先日アップした大根の切株から新葉が育ち、花が「咲くかなぁ」と、咲く方に期待を込めて書いた。それから翌々日の朝、頭部から4分の1のあたりで折れていた。夜の間に静かに頭をたれたのだろう。花は咲かないが伸びた伸びたと見ていた、頭部の重さに耐えれなくなったのだろう。少し傾いたかなとは気づいていたが、手立てしなかった。
大根の切株を水を張ったガラスの容器に置き、窓辺に置いた。「新葉が出た、それが伸びた」と、子どもの夏休みの自由研究気取りで観察していた。きっかけは、同じようにした大根の切株から新葉が覗いたので、よし観察してみようと新しく始めた切り株観察だった。結果として切株には苦しい仕置だったろう。退職者の身勝手が済まぬことをさせた。
内容は変わるが大根の話。店頭に並んだ大根は、長い葉の付いた1本売りだった。高齢の男性が「半分に切ったのはありませんか」と店員に問いかけた。1本は夫婦では大きすぎるし多すぎる。店員は「待ってください」と店の奥に。店を出るときに、葉を落とし半分になった大根が並んでいたるのを見た。店の計らいに拍手。
咲くかどうか、短い間だったが昔に戻った気にさせてくれた大根の切株、根元を洗い勤めの終わりとした。物言わぬまま「何とか生きよう、伸びよう」とする自然力に改めて敬意を表したい。ともすると歳だから高齢だからという気になりがちな思いを反省させてくれた大根の切株だった。
(今日の575) 焼き魚大根おろし欠かせない