山に越して

日々の生活の記録

山に越して 遠景の向こうに 12-05

2014-10-25 15:00:11 | 中編小説

遠景の向こうに  

  雨足は行き交う人々を一瞬立ち止まらせていたが、後から後から押し出されるように駅前から離れていった。私は女に近付いて声を掛けたい衝動に駆られていた。幸子かも知れない。幸子であることを心の何処かで願っていた。

 二度と会うことのない幸子、もしも幸子であれば、失われた時を取り戻すことが出来るのかも知れない。平々凡々とした生活から抜け出せるのかも知れない。そんな浅はかな思いで女を見ていた。

  長い手紙だった。大学ノートに埋め尽くされた細かな文字に込められた一つ一つの別れの言葉・・・日々の記憶は薄れていくのに、時を経るに従って細部まで思い出すことが多くなっていた。忘れようと思っても、脳裡の奥深い所に残土のように残っていた。

 その日、廊下の長椅子に座り煙草を吸っていた私は、玄関から入って来る三人の姿に気付いた。二人の後に隠れるように付いてきたのが幸子だった。俯き加減に歩いていた幸子の姿に、眠らない子だな・・・と、そう感じた。和毛の可愛い壊れてしまいそうな子だった。幸子の全身に漂う雰囲気を一瞬にして知った私は、私のなかの忘れられていた憂鬱さを感じていた。

 幸子に何を求めようとしていたのだろう。失った青春の翳りを、熱情を取り戻したかったのか・・・教育実習の終了日だった。場所と日付の書いたメモを渡していた。幸子は何も言わず受け取った。その数日前のことだった。三人を前にして、『人を愛さなくてはいけない』と言った私は、『貴女を愛したい』と言い換えていた。幸子は直感的に感じていた。

 私は東京での学生生活も終わり、郷里の高校の教諭になり四年目が過ぎていた。何も必要としない生活、感情も感性も捨て、日常の中に埋没していた。そして、私の亡骸は仕事の中に捨てていた。考えることを止め感じることを止めた生活だった。既に幼い子がいた。幼い子と遊ぶことで良い父親だったのだろう。しかし日々が惰性だった。そして、惰性を変える必要はなかった。生きることを捨てたことで老いていく私を見ていた。

 愛することは、その人を永遠に許容する。その人のなかで生きることが、仮令悲しみの内に終わろうともそれが愛なのだろう。しかし人は愛することに疲れていく。愛する思いが薄れるのではなく、唯、疲れていく。そして、その人への愛を終わろうとする。しかし愛は深淵の底に、永遠の水圧に閉じ込められるように感じなくてはならない。愛することの辛さも、待つことの苦しみも、沈み行く過程で浄化される。瞬間が永遠となり、永遠は瞬間に凝縮されるように愛さなくてはならない。

 何故生きているのか、何故生きなければならないのか、私には分からない。しかし愛することはその一つの答えなのかも知れない。愛することに依って生きていることを感じていられる。しかし私の感性は仕事に情熱を感じることも生活に明日を感じることもなく摩滅していた。身体中を虚しい風が吹き抜けていた。この虚しさを癒してくれるのは幸子に会う時だけだった。一緒に眺めた景色、歩いた街、その一瞬一瞬のなかに幸子を感じ、生きていることを感じていた。幸子との、二人の生活を考えていたと言えば嘘になるのだろうか・・・家族を捨て、家を捨て、仕事を捨てる。そうすることで幸子の愛を得ることが出来たのだろうか・・・恐らく幸子は私を許すことはなかったのだろう。失われた生活の向こう側に愛があり、基盤を持たないことで愛の幻想に突き進んでいく。それは、内面を制する規範を持たないことや、錯綜する思いを押し遣ることで愛していると錯覚する。

 幸子への愛は出口のない泥濘に陥っていた。しかし私は単に臆病で、自分自身を鍛えるような確固とした思念を持つことが出来なかった。そして、愚昧な日常から抜け出すことをしなかった。幼い子のことを考え、仕事、家庭、幸子と現象面のみに捉えられ、その過程で堂々巡りをしていたのに過ぎない。幸子を苦しませることも、自分が苦しむことも怖れ、曖昧で無為な日常を送ることで確定的なことから逃げていた。幸子は、私の不明瞭な態度に不安定になっていたのだろう。そして、私の愛し方は幸子を執拗に追い詰め、青春を徒に浪費させたのに過ぎなかった。

 加速度的に過ぎていく青春を、内面の激しい葛藤を、最早摩滅した感性で捉えきることが出来なく、私の日常は煩わしい諸事に明け暮れていた。幸子の清純さは、妥協することも迎合することも許容しない。有らん限りの努力は始めから徒労に過ぎなかったのかも知れない。そして、そんな風にしか愛せない私の躊躇いを幸子は知っていた。何故、愛したのかと問われても今では分からない。生きることに疲れていた私は夢中になれるものが欲しかった。そこに偶々幸子が現れた。しかし私に残された最後の機会ではなく、幸子に出会えたことが始まりだったと気付くことはなく、真摯に自己に問い掛けていくことが、幸子に対する答えだったと、そのことに気付かないまま時が過ぎていた。

 実習が終わり幸子は帰っていった。私が渡した小さな紙片を握り締めていたのに違いない。それが幸子の生きる糧になり、私と出会ったことの証だった。幸子は私の愛を受け入れ、既に激しく葛藤していたのだろう。松本を去るとき、学校の方角を一瞬見たのかも知れない。花を語り、木々を語り、生きることの悲しみや寂しさを語っていた幸子だった。そんな幸子に私は苦しみだけしか残さなかった。



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