倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

【聖書】創世記22章1~14節 【説教】「主の山に備えがある」父の日 2018/6/17 説教:小林和子師 要約:大元鉄也

2018年06月17日 | メッセージ
【聖書】創世記22章1~14節
【説教】「主の山に備えがある」

14:それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。

主の御名を讃美します。

 本日は『父の日』礼拝です。父は子の鏡とも言われ、幼少期の成長に大きな影響を与えます。信仰の父と言われるアブラハムの姿から父親像を見てまいります。

 時は「これらの事の後」、さらにイサクが与えられひと段落した後の事です。
ある日神はアブラハムに声をかけられました。アブラハムは「ここにおります」といつものように応えます。今回神はアブラハムの信仰を試み、大事な大事な息子イサクを燔祭(神への供え物)として捧げるように命令しました。

 数日後アブラハムはイサクと共二人を連れて出立しました。そして三日目、アブラハムとイサクは共を残しモリヤの山へ登り、燔祭の準備をします。父アブラハムの後をついて登るイサクでしたが、何か疑問を持っていたと思います。なぜなら祭壇を築く一式、また燔祭を捧げるための火、刀、薪などはありますが、肝心の燔祭の捧げものがありません。イサクはその疑問を父にぶつけると父は「燔祭は神自らそなえて下さる」と応え答えました。

 守屋の山へ到着し、祭壇を築きます。アブラハムは既に年老いた老人、イサクは童というより青年だったと思われます。そのイサクを老人アブラハムが縛り燔祭として捧げる準備を続けました。青年のイサクは父より力が数倍あり、逃げようと思えば簡単な事だったでしょう。しかしイサクは父のするままにしました。そして父アブラハムが刀をイサクに振りおろそうとした瞬間、「わらべを手にかけてはならない。」とストップをかけました。うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がおり燔祭として捧げました。神自らが用意された燔祭でした。

 父が子を神に燔祭として捧げるため刀を下ろす。事実だけを見ると何と凶暴な父の姿です。が、父アブラハムは神を100パーセント信じ、全く疑う事なく信じきっています。そして神は必要なものを全て用意してくださるのです。その父の信仰をイサクは継承し、後のリーダーとして育って行くのでした。
「主の山に備えあり」。信じ切る信仰が何より大切です。

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーが語った事を筆者が感じ受け取った事を記しています。

報告と消息
○6月17日(日) 父の日礼拝でした。
○6月18日(月) ~19日、西日本ブロック教職セミナーが開かれます。
○6月24日(日) 愛餐会があります。その後役員会。
コメント
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