青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

大鰐黎明

2019年02月22日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(真夜中の雪野@弘前市郊外)

メシを食いに出たつもりが、思わず中央弘前で夜遊びをしてしまい…結局コンビニメシを持って宿に戻る。仕舞い湯手前の熱い温泉にどっぷり浸かり、布団引きっぱなしの和室でモソモソと弁当をツマミにストロングゼロをかっ食らいながらテレビを見て、早々に布団に潜り込む。一人旅って意外とこんなもの。夜中にふと目が覚めて窓の外を見ると、津軽平野に夜通し降り続く雪が音もなく積もり続けている。これはラッセルワンチャン、あるのでないの?


興奮して眼が冴えてしまい、改めて真夜中の温泉に浸かって温まり直す。この「一人旅における真夜中の温泉」というものに無上の喜びと非常な悦楽を感じてしまうタイプである。寝静まった館内の真っ暗な廊下を物音を立てないように歩いて、消灯された脱衣所と浴室の電気を自分でパチリとつけて、誰もいない温泉を独り占めにしてぼんやりと浸かる。チョロチョロと流れ込む温泉の音をBGMにして、ひたすらに無になれるのだ。ゆぶねにタオルは入れちゃいけないけど、赤ちゃんはタオルにくるんで入れろと指導する青森県環境保健部の優しさ。


真夜中の温泉からの刹那の眠り、あっという間に枕元のスマホのアラームが鳴る。いそいそと身支度を整え、僅か一夜の宿を出た。20cmは積もったか、駐車場のレンタカーにこんもり積もった夜半の雪をブラシで搔き落とし、朝一番の大鰐の駅へ。奥羽本線側の南口ではなく大鰐線のホームに近い北口からアプローチしたのだが、道から駅への入り口が分からんし、そもそも入り口にある喫茶店が廃屋になって崩れ落ちてるし、駅のくせにどう見ても倉庫だし、看板がなけりゃ駅の入口がガレージにしか見えないし、割とツッコミどころが満載なのであった(笑)。

 

駅に続く通路を抜けて、大鰐線のホームに立つ。行き止まり式の1面2線。夜間滞泊の2列車が、既に通電されて発車の時間を待っています。係員の初老の男性が、夜中に積もった雪をホームの隅に片付けている。大鰐線の始発列車は6:20の中央弘前行き。果たしてどれくらいの乗客がいるのかは分かりかねますが、朝6時の大鰐の駅は、いつものルーティーンが行われて、既に鉄道会社の一日がしっかりとスタートしていました。

 

冷え込んだ大鰐の黎明、気温はマイナス6度を指していた。寒いのだけど、北国の早朝のパキッと冴えたような空気感は嫌いじゃない。車体にこびり付きすっかり凍り付いた雪。昨日から撮影していますけど、この「オールステンレスに雪化粧」というのはクールでスタイリッシュに見えますよね。大鰐からの朝の2列車目になる7031編成の向こうには、小さく電気機関車ED221が見えます。おそらく、電気機関車の向こうには、ラッセル車キ105が停まっているはずです。


改めて、朝の大鰐駅をモノクロームで焼いてみる。うーん、木造のホーム上屋の質感といい、車両やジャンパ線、スノープロウにデコレーションされた雪といい、東急7000のコルゲートのいかめしさといい、質感のある雰囲気に仕上がりました。今時の言葉を使えば、オールステンレスカーはモノクロの世界の方が「映える」ようです。
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盛り場の昔語り ~中央弘前にて~

2019年02月20日 22時00分00秒 | 弘南鉄道

(川のほとりの裏路地に@中央弘前駅)

柏農高前での撮影を終え、宿のチェックインだけを済ませて食事がてらと弘前の市街に出て来ました。初日は弘南線、二日目を大鰐線の撮影に充てようと大まかのプランを立てていたのですが、ちょっとだけ大鰐線のロケハンを兼ねて中央弘前へ。中央弘前の駅はレンタカーのカーナビでもないと非常に分かりにくい一方通行に囲まれた路地裏的な雰囲気の場所にあり、正直言って「時代から取り残された」という言葉がぴったりな黄昏の中にありました。オレンジの電飾看板が弘南スタイルですが、元々は弘前電気鉄道という別会社が敷設した路線のターミナルでもあります。


中央弘前の駅の作りは、土淵川と言う小さな川に沿った片面1線の行き止まりのホームのみ。弘南鉄道大鰐線は、ここ中央弘前から大鰐までの約14kmを、弘前市街から岩木山の西麓を走って30分で結びます。川のほとりにある国鉄と離れたターミナルを、都会を走っていた電車が折り返していく姿は、何となく上毛電気鉄道の中央前橋の駅を思い出したり…。「中央」弘前と名乗るだけあって、以前は駅のある土手町や川端と呼ばれる地区はデパート(中三デパート)を中心とした繁華街だったと聞きますが、現在はR7バイパスが通る駅の東側(城東地区)に出来た新興の量販店へ賑わいは移り、かつての繁華街から賑わいは失われてしまいました。

 

路地に立ち並ぶ飲食店に、夜な夜な酔客が集うネオン華やかなりし時代を偲ぶ。地方都市におけるかつての繁華街の地盤沈下は日本全体の病理なんだけど、ここ弘前も御多分に漏れず…と言ったところでしょうか。川のほとりの赤ちょうちん、フラッと路地からギターを持った因幡晃あたりが出て来そうな…津軽に来てからアタマの中がすっかり昭和歌謡じみているんで、その辺りはわかって下さいという事で(笑)。


粉雪そぼ降る夜の中央弘前。夜の川端町、と言った方が雰囲気が出ましょうか。軽くストロボで舞い落ちる雪をはらりと写し込む。駅裏に続く路地の先を見やれば、それこそ昭和演歌の似合いそうな雑居ビルに、花札のような色とりどりのスナックの小さな看板が連なる風景。川端町から鍛冶町、桶屋町、銅屋町、親方町と続く小路の街の名前も最高に雰囲気のある、雪の城下町の夜。

  

食事がてら弘前の街に出て来たはずなのに、中央弘前の駅とその界隈の雰囲気に魅了されてしまうこと小一時間。すっかり冷え切った街の空気にたまらず駅舎へ飛び込んだ。弘南線同様、5分前改札の大鰐線。弘南線に比べると大鰐線の収支は大変厳しく、ラッシュ時間を除けば発車する列車は1時間に1本のみと、何年か前に存廃が取り沙汰されて以降ダイヤもだいぶ軽量化されてしまったようだ。この「乗る人がいないから減便します→余計乗る人がいなくなる」の無限ループをどうにかして止めなければいけないのだよねえ。私に出来る事と言えば、ささやかにグッズを買ったり乗ったりするくらいしかないのだけど。


「大鰐行き 20時30分発 改札開始します」
改札係を務める妙齢の女性が待合室の乗客に声を掛けると、ダルマストーブの暖かさにうとうとしていた待合室のお客さんが、そそくさと列車に消えて行きました。
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平賀郷雪屏風

2019年02月19日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(夜の帳に冴える@柏農高校前駅)

この日の宿泊は、弘前の郊外にあるビジネス旅館で寝るだけの素泊まりなので、チェックインは遅くてもOK。旅へ出ればゆっくりと宿で寛いで、地元の美味に舌鼓を打ちながら一献やるのもそりゃ結構だろうけど、そーいう意味ではまだまだ自分は落ち着きがないのだろう。雪の夜の雰囲気も捨てがたく、弘南線高校シリーズは朝の東高前から尾上高校前、そして最後はこちら柏農高校前駅にやって来た。こちらも尾高前の駅と同じく雪原の中、水銀灯が光り輝く停車場。


弘前行きの電車が到着して、真っ白な雪原の中の停車場に光が零れる。「柏農(はくのう)高校」とありますが、最寄りの高校の正式名称は青森県立柏木農業高校。「柏木」という行政地名は現在は消滅していますが、昭和30年まで現在の平賀駅を中心とした地域が南津軽郡柏木町だった事に由来します。平賀駅から10分くらい歩いた場所に柏木温泉なんてのもあったりしますね。

 

昼間ほどではないけれど、相変わらず強い風と共に舞い上がるビロードのような横殴りの雪が降っている。軽く乾いた雪なので、強い風に雪が転がって勝手に無数の小さな雪だるまが出来ている。誰もいないホームから見渡す一面の雪原は周囲の街灯りを拾ってほの明るいのだけど、その雪原のはるか向こうから、吹き付ける雪を突いて列車がやって来た。


黒石行き43列車、定刻に到着。下車客1名、柏農高校前の駅を去る。


風がしのげるだけでも暖かそうな柏農高校前の駅の待合室は、高校生のデザインなのか「LOUNGE」の文字が掲げられ、きれいに整備されている。列車が去ってしまうと、吹き付ける雪はますます強くなった。冬の津軽の風は北風ではなく西風だ。低気圧が発達をしながら日本海を通過する際に、日本海から津軽平野に吹き込む強い西風が、低温の軽く乾いた雪を巻き上げ地吹雪となるのだ。

降り積もる雪 雪 雪 また雪よ
津軽には 七つの 雪が降るとか
こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪
みず雪 かた雪 春待つこおり雪
(新沼謙治「津軽恋女」)

遮るもののない場所で地吹雪に巻かれ立ちすくんでいると、改めて冬の津軽を頭の中で新沼謙治が歌ってくれる。
風と雪が、ホームを歩く私の足跡を、あっという間に消してしまった。
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蒼藍の刻

2019年02月17日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(津軽蒼候@津軽尾上~尾上高校前間)

まったりと黒石からレンタカーを止めてあった津軽尾上に戻ると、既に冬の津軽には夕闇が迫り始めていました。ついぞこの日は太陽を拝むことはなかったのですが、暮れて行く津軽平野の空の色は、暗くなるにつれて幻想的な蒼さを帯びるようになって来ました。再び尾上高校前の駅から尾上高架橋を見やれば、蒼い時の中を遠くからやって来る39列車の灯り。ゆっくりゆっくりと近付いてきます。

 

踏切の警報音が鳴って、駅に滑り込んだ列車から学校帰りの青年が降りて来た。平面顔の中間車改造編成にきれいにこびり付いた粉雪が、駅のホームの光に照らされて浮かび上がります。夜が近づいて、またグッと気温が下がって来たのを感じる尾上高校前の駅。まだサラサラと粉雪が舞ってはいますけど、昼間の地吹雪に比べれば屁でもないわな。いつの間にか駅前広場に来ていた迎えの車が青年を乗せて去って行ってしまうと、また雪の降る音しか聞こえない満面の静寂が辺りを包む。


鉄骨で組み上げられた無骨なホームと簡素なプレハブの待合室。一面の雪原に佇む停車場は、電化はされていますがこの時期北海道のローカル線の秘境駅のような佇まい。遠くにちらちらと明るいのは田舎館の集落。少しずつ少しずつ、蒼が藍に溶けて行くような雪の津軽のブルーモーメント。朝から降り続いた雪のせいで、線路の轍もだいぶ深くなりました。この夜の天候によっては、明日朝にはラッセルが出てもおかしくないかもなあ…。
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KONAN Monochrome World

2019年02月16日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(凍て付く窓の向こう側@弘南線車内)

凍った窓の外側は、相変わらずの地吹雪。そんな天気とはうって変わって、暖房の効いた適度に揺れる車内は、眠気を誘う空間。色褪せてくたびれ気味な座席のモケットは、それでも今の電車とは違ってフカフカしていて、これまた眠気を誘う。うつらうつらとしながら黒石まで、僅か15分の気怠いまどろみの旅をモノクロームで焼いてみました。


下り電車に途中駅の乗り降りはほぼなく、ほとんどの乗客が終点の黒石まで乗って行くようだ。車内でじゃれ合うランドセルの小学生。この辺りは小学校も電車通学があるのかな?と思いながらほほえましく見ていたのだが、話を聞いていたらどうやら弘前大学の附属小学校へ通う子供たち。「国大の附属」と言われると急に見る目が変わってしまうのは、こちらが団塊ジュニアのお受験世代だからなのだろうか。

 

午後の黒石駅。列車を降りた乗客たちは、足早に出口の方へ去ってしまった。黒石市は、人口3万5千人の津軽の小都市。小さいながらも黒石藩津軽氏一万石を割り当てられた古くからの城下町。今回はゆっくり街歩き…という事は出来なかったのだけど、クルマで走ってみて感じる路地の雰囲気や密集した寺町などにいかにもな武家の街の香りがして、趣のある街並みだなあと思いましたね。ホームにて改札を待つ電車には、黒石高校と黒石商高のイラストが施されています。


ホームの傍らにある「黒石線検修所」は、以前黒石駅から川部駅を結んでいた黒石線の名残り。国鉄の「第1次特定地方交通線」として廃線対象となった国鉄黒石線を、弘南鉄道が昭和59年に引き受けて運行していました。引き受けに当たっては国鉄黒石駅手前から弘南黒石駅へ接続する渡り線を作り、気動車用の検修庫の建設や内燃車免許を持った運転士の雇用、乗客増を狙っての商業施設(コープ黒石店)を併設した形での黒石駅の改築などそれなりの投資を実施。国鉄のキハ22と末期はお隣の同和鉱業小坂鉄道から気動車を引っ張って来て運転を続けましたが、川部と黒石というニッチな区間の流動は少なく、平成10年まで僅か15年弱の短命に終わりました。


またぞろ地吹雪の吹き始めた黒石駅のホーム。津軽に降る七つの雪を書いたのは太宰治の小説「津軽」でありましたか、長い冬の中でも気象や風の条件によって様々な雪が降る津軽地方。吹き付けるようにピシピシと頬を叩く今日の雪は何雪だろうか…。折り返し列車の改札が始まって、弘前行きの列車に乗客が乗り込んで行く姿に演歌の世界を見る。

新沼謙治 / 津軽恋女

数限りなく歌の題材にされて来た津軽の世界。代表的な歌い手としては五所川原に生まれた吉幾三センセ、という事になりましょうが、ここはあえて新沼謙治「津軽恋女」を推したい。尾上高校前で地吹雪に巻かれながら写真撮ってた時、ずーっと脳内で新沼謙治がこの歌唄ってたからなあ(笑)。たまたま津軽に行く前にNHKの「うたコン」に新沼謙治が出ててさ、この曲歌ってたんだけど、やっぱりしみじみと良い曲だなあと思ったよね。また新沼謙ちゃんの声がいいよねえ。演歌の歌い手にしては粘りっけがなくてクリスタルで、スコーンと抜けがいいんだ。謙ちゃんは津軽でなくて大船渡だけど、間違いなくこの曲は津軽演歌のベスト3に入ると思うんよ。残りの2つ?そりゃ幾三センセの「津軽平野」と松村和子の「帰って来いよ」に決まっとろうが。え?望郷じょんから?津軽海峡冬景色?うーん…いい曲多すぎて、そっから先は好みでよかろ。

ちなみに新沼謙治の趣味は伝書鳩を競技用に調教した鳩のレースだったというのはつとに知られるところですが、忙しくなってしまって鳩の世話がままならなくなってしまった謙ちゃん、我が子のように育てた鳩をどうしても手放さなきゃならなくなったそうな。別れの日、かわいい愛鳩を趣味の仲間に譲り渡し、泣く泣く家に帰ってドアを開けたら、鳩が謙ちゃんより先に家に帰っていたという話がとても好き。
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