ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いおやじの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

真夜中のカーボーイ

2010年06月22日 | なつかシネマ篇
最近のメジャーなハリウッド映画ではめっきりお目にかかれなくなった社会的マイノリティを演じさせたら、ダスティン・ホフマンの右に出る俳優はおそらくいないだろう。ゲイでビッコで肺病もち、しかもチビで一文なしときたら、普通の俳優なら映画会社からオファーがきても間違いなくお断りするにちがいない超汚れ役だ。有閑マダム相手の男娼を夢見てニューヨークにやってきた何ちゃってカウボーイ・ジョー(ジョン・ボイド)と、ちんけな万引きと詐欺&不法侵入?でかろうじて生計を立てているラッツォ(ホフマン)の交流を描いたアメリカン・ニューシネマの秀作である。

金を騙しとられたお人好しのジョーがラッツォと再会するシーンがよい。金を返せとせまるジョーがラッツォに靴を脱いでみせろと言う。それまではさほど貧乏に見えなかったラッツォだが、真っ黒な靴下は穴だらけ、そこから汚れた足の親指がこんにちわしているこのカットだけで、ラッツォの生活ぶりがあらわになる演出が特に気に入っている。ニルソンの“うわさの男”をBGMに、トランジスタラジオを抱えながらニューヨークの街を練り歩く“うわさにならない男”役がはまっている若きジョン・ボイドのとっぽい演技も魅力的だ。

空き家となっているアパートの一室で、ゲゲゲ一家よりもさらにひどい極貧生活を送るラッツォとジョー。寒さと飢えで日増しに弱っていくラッツォとは対照的に、ウォホールと思しき人物から誘われたマリファナ・パーティで、ジョーは金持ちのお嬢さまと知り合いお持ち帰りされてしまう。パーティに同伴出席したものの、明らかに場違いなラッツォ。半ばヤケクソ気味にテーブルに並べられたサラミやセレブ出席者のコートからサイフを失敬しまくるあわれな姿が、なぜかいとおしく見えてしまうのである。

最近のハリウッド映画は、アメコミ・ヒーローものか、セレブおばさんのロマコメ系、はたまた腐敗した組織を浄化する兵士や刑事ものとほぼ相場が決まっている。アメリカ全体が豊かになったせいか、そういう映画が制作側の意向で撮れなくなっているせいなのかはわからないが、大衆が本来感情移入しやすいはずのマイノリティを扱った映画、ミニ・シアター以外では本当に見る機会が極端に少なくなっているのが現実だ。

バブルに浮かれたり、ありもしない正義を語るのも結構だが、サブプライム・ショックで夢から醒めたであろうアメリカ人にこれ以上の幻想をみせたところでもはや意味がないのは明白である。「映画は死んだ」と言われて久しいが、本作のような内省的な映画が再び出てきてもおかしくない時期にアメリカもそろそろさしかかってきていると思うのである(自分が見たいだけだったりして)。“貧困”というこの世に残された唯一の真実から目をそむければそむけるほど、映画は現実と同じぐらい嘘っぽく見えてしょうがないのだ。

真夜中のカーボーイ
監督 ジョン・シュレシンジャー(1969年)
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