百醜千拙草

何とかやっています

日々是好日

2010-05-21 | Weblog
結局、数週間前に投稿した論文は一人のレビューアが妙に厳しい態度で、よもやのrejectを喰らってしまい、予想外の展開となりました。その後、別の二つのJournalのEditorにも意見を聞いてみたのですけど、「内容には興味はあるが、はっきりしたメカニズムがないと、レビューアがうんと言わないだろう」と言われ、(ま、予想していましたが)結局、仕切り直しとなりました。 その間、同じマウスを作った競合者からの論文はオンラインで出版されました。悪口言うのもナンですけど、その論文、ちょっと感心しません。初歩的な解析ミスでのデータの誤りもありますし、また、いわゆる「メカニズム」のところは、とても怪しいです(同じマウスの同じような実験データを私も持っているので)。それにしても、こういう一流紙の「メカニズム」重視主義が、怪しいデータや無理な解釈の温床になっているのだと私は思います。 現在の解析技術には限界が多く、なかなか「本当の」メカニズムがわかることはありません。それで良心的で注意深い研究者ほど論文が出ず、Sloppyな研究者ほど(ストーリーにあうようにデータを都合良く解釈するので)簡単に「ウソ」のメカニズムに行き着いて、一流紙に論文が載るというおかしなことになるのです。この辺のメカニズム中心主義は益よりも害の方が多いのではないかと私は思います。負け惜しみに聞こえそうですけど、私は、この論文に関してはメカニズムのネガティブデータを積み重ねるというストラテジーで投稿を目指すつもりにしています。
それで、論文のrejectionなど日常茶飯事ではあるのですけど、こういう仕事が増える上に多少プライドも傷つき、レビューアーの心ないコメントに憤る、という事件は、余りうれしくありません。しかし、結果を変えることはできません。過ぎ去った過去と未だ来らぬ未来のことを悔やんだり心配しないように、一生懸命楽しくやることにします。

十世紀の雲門は、弟子に問いました。
「十五日という今日以前については問わない。十五日という今日以後について言ってみよ」
一月が三十日として、十五日はその真ん中です。十五日とは、時間というものを一ヶ月という限定した長さに見立てた場合に、過去と未来を分つ分水嶺であるという喩えです。即ち十五日という今日は、過去でもなく未来でもない時間無き絶対線であるということです。十五日以前の過去は過ぎ去ったものの抽象として記憶の中に存在するだけですが、十五日以後、即ち、現在以降は「絶対的現在」の継続があるだけです。(未来というものが現実にやってくることはありえません)
雲門のこの問いは、その絶対的現在をいうものを、お前たちは、どう理解しているのか示してみよ、ということです。

誰も答える者がいなかったので、雲門自身は自ら答えて言いました。
「日々是好日」

私も、そういう気持ちで、今日も一日、やりたいと思います。

さて、キナ臭い日本の政治の話。今週の進展は、なんと言っても、テレビ「ニュースの深層」での平野貞夫元参議院議員の爆弾発言。昨年の西松事件での小沢氏事務所の強制捜査と秘書の逮捕は、当時の自民党政権の森英介法相の指示による「指揮権発動」であった、と暴露。大手マスコミは、この重大な暴露にも関わらず、例によって「知らないふり」を決め込んでいます。当時、衆院選前を狙っての秘書逮捕劇に、誰もが政治的意図を感じたものですが、これでそれが裏付けられました。汚いぞ、自民党!検察の裏金作りの告発直前に、口封じ目的で逮捕、「不動産の登記を新住所で行った」という罪(?)で実刑判決を受けた元大阪地検三井さんが言うように、検察が裏金の隠蔽と人事問題で当時の小泉内閣に「借り」を作ってしまい、検察が自民党に使われた結果の暴走劇なのでしょう。本当に、この国の権力は腐っていたのですね。
 一方、検察は小沢氏不起訴の方針。さて、あの「怪しい」検察審査会は再び開かれるのか、開かれて再び「起訴相当」となって、小沢氏強制起訴となり、検察のデタラメが白日のもとに晒されるのでしょうか。

追記。
ちょっともう一つ、言いたいことを付け足します。以前に誰か前にも言っていたと思うのですけど、大手新聞やテレビが「不起訴処分」という言葉を平気で使うのが、私も許せません。不起訴は「処分」ではないのです。この言葉遣いに、私はマスコミの世論誘導の「悪意」を強く感じます。「有罪の証拠がないので不起訴処分にする」と言われたら、うっかり聞くとまるで「本当はクロなのだけど見逃すことにした」みたいに聞こえます。身にやましいことがないと思っている一般の人で、この言葉を面と向かって言われて、腹の立たない人はいないのでは無いでしょうか。現代社会では、「有罪といえない」ことを「無罪」と呼ぶのだ、ということが一般に十分理解されているようには私は思えません。「不起訴処分」という言葉を平気で使う国語力と倫理と法律知識に問題のあるマスコミは、自分たちこそが有罪で「処分」に価することを自覚すべきでしょう。今回、私は、マスコミに対しては、とりあえず「放置処分」に処しますが、強く反省を求めたいと思います。
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