昨日は飯田橋にあるトッパンホールに室内楽を聴きに行きました。Kiinaのライブがない隙を狙って、あれこれ興味を持ったものをつまみ食い(笑)。
駅から少し遠いのですが、ホールは会社帰り風の方たちでほぼ満席でした。綺麗で素敵なホールです。
↓この先は少し長いので、ご興味のある方だけおつき合いください。
帰宅した時に、ちょうどNHKで「映像の世紀〜バタフライエフェクト〜」が放送されていました。
世界的なヒットを連発し大人気だったエルトン・ジョンが同性愛を糾弾され世間から抹殺されかけた時に、救いの手を差し伸べたのが故ダイアナ妃だったと。
初めからから破綻していた結婚生活と、それでもプリンセスであることを求められる苦しみの中で、ダイアナ妃は常に少数者に心を寄せ、エルトンと深く共鳴し理解し合った、その姿勢がイギリスの法改正への大きな力になったと番組では紹介されていました。
ひるがえって、我が国の実情とKiinaのことを考えました。
下村先生ご推奨の映画「エゴイスト」を観た時に、映画の内容にはとても感動したのですが、なぜ「エゴイスト」というタイトルだったのか、映画だけでは理解出来なくて、高山真さんの原作をAmazonで取り寄せました。
映画では語りきれていなかった主人公の心情が詳細に綴られていました。
この小説は、雑誌の編集者をされていた高山さんが、亡くなった同性の恋人とそのお母さんとの交流の実話を小説の形で世に出したものだそうです。昨年映画化が実現した時には高山さんご本人は既に故人になられていました。
なので、この文庫本の後書きは高山さんではなく、映画の中で高山さんがモデルになっている主人公を演じられた鈴木亮平さんが書いていらっしゃいました。
鈴木さんが役を引き受けるに当たって、どれだけ深く生前の高山さんを理解しようとされたかが分かる、誠実で知性に溢れた文章でした。
そして、最後に「中学生の浩輔のように自らのセクシャリティを理由に命を絶つ選択を考えてしまうような少年少女が、この国から、この世界から一人もいなくなることを私は望みます」「そのためには私を含めた社会全体の意識の変革、教育や制度の改革が必要だと感じています。その変革への一助に、この本が、この映画がなってくれることを強く願っています」と、鈴木さんは綴られました。
この言葉…
Kiinaが、「メトロノーム」に同じ願いを託していましたね。「You are you」や「魔法にかけられた少女」にも。
すべてKiinaから発信される詩には「自分のような辛い思いをする子どもが一人でもいなくなるように」という切実な思いがこめられています。
エゴイズムとは何でしょう。
Kiinaが「本来の自分はこうである」と、胸を張って生きていくことは、ファンを裏切る行為〜エゴイズムだったのでしょうか。
Kiinaはいきなり今の外見になったのではありませんよね?ゆっくり時間をかけて、言葉を尽くして、世の人に理解を求めていきました。
その時間の長さというのは、これまでそれぞれがKiinaに抱いていたイメージを修正した上で、それでも支持していくかどうかをファン一人ひとりが自分自身に問いかけるのに必要な時間だったと思います。
Kiinaの変化に対して戸惑いを抱いたファンは決して少なくなかったと思います。
でも、その戸惑いの中で迷い逡巡しながらも、Kiinaのこれまでの発言を反芻し消化して、この先もKiinaを応援していくと決意されたファンが大勢いたからこそ、世間はKiinaの今の生き方を「ファンが受け入れているのであれば」と認めてくれている部分があるのではないでしょうか。
世間というものは、常に風向きを見ているもの。あの時もしも多くのファンがKiinaに背を向けてしまっていたら、「それ見たことか」と指を指して笑っていたかもしれません。
私のように「きよしくんでもKiiでも Kiinaでも、中身はおんなじ。どんな名前でも薔薇は薔薇」と単純に割り切れる人間はいつでも一定数存在します。
大事なのは、迷いの中で自分で考え、最後に「この人について行こう」と決めた人がどれだけいるか。
旧弊な常識や差別意識を破っていくのは、鈴木亮平さんが書かれていた「社会全体の意識の変革」をもたらすのは、きっとそういう人たちの力だと思います。
それでもKiinaを「自分勝手。エゴイスト」と非難される方は、あなたの思い描いたイメージのままでいてくれる歌手を応援すればいいだけです。よねッ?