青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

文化の秋

2012年10月14日 09時03分46秒 | 東武鉄道

 

(東向島駅駅名板@東武スカイツリーライン 笑)


はい、と言う訳で本来の目的地ってのはここだったんですね。東武スカイツリーライン(笑)の東向島駅、確か昔は玉ノ井と言ってたなあ…なんて思ってたら駅名板にちっちゃく(旧玉ノ井)って書いてありました。昔は東武浅草から業平橋、曳舟玉ノ井鐘ヶ淵、堀切牛田北千住ってそんな風に覚えてましたけどね。玉ノ井って言うのがこの辺りにあったいわゆる「色街」の地名なんで、そこらへんが嫌われちゃったのかもしれん。京急の大師線で港町駅が堀ノ内って名前じゃないようなもんか。つーか京急には普通に堀ノ内って駅がありますけど、川崎じゃなくて横須賀ですw


東武電車は東向島の駅下にある「東武博物館」、ここが今日の本来の目的地。つーかさっきは博物館に入ろうとしたら子供が「電車乗りたい!」ってダダこねたもんだからとりあえず初乗り区間まで往復して来るか…という結果の堀切行でありまして(笑)。まああんなに下町っぽさを楽しめる場所だとは思わなかったんで良かったんだけどね。鉄道の日を翌日に控え、博物館巡りなんて秋らしい文化の薫り高い行動じゃあないですか奥さん!(バンバン←机を叩く音)。ちなみに文化って言葉は自分を正当化するのに有効なので覚えておきましょう@石田純一

 


開館は平成元年と既に歴史は20年以上。もうそんなになってますか!あるのは知ってたんだけど来た事はなかったんだよなあ。東武鉄道創立90周年事業だったそうなのだが、結局こういう文化事業をやるかやらないかってのは会社の考えですからねえ。我が地元のOERもネット上のミュージアムなんかでごまかさないで遊園の跡地にでも作ってみろやって思ってますが…出来たのは藤子不二雄ミュージアムだったと言う(笑)。入場後すぐに目に入るのは東武黎明期のピーコック製の蒸気機関車と東武初の電車であるデハ1号。このSLは昭和40年くらいまで葛生の山の中で石灰石の輸送に使われてたんじゃなかったかなあ。デハ1号もダブルルーフの屋根とブリルの台車がいかにも戦前車って感じですね。

   


床に広がる東武の路線図。路線総延長は460km余りと近畿日本鉄道に続き全国第2位。以前は名古屋鉄道が全国第2位だったんだけど、末端区間のローカル線をバッサバッサ廃止してしまったので3位に転落してしまったのですね。伊勢崎線、日光線、東上線を三本の柱として北関東に広がる東武ネットワーク、小さい頃に山と渓谷社の「私鉄ハンドブック」や、ほいく社のカラーブックス「日本の私鉄」シリーズを祖父祖母が来るたびにねだって買って貰った事を思い出しますな。床に広げた東武の路線図に「東武ってでっけえなあ」と思ったあの頃の本、今読み返したら相当面白いと思うんだけどねえ。基本的な姿は変わってなくて、熊谷から妻沼に行ってた熊谷線がなくなったくらいのもん。壁に飾られたDRC1720系の雄姿、東武と言えばこの車両って感じでしょうか。

 


資料コーナーを出るといきなり現れる5700系のカットモデル!これは驚いたと同時にうっとりしてしまうような東武の輝ける名車ですよね。一貫して特急・急行運用にしか入らなかった生粋の優等車、あずき色とカーキに近いような深いベージュは車で言うとトヨタのセンチュリーみたいな別格の高級感があります。子供の頃、千葉の祖父宅へ向かう時に北千住の地上ホームに停まっていた姿が鮮やかに蘇るわあ。古豪と呼ばれる車両はどの大手私鉄にもあると思うのだけど、こと東武の5700ってのはまさに文字通りの古豪でありトラディショナルだと思うのです。

   


中庭には5700系がデビュー当時の姿に復元されて展示されております。デビュー当時は湘南型の二枚窓で「ねこ髭」と呼ばれる化粧板を前面にあしらったデザインだったようですが、正直この時期の事は知りません。海老名で車庫の中に入れられてるSE車の初代の姿みたいなもんなんだろうか。それでも側面に細かく並ぶ鎧戸付きの二段窓、シーツのかかった座席が整然と並ぶ車内は日光の金谷ホテルのような古式のゆかしさであり伝統の趣ですねえ。台車はコイルバネと軸箱の上に板バネを挟んだ独特の形状で、中央の芯皿部分から両側に継ぎ手が伸びてると言うのがちょっと不思議。


鉄道学術的には非常に貴重な下野電気鉄道時代の雨宮の台車。大正15年製。昭和以前のまだ日本の鉄道製造技術が発展していなかった頃のもの。だいたいこの時期のものってのは海外からの輸入モノであったりするのだが、国産台車ってのが地味ながら貴重なものです。今の台車からは相当異なるもので、そもそも電車の台車でスポーク車輪ってのが珍しいよね。下野電気鉄道から銚子電気鉄道のデハ101に付け替えられ、長らく銚子の地を走り続けておりました。と説明書きを見て思い出したのは、廃車された後に長らく笠上黒生の駅で雨ざらしになってたあのデハ101か!って事で…


フォルダをまさぐったらありましたよデハ101の銚子電鉄時代。見事な雨ざらし状態。なんか中には祭り用のぼんぼりとか資材が入ってたけどw

  


お次は東武の電機・ED5010型5015。全国の私鉄でも有数の電気機関車の保有量を誇る東武の機関車、このカマの最終配置は東上線の坂戸機関区だったらしく「坂」の所属銘板がありますが、私鉄のくせに坂戸と杉戸(現東武動物公園)に機関区があったってのが凄いわな。東武の主力と言えばこの私鉄らしい40トン級電気のED5000シリーズ、これは量産型のED5010番ですが、まあカッコエエですよこれも。でかいスノープロウと警戒色のゼブラマークが東武電機の特徴ですが、こんなんが重連で北関東の空っ風の中をついこの間まで走っていたなんて想像するだけでヨダレもんですねえ。葛生の石灰石鉱山からのセメント輸送を中心に、国鉄の線路が届かない北関東を積極的にカバーしていた東武が貨物をやめたのは2003年のこと。北館林にある両毛丸善㈱の館林油槽所までJRの久喜から継走でガソリンの輸送を行っていたようですが、これをもって日本の大手私鉄の貨物輸送は最後の幕を閉じました。ちなみにこのED5000シリーズの末裔ED5081と5082は、三岐鉄道へ売却され今も現役なんですが、こないだの時は見なかったなあ。

  


この手の博物館ではおなじみのジオラマにシュミレータ。自分はあまり興味がありませんが、子供はやっぱこう言うのが大好きなんですよねえ。まだ彼らには「でんしゃのうんてんしゅになる!」と言うのは夢ではありませんから(笑)。私らみたいなのはそんな甘い夢は叶わぬものと知っているから、昔を反芻してはあーでもないこーでもないと思い出を語るのみであります。


他にも展示物は色々あり、キャブオーバーバスや日光は明智平のゴンドラ、旧日光軌道線の連接車など見所はさまざま。入場料200円でこんだけ楽しめたら安いなあって感じですねえ(笑)。画像はいまや「とうきょうスカイツリー駅」に変貌を遂げてしまった業平橋駅の旧駅名表。曳舟からの半蔵門線直通にスカイツリー開業で変貌を遂げまくる界隈ですが、まーだアタシには「業平橋」のほうが通りがいいですね。でもこんな看板を説明する私の隣でヨメが「折角ここまで来てるんだからスカイツリー行こうよ!」って言うんでこの後行って来ることになったんだけどw

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