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戦時中の週刊誌「週刊毎日」から

2007-08-28 04:30:06 | Weblog
戦時中の週刊誌「週刊毎日」から

最近、神戸の古書店から「週刊毎日」誌のバックナンバー1冊を1000円で購入した。この雑誌は、戦時中の発行。1943年(昭和18年)2月28日号である。発行元は大阪の毎日新聞社、定価は15銭であった。戦時中の雑誌であり、全38ページとの薄っぺらで紙質も悪い。表紙には梅の花が描かれ(「早春」牧野虎雄画)、右端には「一億が国の手となれ足となれ」という戦時スローガンが書かれている。

ところで、「週刊毎日」という誌名には、違和感を感じるかもしれない。この雑誌は、大阪毎日新聞社(現毎日新聞社)が、1922年(大正11年)に創刊した「サンデー毎日」の、“戦時中の仮の姿”である。敵国語である“サンデー”を避け、1943年2月7日号から、誌名を「週刊毎日」と改めたのだ。同じ頃、野球用語も改められている。「ワンストライク」は「よし、一本」、「三振」は「それまで」、「ファウル」は「もとい」といった用語が使用されていた。「週刊毎日」への誌名変更については、野村尚吾『週刊誌五十年』(1973年、毎日新聞社)が詳しい。ところで、日本で最初の週刊誌はこの「サンデー毎日」。続いて朝日新聞社の「週刊朝日」が発行された。何れの雑誌も(東京ではなく)大阪で発行されたというのも興味深い。「サンデー毎日」が創刊された1922年といえば、関東大震災の前のこと。朝日、毎日ともに”大阪の新聞“であった。関東大震災により、東京の新聞社が壊滅的被害を蒙った。このチャンスに乗じて、朝日、毎日2社の東京進出が本格化する。そんなこともこの『週刊誌五十年』は伝えている。奥付と「あとがき」によると、著者の野村尚吾は1912年富山市の生まれ。早稲田大学英文科を卒業して1941年に毎日新聞社に入社、1967年に定年退職している。新聞社時代の3分の2を「サンデー毎日」の編集に携わった。

古書店の通信販売目録には「週刊毎日」が、10冊がリストアップされていた。その中で1943年2月28日号一冊のみを購入したのには理由がある。僅か1行のコメントの中に“冨澤有為男”の名前があったからだ。『芥川賞小事典』(1983年、文藝春秋社)等によると、冨澤有為男(とみさわ・ういお、1902-1970)は、小説家であるとともに帝展入選歴がある画家でもある。1919年に東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学したが1920年に中退し、新愛知新聞(現中日新聞)に漫画記者として入社する。1927年にフランス留学の途につく。パリ、カンヌ等で絵を学び、1929年に帰国した。1936年8月に発表した「地中海」で、第4回芥川賞を受賞した。1970年に『冨澤有為男選集』が出たとはいうものの、冨澤有為男は著名な作家とはいえない。私が関心をもったのは、少年時代の記憶からである。昭和20年代後半に発行された「少年クラブ」に連載の「あこがれの運命船」。その作者が冨澤有為男だった。この作品については小著『時間創造の達人』(1996年、丸善ライブラリー)に言及しておいた。ご関心の向きは、そちらを参照願いたい。