一昨日(14日。日付をまたいで書いているので)は仕事のあと湯川れい子先生の木曜塾に参加して来ました。講演会ゲストは加藤登紀子さん。湯川先生とは8歳違いでいらっしゃるそうです。
お話しの冒頭、それぞれの戦争体験を。
湯川先生は敗戦直後、お母様から「アメリカ兵に辱めを受けるようなことがあったら、その時は」と自害の仕方を教わったと。加藤さんは2歳の時に旧満州のハルピンから引き揚げて来られました。
そこから戦後日本に入ってきた洋楽のお話に。湯川先生はアメリカンポップスへ、加藤さんはシャンソンへ。「私は何となくシャンソンを敬遠していた」と湯川先生。
マレーネ・ディートリッヒとエディット・ピアフのお話し、パートナーでいらした藤本敏夫さんとの馴れ初めと熱いロマンス、「知床旅情」との出逢い、ジョージアでのコンサート、「百万本のバラ」のこと…
お話しは尽きません。90分という時間が4時間にも5時間にも感じられるほど凝縮されたひと時でした。
私の兄が昔、藤本さんが初代のリーダーをされていた「大地を守る会」で働いていたことがあって、その頃何度か加藤さんのコンサートに足を運んだことがありました。
そんなこともあって、藤本さんとのロマンスを加藤さんが何のてらいもなく、まるで昨日の夜のことのようにお話しされるのがとても新鮮でした。
ロシア軍によるウクライナ侵攻をきっかけに、加藤さんは昨年10月「百万本のバラ」のルーツでもあるジョージアを訪ね、そこでコンサートも開催されました。NHKのドキュメンタリーをご覧になった方もいらっしゃるでしょう。
「『百万本のバラ』はロシア語の歌だから歌えない」という声が現地では高まっているそうです。加藤さんは会場に来てくれた若い人に「あなたはここでこの歌を歌わない方がいい」とおっしゃったそうです。
歌への思い、平和への思い、自国を愛する思い。何層にも重なって絡み合う一人ひとりの思いの重さ深さを、加藤さんのほんの数分のお話しから垣間見た思いでした。
トークの最後に「悲しき天使」(メリー・ホプキンのヒット曲ですが、原曲はロシア語)と「百万本のバラ」を歌ってくださいました。
「歌で伝えたいことが、まだまだ沢山ある」。80歳の加藤さんからそんな熱量がビンビン伝わってきました。
Kiinaはまだこれからですよね?
どうしても歌で伝えたいことが沢山あるのでしょう?
待っていますよ。