私,生まれて初めての人間ドッグに行ってまいりました。経過観察と継続治療とはいえ結構トホホな結果でした。今後「全検」の周期は短くなりかつ検査項目が増えてくると思います。人間は古くなってくるとランニングコストがかかってくることを痛感しました。
というわけで今日はランニングコストの小さい車両をチョイスしました。「この車両は在来車の47%の電力で走っています」(だったかな?)が謳い文句ですが京浜東北線では既に残り10編成を割って間もなく撤収という状況のようです。仙台車両センターのみならず一ノ関にも疎開されているみたいなので一度見に行ってみようかとも思っております。2枚目の写真,横を通り抜けるのは元祖省エネ電車です。
今日の鉄は鉄として致命傷となるべきミスを犯してしまいました。何とこともあろうか「カメラがない!」・・・カメラを自宅に忘れてきてしまったのです。気付いたのは現地に着いてからでして、さあ使い捨てカメラをどこかで入手するか,今日は見る鉄に徹し蕎麦を食べに来たんだと割り切るか、どうするか悩みました。結論は「一か八か携帯で撮る!」ことにしました。
とにかく画質を極力上げ,シャッターのタイムラグを予測してシャッターを切ることを心がけましたが通常のカメラと違い液晶画面を見ながら構図を決めなくてはならず外だから周囲が明るいため画面が見づらいので,何とか空と区別がつく山の稜線などで構図を決めたりとかなり苦労しました。連写は不可能でかつ1枚撮ったら保存かけないとパーになるので後追い不可能の1発勝負でした。
1枚目は新鶴付近,トリミングかけています。編成は入りましたが予想以上に下向きでした。後追いもやってみましたが上記理由によりシャッターが切れる状態の時列車は既に相当遠い位置で到底出せるような写真ではなかったです。2枚目は滝谷付近,トリミングなしですが元画像はカラーで,編集して白黒バージョンを作ってみました。果たして「30年前に撮りました」と言ったら騙せるでしょうか?ちなみに2枚とも2Lプリントかけましたが,見られる状態ではあるもののやはりD300には負けます。それでも携帯カメラは高速走行列車でなければ限界はありますがある程度使えることが分かりました。
うーん,カメラ忘れるなんて自分ついに来ちゃったかな?
月曜日から水曜日までカメラ持参で通勤しておりました。
月曜日は松サタ様が目撃した駅で撮影。火曜日と最終水曜日は下馬駅まで行って撮影。ところが最終日は何か最後だというプレッシャーがあったのか下馬では失敗しました。1枚目の写真は火曜日のものです。その後先行列車で多賀城へ行き多賀城の進入を撮影。と若干の遅れがあった模様。どうせ会社向かうのに駆け足になるんだから、と苦竹で降りてラストショットが3枚目です。
自分の青春時代を共に過ごした?仙石線の103系,さようなら。そして本当にありがとうございました。103系は後は廃車回送を待つのみですが去った後は205系の天下になります。仙石線の205系は結構個性車のそろい踏みです。新しく来たM19編成も既存の編成から小さいながらも変化があるようですし。
最後の自力回送,配給輸送は???情報が分かったとしても撮れるか否か・・・。ここ毎日帰宅は21時過ぎナリ。
今日は鉄道の日ですが・・・結局朝に103系に乗り通勤したのみで業務に追われ実感なく終了でした。
レアもの?快速松島海岸行です。この時既に205系投入が始まっていた時で宮城北部地震の暫定ダイヤでたまたま快速に入ったものでした。
RM90編成のクハ103-583です。既に自連に付け替えられていることが示すとおり廃車回送時です。
205系投入は置換え両数の割りに改造が伴ったせいか新製車投入で置き換える他線よりも遅かったですがそれでも次々と置き換えられ,郡山工場最終全検出場のRT105編成
が去り,最後にRT235編成が残りましたがそれも去り,これで103系は終わる,かに思えましたが何度か行き来して2年くらい郡山に留置されましたが御存知のとおりその後運用変更による予備車確保のため復活しました。平日朝のみの運用に就くという状況で今に至ります。
最後にこの黄色い103系,これは習志野電車区への209系投入で余剰となったもののATS-Snが搭載されていたことから廃車前に仙石線の地下区間開業前の新線訓練運転用に貸し出されたものでした。首都圏ではこちらへの貸し出しが当時相当な話題になっていたようです。この両端クハは有名な試作冷房車でした。残念ながら動いている姿を見たことはありませんでした。
そういえば昭和56年の塩釜地区の高架化の時は訓練運転にクモハ12040が使われていました。
今日はあの忌まわしい平成6年9.22水害の助っ人車(橙色車,黄緑車)と,青色で冷房改造されて残っていた車両(RM144編成)が置き換えられることとなったものの投入すべき車両が入るまでのつなぎとして入った車両(黄色車)という,異色車です。水害助っ人編成はよく見ると本来下り側につくジャンパ栓が上り側についており,編成が通常と逆編成になっております。これだけ突然の災害での車両不足で即輸送力を確保しなければならないという急ぎの投入だったということでしょう。この他にも異色車はあり,結果的に103系の殆どの色が走りました。ただエメグリ色だけは走ることはなかったですね。
9.22水害で浸水した多賀城駅も高架化工事が進み,間もなく上り線が供用開始となるようです。103系はこの高架新線を通ることはなさそうです。
103系とは約30年の付き合い故、話のネタは尽きませんが・・。この写真は103系改造105系です。珍しく4連で快速運用に就きました。この頃から2連では厳しいことが多くなっていたようです。
これはあおば通地下化開業で見られなくなるであろう特別快速仙台行です。地下化後「仙台」の行き先表記が「あおば通」に変わりましたが、これまで上り列車の行き先が「仙台」2文字だったため、慣れとは恐ろしいもので上り列車が4文字の行き先というだけで戸惑ったものでした。 そういう戸惑いの声が予想以上に多かったのかその後「仙台・あおば通」と併記されるようになりました。
105系を置き換えたうちの1編成がこの編成です。スーパーベルズの車内ライブ?の臨時列車で、HMは何とあのスーパーベルズの野月氏が作成したとか?
次も体力とネタあったら103系行きます。気が変わったらその限りではありません。
仙石線に残っている103系が老朽化及びATACS導入によりついに引退するようです。平日朝のみ動いている状態ですが来週の土日は久しぶりに石巻まで入るようです。思えば小学校の頃,それまで黄緑色の73系のみだった仙石線に水色の「走行音が明らかに違う」車両が来ましてそれが103系でした。その後アコモ改造車は暫く残ったものの昭和60年3月で完全に103系化され、その後105系も入りました。この時はクモハつきの初期型で冷房つきは105系を除くと1本のみ,非冷房車がメインでしたが平成に入り首都圏から冷房付きの後期型が更新工事を受けて転入、この時仙石線初のモハ103が登場,従来の水色車を置き換えていきました。あおば通開業後も暫く103系の天下が続きましたが今度は205系が転入,全車置き換えたかのように見えましたが多賀城駅高架化工事に伴う所要車増により約2年のブランクを経て平日朝のみながら復活し今に至っております。車両のチェンジはありましたが通算約30年間仙石線を走ってきましたがついに今月で引退とのことです。それはイコールJR東日本管内から103系が完全消滅することにもなります。
次回以降も103系続けたいと思います。