かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

自問自答の楽しみ。

2018-01-28 | 気ままなる日々の記録

  いい歳とは言えまだしばらくは思考力は残されているようで、1日24時間個室のベッドに横たわって気の向くままに考え事をしていると、結構楽しいものである。こんなことを呟いていると、毎日会社にでかけ、会社の利潤向上のために働いておられる若い人に叱られそうですが、まあお許しいただいて年寄りの独り言を聞いてやってください。ここ数日無い知恵を絞って考えていたテーマに「5~6千年前、アジヤ大陸に麦を栽培する農業が普及して、収穫した麦を粉にし貴重な食料にする文化が普及したのだが、アジヤ大陸の東側では、それが、うどんになり、西側ではパンになった。この違いは何処から生まれたのだろう」と云う疑問だった。

 広大な大陸の東ではうどん、西ではパンに加工された。そしていずれも人類にとって大切な食料の王様にまでのし上がった。小麦をすり潰し粉にするところまでは同じであったのに、どこでどう別れて一方はうどんになり、他方はパンになったのか、そこが分からなかった。今日的にはこうしたことを研究する分野を「文化人類学」というのだろうけれど、オソマツ君の若い時分にはそうした視点は無く、ただ時代区分によって縄文時代から、やよい時代に入りやがて、鉄器時代とともに中央集権的な小国が乱立し戦争を繰り返し巨大な王朝国家が出現した。と云うように教えられた。いわゆる「狩猟採集の時代」である。

 

 ところで、昨夜ふと気が付いたのだが、当時は横穴式住居で、人々は急峻な山のふもとに自然にできた横穴の奥に入って雨や風をしのぎ、穴の奥には常に火を焚いていて暖をとり、食べ物を煮たり焼いたりしていた。人々にとって大切なものは各家庭で守られていた火種であったと思われます。ところで、パンとうどんの違いを生んだ自然条件は、昨夜ふときずいたのだが、近くで石炭が沢山手に入ったかどうかであったのではないだろうか?此の点ヨーロッパの方は炭田が豊富で案外簡単に石炭が手に入り、調理も「焼く」調理法が普及しアジヤの方はアジヤモンスーン地帯を中心に薪としての枯れ木を転移入れることが容易で煮る調理法が中心になった。一方石炭が身近にある過程では簡単に焼くことができます。従ってヨーロッパの調理法は焼くことが中心になり、ステーキが中心になったのではないかと思われます。一方アジアでは、同じ牛肉でもステーキするのではなく鍋で煮ていただきます。今のところパンとうどんの違いを生んだのは石炭の有無だったろうと考えています。蛇足ながら、其処の浅い鉄製の鍋に牛肉を入れ野菜やこんにゃくをいれたものを「すき焼き」と云っていますが、その名前の由来は知りません。料理の呼び名は地方によっていろいろあって、面白い。お正月の「雑煮」にアンの入った餅を入れる地方があるそうで、面白い。これについてのエピソー度は次回に書きます。以上。

 

 

 


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1 コメント

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うどんとパンの話? (your fried T.S.)
2018-01-29 10:33:27
小麦粉から うどんとパン がそれぞれ作りだされた
話、大変面白いですね。人類にとって 最初のエネルギーである火の使い方から 焼く と 煮る のちがった方法が パン と うどん になったのですか
楽器も中央アジアで生まれた弦楽器が西へ行ってバイオリンやギターなどになり東へへ伝わって琵琶や三味線 などになったのでしょうね。

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