東京コンサルティンググループ・カンボジアブログ

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カンボジアへの進出をコンサルティングしている駐在員が、カンボジアの旬な情報をお届けします。

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カンボジア企業経営への心得

2018年03月27日 10時20分15秒 | カンボジアの経営

皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。             

さて、今回は「会社の社会的責任」についてお話しします。

我々の責任は会社内部だけにとどまることはありません。
必ず会社の外側にも責任が生じています。これを専門用語ではCSRと呼び、その企業の倫理的側面がCSRの取り組みの中に如実に現れます。

そもそもCSRは大企業や特別な企業のみが該当すると勘違いしている人も多いですが、それは全く違います。CSRはどんな中小零細企業でも社会に目を向けることで自主的に発生してくる類の責任であり、株主だけでなく大きな枠組みでのステークホルダーを意識することで自然に発生する責任です。

ある研究結果によれば、CSRは企業の利益と相関関係にあることがわかっています。つまり、両輪の関係で一方だけで成り立つということはありません。これはとても皮肉な、しかし面白い事実であり、企業利益や売上だけの追求が長期的に失敗につながることを証明しています。

さらにCSRには、企業の倫理的側面が如実に現れます。
キャロルのCSRピラミッドによると、CSRは経済的、法的、倫理的、そして自由裁量的責任という責任にカテゴライズされ、一番民度の低い経済的責任のみを捉える企業から、倫理的、自由裁量的責任といった民度の高い企業までピラミッド状になっていると報告されています。

それとは反対に、フリードマンによればCSRなど存在せず、「Business of Business is Business」であるという考え方もあります。

これ以外にもグレイ、オーウェン、アダムズなど様々な専門家が研究をしていますが、いずれにしても企業の倫理的側面がCSRに現れ、マネジメントの関心の輪が自ずと客観的に測られてしまうのです。

 

澤柳 匠


 

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カンボジア企業経営への心得

2018年03月20日 10時22分47秒 | カンボジアの経営

皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。             

さて、今回は「マネジメントの責任」についてお話しします。

働く人は、上司を選ぶことはできません。企業の成果に貢献することに真剣に取り組む人は、上司にも自ら以上の真剣さを要求します。有能な若い社員を配属された上司は、部下を持て余すことが多々あります。働く人は上司の能力がそれなりであることには納得ができますが、真剣さの欠如している上司には我慢ができないものです。
ドラッカーは著書で以下のとおり述べています。

「成果に責任をもつ者はマネジメントに対し高度の要求をする。マネジメントに対し有能たるべきことを要求する。心理学者としてではなく、マネジメントとして有能であることを要求する。真面目に仕事に取り組むことを要求する。自らの仕事に責任をもつことを要求する」
「責任とは難しいものである。自らが率先して負わないかぎり、他の者に要求しても無駄である。働く者は、組織の側が真剣であって、責任を負い、有能であると信じられなければ、自ら仕事に責任を負おうとはしない」

マネジメントは、常に自らの行動に責任を持たなければなりません。働く人は、マネジメントが責任を持つ限りにおいて、マネジメントの指示のもと精一杯の成果を作るべく貢献します。マネジメントが責任を取れないと感じたとたん、自らの責任において成果を作るべく貢献することはしなくなります。
「責任は部下の責任、成果は自らの成果」と考えるマネジメントの元では、真剣に仕事をする人はいなくなります。マネジメントの意識はこの逆でなければなりません。

「これ、旨くやっとくように」、マネジメントと働く人の関係が阿吽の呼吸での信頼感で結ばれているケースであれば、権限移譲ができており、理想的な上下関係かもしれません。しかし、ただ単に、マネジメントの仕事が忙しく、働く人の面倒が見れないだけのようなケースでは、働く人は、ただ単に、仕事をこなすだけが自らの仕事となってくのです。

 

澤柳 匠


 

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カンボジア企業経営への心得

2018年03月13日 11時54分16秒 | カンボジアの経営

皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。             

さて、今回は「商品群に関する問い」についてお話しします。

「我々の事業は何か」という問いは、普段からなかなか問うべき機会がない問いです。意識して問わなければ、問うことのない問いであります。しか し、それらの問いこそ、われわれに予期せぬものを教えてくれるものなのです。

ドラッカーは、予期せぬものを知るたに、「商品群に関する問い」を考えなければならないとし、この問いを以下のように述べています。

『 顧客の考え方や経済的な事情からして意味ある商品群は何か、何が商品群をつくるか。買うか買わないか、いかなるときに何を買うかを決めるのは消費者の知覚 である』

メーカーは、製品の競争力が製品の価値であり、顧客の欲するものと考えます。顧客は常に、メーカーの製品を横並びで比べ、機能で製品を選択し、価 格で購入を決定すると考えます。この結果、高機能製品を開発することになるでしょう。
次に、これらから順次機能を削除し、低価格版を製品化していきます。競合が追い付いてくると、価格は据え置いたまま、機能を追加して機能競争を繰 り広げていくのです。
こうして、だれも使わない、だれも使ったこともない機能が盛りたくさんの商品群ができあがっていきます。

メーカーは自らの理論により、これだけの機能がついているから、この製品は、価格相当である、この機能がついて、この価格なのだから売れるはず だ、となるのです。

一方、消費者は、この機能がついていれば十分とばかりに基本機能だけのシンプルな機能品を買っていきます。これを、メーカーは、この機能が付いて いるから、あの商品が売れたとばかり納得しています。こうしているうちに、後進国の開発した単機能製品が市場を席巻していきますが、それでもわが 社の商品は市場から支持されていると思い込んでいるのです。

こうして、メーカーの見ている売れる商品のイメージと消費者のイメージしている買いたい商品の落差は益々大きくなっています。そもそも両社の見て いる絵が違います。メーカーは、理性で製品の開発を行い、消費者は、感性で商品を買うのです。

 

澤柳 匠


 

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カンボジア企業経営への心得

2018年03月06日 11時30分58秒 | カンボジアの経営

皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。             

さて、今回は「存在意義に関する問い」についてお話しします。

「我々の事業は何か」という問いは、普段からなかなか問うべき機会がない問いです。意識して問わなければ、問うことのない問いであります。しか し、それらの問いこそ、われわれに予期せぬものを教えてくれるものなのです。

ドラッカーは、予期せぬものを知るために、「存在意義に関する問い」を考えなければならないとし、この問いをその著書にて以下のように述べていま す。
    •    いかなる状況が、わが社の製品やサービスなしでもすむようにしてしまうか
    •    いかなる状況が、わが社の製品やサービスなしにすまさざるを得ないようにしてしまうか
    •    わが社は、顧客の経済、事業、市場の何に左右されるか
    •    経済性か、物からサービスへの流れか、便利さへの流れか、それらの見通しはどうか
    •    それらのうち、わが社は、わが社にとって有利な要因を利用できるようになっているか

そもそもわが社の存在価値はどこにあるのか、どのような世の中の変化がわが社が顧客に提供する価値を意味のないものにしてしまうか、について意識 して考えてみなくてはなりません。

世の中の変化に無頓着でいることは、世の中でわが社の存在価値が低下していることに気が付かないことを意味しています。わが社が衰退の入り口を通 過したことに気づいていないのです。業況の悪化が続いているとき、いづれ景気とともに回復するだろう、などとのんきに構えていることに気づかなく てはなりません。世間からわが社の存在価値が無くなっていることに気がつかないでいるかもしれないのです。
 
マネジメントは、定期的に、「いかなる状況が、わが社の製品やサービスなしでもすむようにしてしまうか」を問わなくてはなりません。特に成功して いるときに、この問いを問わなくてはならないでしょう。
成功し、成長している時ほどこの視点が欠落し、わが社の行く手を遮るものはないように思えるのだと思います。

 

澤柳 匠


 

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カンボジア企業経営への心得

2018年02月27日 11時09分45秒 | カンボジアの経営

皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。             

さて、今回は「価値選好に関する問い」についてお話しします。

「我々の事業は何か」という問いは、普段からなかなか問うべき機会がない問いです。意識して問わなければ、問うことのない問いであります。しか し、それらの問いこそ、われわれに予期せぬものを教えてくれるものなのです。

ドラッカーは、予期せぬものを知るために、「価値選好に関する問い」を考えなければならないとしています。通常の市場調査や顧客調査では提起され ていない問いになります。これらの問いをドラッカーは以下のように述べています。

    •    ノンカスタマーは、他社から何を購入しているか
    •    それらの購入は、顧客とっていかなる価値があるか
    •    いかなる満足を与えているか
    •    それらの満足は、わが社の製品やサービスから得られる満足と、潜在的に競合するか
    •    それらの満足をわが社の製品やサービス、潜在的な製品やサービスが提供できるか
    •    わが社のほうが、よりよいものを提供できるか
    •    顧客がわが社から得ている満足は、顧客の生活においてどの程度重要か
    •    その重要度は今後大きくなるか小さくなるか
    •    いかなる分野において、顧客はまだ満たされていない新しいニーズないしは十分満たされていないニ-ズをもっているか

わが社の顧客層であるべき顧客が他社から買っている事実をとのように考えるべきかの視点です。ほとんど考えることもありませんが、わが社が提供す る価値に関する面で、有効な視点となります。

通常の顧客に行う市場調査では、調査対象にも乗らない顧客の意識でありますが、これらについても考えることが大切であることを指摘しています。
彼らの欲するもの、かつわが社にはないものこそ、わが社が意識しなければならない価値なのであり、わが社もそれらの価値を提供すべきか、それとも 別の価値で勝負するのかを判断するための示唆を与えてくれる。

 

 

澤柳 匠


 

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カンボジア企業経営への心得

2018年02月20日 10時10分24秒 | カンボジアの経営

皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。             

さて、今回は「提供しうる価値に関する問い」についてお話しします。

「我々の事業は何か」という問いは、普段からなかなか問うべき機会がない問いです。意識して問わなければ、問うことのない問いであります。しか し、それらの問いこそ、われわれに予期せぬものを教えてくれるものなのです。

ドラッカーは、予期せぬものを知るために、「提供しうる価値に関する問い」を考えなければならないとし、この問いをその著書にて以下のように述べ ています。

『ここまで来るといよいよ決定的に重要な問いが出てくる。「わが社の製品やサービス、あるいはわが社が提供しうる製品やサービスのうち、本当に重 要な満足を提供しているものは何か」』

わが社が提供している事業は、財やサービスなのか、財やサービスを通して何を提供しているのか、わが社の製品がどのような満足を顧客に提供しているのか、を考えることで、わが社の活動すべきフィールドが見えてくるのです。

コンビニは、飲み物や弁当、お菓子などを提供していますが、これらの商品を提供することで、顧客に対し、利便性を提供していると考えることができ ます。このとき、「コンビニが、本当に重要な満足を提供しているものは何か」と問えば、「利便性」と答えることになるのです。

 

日々業務に追われるとこのような問いはすぐ忘れてしまいがちです。しかし、特に上に立つ人間として、毎日、さらに毎時間でも問い直してみる価値の ある重要な問いでありますし、それを忘れた瞬間に経営者ではなくなってしまうのだと思います。

 

 

澤柳 匠


 

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カンボジア企業経営への心得

2018年02月13日 13時16分08秒 | カンボジアの経営

皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。             

さて、今回は「競争力の源泉」についてお話しします。

先週の週報でも書きましたが、事業の本質である顧客の創造について改めて書きます。顧客が創造できたときが、自らの事業を自らの独自なフィールド に展開できたときであり、この自らのフィールドに展開するために問うべき問いが、「我々の事業は何か」になります。

「我々の事業は何か」とは、普段は、なかなか問うべき機会がない問いです。意識して問わなければ、問うことのない問いです。しかし、それらの問い こそ、われわれに予期せぬものを教えてくれる問いであるのです。

ドラッカーは、予期せぬものを知るための次なる問いは、『まだ競争相手になっていなのは誰か』である、と述べています。
この問いをその著書にて以下のように述べています。

『わが社は、誰の競争相手にまだなっていないか。 わが社の事業の一部と考えていないために、わが社には見えていず、試みてもいない機会はどこにあるか』という問いである』

この問いは、「わが社」のリソースを棚卸することで見えてきます。

わが社の競争力の源泉であるにも係わらず、「わが社」の事業の核として位置づけされていないリソースです。「わが社」の長年の経験から培ってきた 「わが社」の事業の底辺を支えている、しかし、未だ気づいていないリソースです。

自らのリソースを棚卸しすることで、初めて見えてくる自らの事業の競争力の源泉となるべきリソースがあるだと思います。

 

 

澤柳 匠


 

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カンボジア企業経営への心得

2018年02月06日 10時20分02秒 | カンボジアの経営

皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。             

さて、今回は「誰が質を決めるか」についてお話しします。

事業の本質は、顧客の創造です。
顧客が創造できたときとは、自らの事業を自らの独自なフィールドに展開できたときとなります。この自らのフィールドに展開するために問うべき問い が、「我々の事業は何か」なのです。

「我々の事業は何か」を考えるとき問うべき質問は、「顧客はどこにいるか」、「顧客は何を買うか」、「顧客にとっての価値はなにか」です。当然、 事業の核となるべき顧客は、事業のあり方によって変わってきます。この顧客をいかに特定するかが、事業の成長、発展を決める鍵となるのです。

この事業の核となるべき顧客を特定するために、ドラッカーは、「質を決めるのは 企業ではない」を考えなければならないと、その著書にて次のように述べています。

「生産者が考える製品の質が、顧客にまったく意味がないことがある。メーカーは、製造する費用、使う技術の難しさから、価値を決める。顧客の関心 は『この製品は自分のために何をしてくれるか』で決まる」

 

澤柳 匠


 

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カンボジア企業経営への心得

2018年01月30日 10時33分42秒 | カンボジアの経営

皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。             

さて、今回は「優れた文化」についてお話しします。

ドラッカーは、「優れた文化を実現するために必要とされるものは行動規範である』と述べ、以下のように述べています。

『正しい組織の文化を確立するには、行動規範として次の五つが求められる。
 1.優れた仕事を求めること。劣った仕事や平凡な仕事を認めないこと。
 2.仕事それ自体が働きがいのあるものであること。昇進のための階段ではないこと。
 3.昇進は合理的かつ公正であること。
 4.個人に関わる重要な決定については、それを行う者の権限を明記した基準が存在すること。上訴の道があること。
 5.人事においては、真摯さを絶対の条件とすること。 かっそれはすでに身につけているべきものであって、後日身につければよいというものではないことを明確にすること。』

組織の構成員が組織の構成員として正しい行動するためには判断の基準が必要です。判断に迷ったとき、道しるべとなるべき判断の拠りどころとなる基 準が行動規範であります。

行動規範のない組織では、同じ表現で、別なことを考えながら合意に至ることが考えられます。このような組織は、考え方の食い違いが顕在化したと き、意見の相違があらわになります。そもそも、別な価値観で合意した結果に起こる悲劇なのです。

行動規範のない組織は、それぞれの経験から得た別々の考え方、別々の価値観で判断を行い、目先の方針について合意され、それぞれの行動を起こします。

行動規範を持つ組織は、行動に関する共通の判断基準持ち、考え方のよりどころとなる価値観の共有が行われています。そのため、その結果の合意についてその行動や、成果についての食い違いを起こすことはないと考えます。

 

 

澤柳 匠


 

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カンボジア企業経営への心得

2018年01月23日 16時24分10秒 | カンボジアの経営

皆様こんにちは、カンボジア駐在員の澤柳です。             

さて、今回は「従業員満足」についてお話しします。

ドラッカーは、次のような表現で、従業員満足を説明しています。

「仕事において何かを達成しているがゆえに満足な者がいる。逆に、大過なく過ごせるがゆえに満足な者がいる。何事にも不満をもつがゆえに不満な者 がいる。あるいは、より優れた仕事を行いたいがゆえに、自分自身やチームの仕事を改善したいがゆえに、さらにまたより大きな仕事をよりよく行いた いがゆえに現状に不満な者がいる。特に、最後のような不満は、あらゆる企業にとって価値ある不満である。仕事への誇りや責任感を最もよく表す不満 である。」

ここでは、ドラッカーは、満足には、2種類の満足、つまり「無関心による満足と、充実による満足」があるとしています。同様に、2種類の不満もあります。「何事にも不満である者の不満と、よりよい仕事を行いたいかゆえの不満」です。 

ドラッカーは、さらに、「満足の程度を判断する基準もない。いかなる程度の満足を満足として是とすべきかを判断する基準はない。従業員アンケート で総数の70%が「満足」として答えたとき、事業者は、この結果に満足すべきだろうか、」とも述べています。

従業員の会社への満足、不満足はいろいろなケースがありその判断基準は確かに明確ではありません。しかし、いずれの場合でも企業が働く人に対し要求するものは、実は満足そのものではなく、責任であります。

自らが行うことについては責任があるだけであり、自らが行うことについては常に不満がなければならず、常によりよく行おうとする欲求がなければな りません。

 

 

澤柳 匠


 

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