T's Essay

東京の某大学で教員をしています。世界各地から来る学生、教職員とともに、議論し、考え、研究をしています。

仕事の波、社会とのかかわり、そして自分の夢

2017-08-05 00:40:20 | 社会
久しくブログを書く余裕がなかった。ほぼ5年ぶりといっていいだろう。これからは少し広い世界との接点を保つためにも、少しずつ気が向いたら書いていきたい。

仕事には波がある。1日にも、1週間にも波があり、1学期間、1年間にも波がある。さらに大きく見れば数年の単位で波が来ているし、後で振り返ればもっと大きな波もあるのかもしれない。

昨日まででようやく今学期の授業の片付けも終わり、事務処理がいくつか残ってはいるものの、急ぎの案件は概ね片付けた。今年の夏はこの数年では、いちばん研究や執筆に励むことができそうな気がする。この5年を振り返ると、新しい教育プログラムの立ち上げに伴い、その一部としての日本語教育プログラムを立ち上げた。立ち上げから2年ほどは授業のための教材作りに追われていた。2014年ごろから、当初は管轄外であった交換留学のプログラムも担当することになり、ほどなくその交換留学プログラムが学部規模から全学規模に広がった。ほぼ時を同じくして、全学的なカリキュラム改編が始まり、その機に乗じて日本語教育プログラムもよりよい形に作り直した。改編の真っ盛りだった2015年ごろはいちばん仕事がきつかった気がする。いま、ようやくそれが軌道に乗り始め、落ち着きつつあるところだといえる。それでようやく少し物理的な余裕と心の余裕が生まれてきた感じだ。

相変わらず研究プロジェクトをたくさん抱えているので、落ち着いているとは言いがたいが、ときどきこのまま人生を先に進めて、終わっていいのかなと思うこともある。とりあえずの目標はこれまでに取り組んできた仕事をまとめて、研究業績を積み上げ、いずれはどこかの大学院の博士課程で自分の仕事を受け継いで発展させる人材を育てることである。これに関しては、もう何をどうすればよいか、だいたいわかっているし、数年はかかるが現実的な目標として見えている。

でも、昔からの夢みたいなものは心のどこかでくすぶっていて、人生を終えるまでにはそれに手をつけてもいいのではないかとも思う。高校生のころから大学を出る少し前までの数年間はジャーナリストになりたいと思っていた。紛争地を取材して平和の構築について考えるためのニュースを届けるような仕事がしたかった。いまでも自分は山本美香や伊勢崎賢治、あるいは安田菜津紀のような人間になりたかったのではないかと、少し心がうずく。家族ができてからはその考えを少しあきらめた。危険な仕事をとめられるからだ。危険な場所ではなくてもいいから、アフリカや中東には、折を見て、ぜひ行ってみたいと思う。

小説家になりたいという夢を持っていた時期もある。高校生のころから、なんとなく物書きになりたいと思っていた。ジャーナリズムにも関心があるが、文学にも関心があった。(自分がなりたいのは辺見庸だったのか。)国語よりは社会や英語のほうが好きだったが、大学で国語国文学科を選んだのは、中学や高校の教師になるなら英語や社会よりも国語のほうがおもしろそうだと思ったからでもある。文学はジャーナリズムに比べれば、いつでもできる仕事かもしれない。文芸創作は時間ができたら手をつけられる現実的な夢だろう。実は大学で毎年、創作を教えている。自分で書けなければ創作を教える資格などあるだろうか、とも思う。好きな作家である柴田翔、辻邦夫、福永武彦などは、みな大学の先生だったし、いまでも小野正嗣のように先生をしながら小説を書く人もいる。ただ、この先生たちはご専門も文学だから、自分とは少し違うのかもしれないが、少しでも近づけたらと思うし、日本語教師としてわかりやすいことばで文学をつむぐというスタンスもあるだろうと思う。

もう一つやってみたいと思う仕事がある。政治の世界に飛び込むことである。今の政治状況には大いに不満があるし、世界を少しでもよいものに変えたいと思うなら、政治の世界の飛び込むのは最も直接的な方法であるように思う。中学校では生徒会の副会長や会長をしたが、このときのリーダーシップの経験はほかの多くの仕事にも生きている。副主将、副会長、副幹事長など、どちらかというとナンバー2で実務を動かす経験のほうが多かった気がするが、現実を動かせれば肩書きは何でもいいのだ。政治の世界に入って自分がいちばん能力を発揮できるのは、やはりいままでの経験から考えれば教育の分野だろうか。ただ、政治の世界に入ると、やはり家族にはかなり迷惑をかけることになりそうだし、一人で何かを変えられるわけでもなく、この年齢からでは遅いような気がする。言論で政治に切り込むことはできるかもしれないが、議員としてこの世界に入るのはおそらく無理というか、自分がやりたいような方法で政治と関わるのは、現状では難しいだろうと思わざるを得ない。

しかし、もう子どもも来年には大学を出て就職するし、これからは自分のやりたいことをこれまでよりも自由にできるかもしれない。まずは今の研究・教育の仕事を、きちんとした形でまとめたい。そして後進を育てたい。チャンスがあれば、言語や言語教育だけでなく、広く社会的な問題について発言できるようになりたい。もう少し年をとったら、どこかの海の近くに住んで、本を読み、青い空を見ながら暮らし、時々世界を見に出かけて、考えたことを文字にする。研究の仕事に区切りをつけたら、そんな暮らしがしたい。



Tatsu's Life in Wellington

2013-01-03 05:31:31 | リンク
以前のブログ: "Tatsu's Life in Wellington"
My previous blog: Tatsu's Life in Wellington

Twitter の可能性を考える

2013-01-03 03:51:41 | 社会
年末から年始にかけて、過去を振り返り、未来について考える番組をいくつか見た。そこで Twitter が無視できなくなってきたことをこれまでになく感じるようになった。これまで Twitter はネット社会に敏感な一部のユーザーのツールだという気がしていて、震災の前後を除けば、あまり積極的に利用してこなかった。しかし、ここにきて、Twitter はただの意見や感想の掃き溜めではなく、世の中を動かすツールになってきたことを感じ始めた。

これまで使い続けてきた人にすれば、何をいまさら、と思うかもしれない。だが、Twitter は面倒だったし、鍛えられた言葉が発せられる場だと考えてこなかった。だが、スマホが爆発的に普及したことが世の中を変え始めたのだろう。Twitter は、情報発信のための「攻めのツール」であるだけでなく、無視できないという意味で「受け身のツール」にもなってきた。

世の中の動きを敏感に察知することはもちろん、議論に加わり、世の中を現実に動かしている人々にも直接に意見を届けられるツールでもある。転換期の社会にあって、このツールを使うことが利点になるだけでなく、使わないことが弱点になってしまう世の中が来たように思われる。まずは受け身のツールとして使えるようにならねばならない。そして、これを攻めのツールとして使いこなすことを今年の目標の一つにしようかと思う。(その前にケータイをスマホに買い換えねばならないかもしれないが、とりあえずはパソコンからのアクセスで様子を見よう。)