五つの心

日本の社会情勢や体の不調を中心に書いております。

マスメディアの将来

2017-07-04 23:43:02 | Weblog
「テレビを近代企業にできなかった最大の原因は、
テレビと新聞が密接に結びついてしまったこと。
新聞の広告取りと同じ要領で商売をやってしまったことが、
日本のテレビの不幸の始まりであった」と言われている。

新聞社は長い時間をかけてテレビの全国的な放送網を完成させ、
テレビ局を事実上兼営することになった。
その結果として、
お互いがお互いを批判するジャーナリズム機能を弱めてしまうこととなる。
日本のテレビ業界は「共産主義への砦」を旗印に
テレビ草創期を迎えたものの政治的信条と
テレビカメラを用意しただけで走り出し、以後もビジネスの一面だけを重視してきた。

テレビとは、ハイテンション・メディアであり、
静寂を作ることを極端に恐れるあまり連射砲の如く言葉と映像が連続する、
そこには三つの危険性が生まれる。
ひとつは「現代重視」の危険性。
現在という切り方は無数にあるはずなのに、
テレビは表層だけの描き方になりがちである。
二つ目は「映像重視」の危険性。
臨場感にこだわるためにテレビは画に偏ってしまう。
三つ目は「感性重視」の危険性。
テレビは大衆の感性に迎合することで作り手の主体性を弱めてしまう。
テレビは「現代」を都合よく切り取り、「扇情的」な映像を積み重ね、
大衆が見たいと思う結論に「感性」のチャンネルを合わせている。

以上をもってしても、第四の権力マスメディアが公平でないのは明らかだ。

自らのミスや誤報に対して真摯に向き合えないのは日本のマスコミの特徴だ。
間違いを犯しても、自らのミスを別の報道で糊塗し、
時間をかけて修正し、そしていつの間にか、ミスそのものを無きことにしてしまう。
これこそが、これまで幾度となく繰り返されてきたマスコミの欺瞞に他ならない。

重要なのは何が真実かではなく、何が真実であると人が信じるかである。
マスコミの貼ったレッテルが、そのまま真実になるのだ。

恐ろしいのは、良識を捨て去った報道機関というのは、
強力な銃を持って町中に現れた凶悪犯と同じだ。
そして、人々は、その凶悪犯がめちゃくちゃに
はなった弾丸にたやすく心を打ち抜かれてしまう。
マスコミの報道を、まるで自分の判断のように信じ込んでしまうのだ。

マスコミが、意志を持って事実を放送するのは仕方がない。
しかし、事実に意志を持たせて放送するとそれは情報操作だ。
マスコミが本来持つべき公平と中立へのバランス感覚が、
何者かの意志によって利用されるということは問題だ。

そういうことが続くとどうなるか。

不信である。
マスメディア、テレビや新聞が報道したことが
何が正しいかをマスメディアが言う愚民である国民が
自ら考える時が今すぐそこにある。

その時に、メディアはどうするのだろう。
いまさらと馬鹿にされるのか、
さすがといわれるのか。
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