熱帯ゆるゆる日記

マレーシアでの期間限定生活日記。
2008年駐在開始、そして2011年 本帰国しました。

朝の中学校 ~帰国後の進路~

2011年11月08日 09時55分17秒 | 少年たち(息子たちのこと)

今朝 始業前に中学校に行きました。
体操服など備品購入代金を、担任の先生に渡すためです。
マレーシアでは小切手でしたから、子どもが納入していましたが、日本は振り込みか現金。
転校生は振り込みができないので現金だそうです。
大金二万円なので、親が持参するそうです。
早朝の坂道を山登りしてきました。
実は、少年たちの帰国後の学校は、ずっと 公立中学校ではなく「編入」を予定していました。
学校訪問をしたり、受験準備をしていました。
マレーシアなど海外にある日本人学校は 素晴らしい学校です。

日本を離れ、ある意味隔離された理想を求める温室です。
その日本人学校の良さに感謝しつつも、この純粋な学校は、日本には存在しないことを痛感します。
親としては学齢が上がると、さらに帰国後の進学に不安になります。
この純粋で素直なままの海外生徒が、日本の公立中学校で やっていけるのか。

アジア駐在の子どもは、治安の関係上、外を自由に歩くことはなく、中学生であっても幼い子どものような環境です。
むろん帰国後の進路は、帰国する先の都道府県にも左右されます。
帰国子女受け入れの国公立・私立学校がある地域は限られています。
受け入れ学校があるのは都心部に集中しています。

さて、マレーシアにいる頃、駐在期間はまだまだ長い予定でした。

マレーシアの塾で相談したり、各私立学校の説明会に参加したり、インターネットで調べていました。
その中で学校訪問したりしなから進路を考えていました。
地元の公立中学校のちまたの評判が荒れているということも心配でした。
我が家は帰国先が決定しているので考えやすかったのは幸運です。
しかし、突然の帰国がきま、少年たち2人の編入は、暗礁に乗り上げることになりました。
受験予定の学校と編入時期や条件か、微妙になったのです。
帰国前の日記で 私が忙しかった理由の一つは この問題てした。
ギリギリの日程のなか、相手校と話し合いましたが、結果的には、2人とも編入断念ということになってしまいました。
これは少年2人にとっても大きなショックでした。
目標を持って勉強していただけに、親として申し訳ない気持ちでした。
特に大少年は、編入に意欲的だったので…
他の学校を編入受験することも考えましたが、時間的にも限定された選択肢になることから、断念しました。
ところで 私は 荒れ果てた公立中学校から公立高校に進んだ経験があります。
授業などできないような中学校でした。
窓ガラスはなく、水浸しの教室でした。
でも 私は不良ではないし、まじめに中学校生活を終えました。
悪い子はいたけど 私が巻き込まれることはありませんでした。
また今年の春 中学校時代の友達に○十年ぶりにあいました、みな立派なおじさん・おばさんになっていて、生きる力のすごさを感じました。
高校では 美術の恩師や仲間に出会い私の宝物です。
公立中学校   もう一度考えてみなくてはとマレーシアで思いました。
マレーシアの塾では受験の話ばかり。
しかし、大阪での受験情報は、非常に薄い。
日本人学校は進路指導しない。
全国から集まる生徒の多様な条件に対応しきれないのが海外の現実です。
私は 先にも書いたようにできるかぎり調べましたが「リアルな体感」情報は得られにくいのでした。
今 まだ 帰国して2週間弱ですが、情報はからだで感じはじめています
不況な社会背景から私立受験は減っている感じがします。
塾を何軒か回ると たくさんの進路指導、選択肢を提示されました。
編入だけが方向ではないことが、帰国してみて初めて見えた気がします。
マレーシアにいたときは、帰国時期と高校受験への不安が大きかったのですが、帰国して情報を整理すると、マレーシアでは視野が狭かったと気がつきました。
受験の状況は毎年変化します。
公立中学校の中で 自分の道を選びとる教育。
それも また 我が子の生きる力には大事かもしれません
うわさに踊らされることなく、真に賢くなるために
学力はもちろんですが、人生を賢く楽しめる人になってほしい
マレーシアは良かった
でも 日本は もっと良かったと言えるように
この公立中学校が 少年の最良の学びになるように
その階段は 晴れ渡る秋の空のように始まりました

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