアメリカに渡る時、全て持っていった。
・デジカメ時代になり、私のような素人でも気軽に写真を撮ることが出来る時代になった。
・下岡蓮杖(1823年~1914年)は、下田市出身で画家であり、わが国の商業写真の祖といわれている他、石版印刷、喫茶店、ビリヤード、牛乳製造、馬車屋などを興すなど、今で言えばヴェンチャー事業家だ。
・蓮根の杖をいつも愛用していたので蓮杖と号したという。銅像は杖と写真機を持った構図だ。あの蓮根がどうやったら杖になるのだろう?
・いきのいいアジサイを見つけてはクローズアップで写真を撮りすぎたので、黄金崎ではバッテリーが切れてしまった。
(2011.07.03)
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