青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

これまでも、これからも。

2023年05月15日 17時00分00秒 | 上毛電気鉄道

(デハ101・春の日@西桐生駅)

西桐生駅にて、午前のデハ101展示会。地方私鉄の終着駅、小さなホームでの展示会なのでなかなか引きの絵が取れないのが悩みどころ。昭和初期に川崎車輌で作られた、いわゆる「川造型」の流れを汲む貴重な車両です。このクラスの古典車両がこの令和の時代に地方私鉄に動態で残っている事。同時期に製造された一畑電車のデハニ50型とかも構内の体験運転用で保存されておりますが、未だに本線走行が可能というのがデハ101の素晴らしいところでもあります。

デハ101の中央前橋側。こちらのサイドはパンタグラフと後付けの貫通路に渡り板付きで少し印象が変わります。こちらの方が旧型国電っぽいイメージになりますね。両運転台なので、南武線とか鶴見線で走ってたクモハ12とか、そういう感じ。

緑色のモケットが張られた木造の車内。木造の古いもの特有のスンとした匂いが鼻を突く。マスコンハンドルに残る「UESTINGHOUSE」の打刻、まだ国内の鉄道車両製造技術が未成熟だった時代の名残とも言え。そして昭和初期の車両らしい「非常弁」の書き文字。現在では非常停止ボタンに取って代わられていますが、昔はこんな保安装置がセーフティネット。尤も、乗客を乗せての営業運転は1970年代後半に第一線を退き、それからは専ら線内での貨物輸送の機関車代わりや、朝の大胡→中央前橋間のラッシュ輸送の助っ人として活躍していたらしい。

デハ101の車内を広角レンズのローアングルで。中吊りの広告も、その当時の時代のモノを下げていてレトロな雰囲気をいや増しにしている。何年か前にクラウドファンディングで大規模修繕を実施したとかで、吊り革や室内灯なども非常に美しく保たれています。前橋市のふるさと納税では、この車両の貸し切り運行権を返礼品の一つにしているのだそうですが、個人で貸切運行する場合も1往復10万円程度と聞きますので、比較的リーズナブルではないかと思いますねえ。20人集まれば一人5,000円。飲み会と変わらん。

見学会の途中で、ヘッドマークを装着されたデハ101。去年のモノかな。開業当時から、上毛電気鉄道の歴史と共に歩んで来た車両です。これまでも、これからもの思いを込めて。

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東毛の古豪、春を駆ける。

2023年05月13日 11時00分00秒 | 上毛電気鉄道

(街へ出ようよ日曜日@新里駅)

天気の良い日曜日、桐生の街へ出る電車を待つ上毛っ子。ちなみに、群馬の旧国名の呼び方の一つである上毛(じょうもう)というのは、かつて群馬県・栃木県を「毛野(けの・けぬ)國」と呼んだことに始まります。西側を上毛野(かみつけぬ=群馬)、東側を下毛野(しもつけぬ=栃木)とした時代を経て、群馬を上野・上毛(かみつけ)・栃木を下野・下毛(しもつけ)と表記するようになりました。群馬県側では今でも県自体を「上毛(かみつけ)→じょうもう」と呼んだり、県東部を「東毛(とうもう)」、県西部を「西毛(せいもう)」、そもそも両県に跨る地域を総称して「両毛(りょうもう)」と言ったりしますが、栃木側から「下毛」の表記が出て来ないのは、やはり下毛(しもつけ)がどうしても「シモの毛」を想起してしまう事のイメージの悪さに他ならないのではないでしょうか(笑)。

さて、そんな上毛電気鉄道。割と鉄道マニアにフレンドリーな会社で、毎年正月に地方私鉄としては盛大な鉄道イベントをするのが恒例でありました。ご多分に漏れず、コロナ禍の中でここ何年かはイベントも開催されずじまいだったのですが、行動制限の緩和に伴いついに車庫のある大胡駅で春のイベント開催が決定。併せてデハ101の運転が決定しました。デハ101と言えば、昭和3年製造の動態保存されている中ではおそらく日本最古の鉄道車両。引退後は線路の砂利を撒く貨車の牽引に使われたりしてましたが、近年ではファンの貸し切りやらイベントやらで動くのが主な役目。そのイベントがコロナで消えてしまったのだから、オフィシャルな形では久々のお出ましとなりました。

以前は乗客を乗せて中央前橋~西桐生を何往復かするのがイベント運行でのパターンでしたが、さすがのご高齢と見えて、今回はAM西桐生・PM中央前橋での車両見学会のみ。大胡車庫からの回送シーンを春の雰囲気の東新川付近で狙ってみました。久し振りに東毛を駆ける古豪、ピカピカの少し小ぶりな可愛らしい車体にリベット打ちの武骨さもあって・・・古豪健在。こちらも14年ぶりに、何とも美しい姿を見る事が出来ました。

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昭和レトロ、粋を集めて。

2023年05月11日 10時00分00秒 | 上毛電気鉄道

(何年振りのご無沙汰だ・・・?@西桐生駅)

上毛電気鉄道・西桐生駅。瀟洒な折屋根の山小屋風駅舎。こーいう駅舎をマンサード屋根と言ったりギャンブレル屋根と言ったり・・・まあ正確なところはお詳しい方に任せますが、個人的には小田急線の向ヶ丘遊園駅北口を思い出してしまうビジュアル。この駅舎は、昭和3年に建設されたものですけど、遊園の駅舎も小田急線の開業が昭和2年なのでそれを考えるとほぼ同期の桜。建物というものはその時々の流行りみたいなものが如実に表れる傾向がありますが、往時はこのようなデザインが流行していたのでしょうね。

春麗らかな一日。始発電車で神奈川の片田舎を発ち、横浜から小山経由で北関東は桐生の街までやって来ました。上毛電気鉄道の西桐生駅は、JRの桐生駅から北に300m程度歩いた場所にあり、独立しています。この路線、西桐生と中央前橋という起終点のターミナルがどちらもJRの駅には接しておらず、何だかとってもインディペンデントな雰囲気。上電、実際に来るのは二回目くらいなんですけど、前回来たのは相当前の話なんですよねえ。たぶん15年ぶりくらいなんじゃないかと・・・(後で調べたら14年ぶりでした)。

高天井と格子窓、コンクリートで土間が打たれた駅舎内は、朝の空気の中で少しひんやり。次の列車が来るまで改札口が閉まっているので、待合室のベンチに座ってコンビニおにぎりで朝食を食べながらレトロな雰囲気に浸ってみる。どっかでこんな感じの駅舎あったよなあ・・・なんて思いを巡らせていると、ことでんの琴電屋島駅の雰囲気と似たような感じがある。琴電屋島駅の建設時期を調べると昭和4年・・・やっぱりこの世代なんだねえ。ホントに昭和初期の駅舎デザインのスタンダードだったんだなあって。

中央前橋からの電車が到着し、乗客の主力だった高校生たちが改札口を抜けて行くと、自分の他の僅かな乗客がホームへの入場を許された。新緑眩しい春の西桐生、日差しだけは初夏を思わせる眩しさ。ファーストショットはパステルブルーの716-726編成。番線表示を飾る金属製の飾りがお洒落ですが、この手の飾りモノも昭和初期のレトロ車両とかレトロ駅舎にはよくある意匠。近代の建築物のデザインにはない装飾は、その鉄道の顔たる駅の建造物に精一杯の趣向を凝らした当時の建設技術者の気持ちが伝わって来るようです。

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萌黄色に山笑う。

2023年05月09日 17時00分00秒 | 小田急電鉄

(四十八瀬の新緑@新松田~渋沢間)

もはや掲載する時期を逸した感もありますが、桜が終われば新緑。新緑と言えば小田急線の四十八瀬川界隈。もうこれは毎年のルーティーンみたいなものなのだけど、家から一時間もしないで行けるお手軽撮影地だからね。新東名の新秦野ICを出たらそこがもう菖蒲なので。久し振りに渋沢5号とか行ってしまった。四十八瀬で午前中に新緑を写し込むなら、光線的にはここが一番色が出しやすいように思う。朝イチの上りで新宿へ向かう更新EXE。コロナ禍以降、ロマンスカーも6連が増えてしまったのだけど、更新と言えどもフル編成はいいね。

渋沢5号から渋沢7号へ。渋沢5号の内側の田んぼは近年米作りを放棄して久しく、下草が伸び放題で殺風景なことこの上ないのだが、ここ渋沢7号も踏切横の農家さんがどうも農業の規模をかなり縮小してしまったようで、手の付けられていない耕作地が目立ちます。以前は踏切を挟んで両サイドに小さいながらも果樹園があって、梨の花が咲く時期なんかきれいで良かったんだけどなあ。イノシシ避けの電気柵に注意しながら新宿行きの快速急行5000系。渋沢7号も時と共に風景が変わって行くけれど、四十八瀬の流れと、この時期のライムグリーンの新緑だけは変わらないね。

光に透ける萌黄色の新緑。みやこ食堂が臨時休業だったので、蛇塚の交差点にあるセブンイレブンで調達したおにぎりを木陰で食べる。そんな事だけでそれなりの癒しになる、新緑の四十八瀬。もう何回撮影したか分からん構図で。せせらぎの音で列車の通過が分かりづらいんだよな、川のほとりって。

 

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麗し、愛しのハワイアンブルー。

2023年05月07日 17時00分00秒 | 伊東線・伊豆急行

(東横の顔・伊豆に輝く@熱海駅)

最近子供も部活だのなんだので土休日は親と行動する事もなかったので、久し振りに家族で伊豆の温泉なんかに出掛けてみました。その道中、熱海駅で出発を待つ伊豆急の8000系。東急当時の姿を残す、帯ナシのTB-7編成。伊豆急も自社発注の100系の代替として、東横線で走っていた東急の8000系を放り込んでからもう随分経ちましたね。昼間の観光需要を担うリゾート21の5編成も、既に2編成は廃車。1編成はホイミスライム(ロイヤルエクスプレス)になってしまったし、残ったキンメ電車・黒船電車の2編成も結構外板なんかは劣化が目立つ40年選手。そうなると外板がステンレスの8000系は見た目の衰えもないし強いよなあって思います。特に伊豆急みたいな海沿いを走る路線は「塩害への耐性」ってのは相当のアドバンテージですしねえ。

車内アコモ(クロスシート化・トイレ設置)は施されてはいるものの、当時は完全なる通勤電車の東急8000系を観光需要のニーズが圧倒的な伊豆急にぶっ込むことに結構な違和感があったものですが・・・窓枠と合わないクロスシートの配置などの随所に詰めの甘さはあるけれど、さすがに受け取る側ももう慣れてしまったというか。最近は伊東線の日中のローカル運用を担うシーンも多くなって、不動や宇佐美あたりの伊東線の長大トンネルを轟音立てて走り抜ける姿には、オシャレに渋谷と横浜を往復していたあの時代を思えば一種の「ギャップ萌え」的な良さがあります。

伊豆高原までは3両編成を2つ連ねて6連を組み、伊豆高原以遠は編成を開放して3連単独での運行。そういう人流に合わせた調整弁的なフレキシブルさもかつての100系に求められていた役割で、あのグループは両運車とか高運車とかサロとかそりゃあもう実需要に合わせた様々な車両がバリエーションを誇っていたけれど、それには及ばないまでも中間改造先頭車、シングルアームの補助PT、コルゲートの有り無し、トイレ増設改造など様々なバリエーションがあるのは100系と変わらない。あと、単純に自分はこの伊豆急カラーであるハワイアンブルーのツートン帯が好きなのよ。オシャレで爽やかでね。無塗装の銀無垢8000もいいんだけど、個人的にはフル塗装の100系カラーを復活させて欲しいと思っているんだよなあ。一時期のリゾート21みたいにさ。

P.S 伊豆急行様、伊豆急行様。偉大なる開業時メンバーのレジェンドことクモハ103号が伊豆高原検車区の片隅で何やらカッスカスじゃあありませんですかね・・・?さすがにこのまま風葬という事もないのでしょうが、ロイヤルのお貸し出しに一生懸命なところの5%でも、この車両の静態保存にパワーを掛けていただければ、ヲタクは幸いでございます・・・

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