夜、最初に担任を持った臼田高校の教え子達が、私の退職記念の祝賀会を開いてくれました。
場所は、佐久グランドホテルです。
非常に丁寧な会、ありがたく思いました。
教職に就いた甲斐がありました。「教師冥利」という言葉もありました。まさにその通りです。
教職に就いて、ほんと、よかった。悔いのない教師人生でした。
昭和60年(1985年)4月から3年間、受け持った生徒達です。
もう40台も後半、もうじき、50代になる世代です。
今でも、一人ひとりを名簿順にそらんずることができます。
当時の名簿は、男女別、あいうえお順でした。
浅川・池田・井出・伊藤・岩月・江原・岡部・沖津・木内・菊池・菊原といった感じです。
初めての担任ということもあり、張り切っていたのだと思います。
今では、ある意味、問題となるかもしれないと自他共に認める、「熱血教師」でした。
その教え子達の子どもを、野沢北高校で、校長として見守ってもいます。今では、「熱血教師」としては、指導はしていませんが。
昨年末に、「同級会をするから、先生の都合のよい日を教えてください」と連絡があり、1月になって、クラスの生徒名簿をもとに、出欠席を取ったようです。
以下に示す万年筆は、この教え子たちが、卒業式の日に、私に贈ってくれた万年筆です。
あれから、30年、大切に使っています。また、この万年筆を使うと、教え子たちのことを思い出します。
この話は、かつて、この校長日記にも記しました。
今回も、退職記念に、万年筆を贈ってくれると聞いていました。今度いただいた万年筆も、末永く大切に使いますね。
30年前に贈ってもらった万年筆
この万年筆、きっと、お小遣いから捻出したんでしょう。
今回の万年筆
それなりのものです。
みんな、ありがとうございます。
最後に記念撮影
岩村田高校で担任をした生徒達も、4月29日(月)、佐久平プラザ21で、退職のお祝いをしてくれると連絡がありました。
平成6年(1994年)4月から3年間受け持った、こちらも思い出深いクラスです。
こちらの生徒諸君も、「不惑」を迎えます。
この校長日記でも、このクラスの教え子たちが、校長室を訪ねてきたことを記したことがありました。
こちらも、名簿順に今でもそらんずることができます。
相澤・内津・大澤・小澤・小林・島崎・関谷・高橋・角田・永原・浜口・平林といった感じです。こちらもまだ、男女別の名簿でした。
卒業以来20年以上経っているわけでして、その成長ぶりをみるのが楽しみです。
実は、私、教師生活で、3回しか担任を持っていませんでして、最後に担任したのが、小海高校でのクラスでした。平成11年(1999年)4月から平成14年(2002年)3月まで受け持ちました。
このときは、男女混合名簿でした。
彼らも、30代半ばになるんだなぁと、この校長日記を書いていて、思った次第です。
高校の教師をしていて、一番思い出に残っているのは、大変だったけれども、担任をしていたころのことです。