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青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

九州サマードライブレポ No.1

2006年08月27日 10時16分13秒 | 日常
(写真:在りし日の中津競馬場)

この写真撮った時は確か大学の卒業旅行を兼ねた九州3場回り(荒尾、中津、佐賀)だったと記憶しているが…平成10年だから8年前か。馬は当時の中津最強馬ロングオリオン。騎手は高山伸一だったかな。現在同ジョッキーは荒尾競馬へ移っているらしい。
兵どもの夢の跡。

と言う訳でレポを開始してみる。

まず何よりも撮った写真の整理から始めなければいけないので、レポには時間かかるかもしれない事をお許し頂きたいと思います(笑)。
今回の旅で撮った枚数600枚近く、ほとんどキ○ガイのようにシャッターを押しているのでね。

●軽く出負け気味の旅立ち
前日の飲みを軽めにクリアしたつもりが結局終電になってしまった8月19日早朝、とりあえず必要そうなものを旅バッグにボンボンと放り込んで出発。横浜町田のICを深夜割タイムの早朝4時までには通過したかったのだが叶わぬ夢、出発は5時10分頃だったかと。
それでも早朝がゆえに東名道の渋滞はクリア。朝の富士川SAでかき揚げうどんの朝食を食べ、霞む富士に見送られながらの西行である。名神の多賀SAで仮眠(レストイン多賀)を取って、京滋BP~吹田JCT~吉川JCT~山陽道へ。場所ごとにチューニングを変えながら甲子園を聞きっぱなしの道中でした。

●山陽道は長い
山陽道に入ってからは寝不足の疲れかペースが落ちる。と言うか、単調な景色に飽きが(笑)。どこまで行ってもトンネルと平板な山ばかり。姫路でも岡山でも広島でも、どこを走っても同じ様な風景。つまんねえ道だなあ山陽道…AM558で聞き始めたラジオの競馬中継の解説のおっさんの独特の口調にも眠気を誘われる(笑)。後で聞いたら「山田御大」と言われる名物解説者らしいがw…
広島JCTで日が暮れ、宮島SAであなごめしの夕食。山陽道は正直距離を稼ぐためだけの道かな。宮島SA周辺の夜景くらいだったろうか。見所は。

●海峡を越えて
佐波川SAで本日最後の給油。中国道へ合流し、日付が変わる間際に本州最後の壇ノ浦PAへ滑り込む。このあたりで既に自宅から1,000km超えを達成。よく走ったものだと言う感慨と、夜空に浮かぶ関門橋の向こうに広がる九州の光に心が躍る。愛車よ、あれが九州の光だ。周りはカプールばかりだが、そんな事は気にしない。
旧アコードが超えられなかった関門海峡を愛車はおよそ1分もかからずに通過。あっけねえ(笑)。短いもんだね関門橋。それでも心は万感の思いの九州上陸。門司港ICで精算すると、「リョウキンハ イチマン ヨンセン ニヒャクエン デス」…
えーと、ファミコン本体買えそうですが(笑)。

●北九州健康ランド
小倉北区のR3沿いにある健康ランド「天然温泉バーパス」は、健康ランドの癖に深夜料金を取らないのが好感。ハギーさんも若松オーシャンで常宿にしていたらしいお値打ちプライスは終日1,890円。受付のオヤジが老けた齋藤和巳みたいな顔をしていた事に九州を実感(笑)。つかカズミは出身京都だっつーの。
深夜1時の入場、風呂に入って早々に寝ることにする。人気の消えた大浴場でお湯を使っていると、風呂掃除をしているオッサン。顔を見るとこちらはどう見てもカズ山本です。本当にありがとうございま(ry…つか、嫌がらせか?(笑)。何なんだここは。大道が出てくる前に眠る事にする。明日も早いぜマンハッタン。

●早起きは老化の始まりとも言うが
翌朝は5時に健康ランドを出発。ほとんど寝てねーじゃねーかと言う突っ込みはナシで(笑)。結局今回の旅行ではほぼ毎日5時起きが続いた。ハイになってたんだろうなあ自分…元々早起きは得意だから苦にはならんけどね。とりあえず最初の目的地である別府まで早めに距離を稼いでおきたかったのもある。

●消された競馬場
R10を南下して行くと、中津市。中津と言えばもう廃止されてからだいぶ経ったんだよなあ中津競馬…と思うが早いか、車のハンドルを切っていました(笑)。中津競馬の跡地見学。確か「大貞公園」ってのの近くだったんじゃなかったっけか?と記憶を辿りつつ多分この辺り…という場所をウロウロ。

これだね。

思わず「あっりゃあ~!」と頓狂な声を上げてしまいましたよw
前のアスファルトの白線がおそらく駐車場の跡でしょう。
そして、見事なまでに何にもなくなって、自然に帰りつつあるこの野原。建物一つない。遺構一つない。まさに何もない。しかし、これが間違いなく中津競馬場の跡でしょう。

平成13年の廃止から5年が経ち、雑草の生い茂るまま放置され続けているだけの原野が、朝焼けに照らされている。廃止を巡るゴタゴタ(外部リンク)に関しては聞いて知っていたのだけれど、行政サイドの「競馬に関する痕跡は全て消してしまえ!」と言う強い意志が感じられた。
それでも「何かないかなあ」と思い、朝露で湿った草むらを歩いてみる。おそらく1コーナーあたりの路盤の上を歩いているはずなのだが…雑草と伸びた草のツルに足を絡め取られて、歩くのも億劫な状態である。もちろん路盤など確認できるはずもない。諦めて戻ろうとしたその時、一本の木を囲んで丸い広場を発見した。

…これ、パドック跡だよね?

中津競馬のパドックは、こんもり盛られた小さな丘の上の一本の木の周りに、砂利が丸く敷かれたパドックだったはずです。右側の桜の木の左横に、騎手の待合室があった。上の写真は現在の写真を多分左側から写した写真でしょう。帰って照らし合わせるとよく分かる。グッピー氏あたりに確認をお願いしたいところ。

人間のゴタゴタが潰した場末の競馬場は、まさに人に夢と書いて「儚い」姿で…
いやいや、まさに兵どもの夢の跡でした。

続く。
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