15年前の いまごろ ちょうど クロッカスの咲くころ
私の母は 天に召されました
もう あと 何日か という2月の末 寒い夕方
母の叔母が 京都から お見舞いに きてくれました
もう70を とうに過ぎていましたが 「会いたいのよ」と
幾度も 京都の里から やってきていました。
母の意識は あったり なかったり 薬のせいで うとうと していました
それでも 叔母は ベッドのよこで だまって 母を 見つめていました
日が暮れて 叔母が 帰り しばらくして
「おねえちゃんのスカーフ きれいだったわ
おしゃれして来てくれると うれしいわ」
と 母が 突然 目を開き 言ったのです。
意識がないと 思っていましたが 叔母が来ているのに 気づいていたのです
叔母は 若いころから エスプリのきいた おしゃれな人で
お金をかけずに 都会的で エキセントリックな演出の上手な女性です
その日も 淡い紫と ブルーの スカーフを 首高に 巻いていました。
ああ いつもの母が ここにいる
死を間近にして 母の正気は まばらになり
あの天真爛漫な 少女のような母が 間遠くなっていました。
母の一言は いつもの おしゃれが好きな 母らしい言葉
大事なことづてではないけれど いつもの言葉を 聞けたことが なによりでした
聞いておきたいことは山ほどあっても
死を知らぬ母に きくことは できませんでした
しかし その いつもの言葉が 私を 温めてくれたのです。
「まーしゃ 今日 庭に クロッカスが咲いたのよ
これから クロッカスが咲くたびに 思い出すわね」
帰り際の叔母の言葉
その叔母も 泉下の人となりました
クロッカスの咲くころ
マレーシアには クロッカスは 咲かないけれど
クロッカスが咲かないところで 生きているけれど
うちの庭には 今年も 黄色いクロッカスが 咲いていることでしょう。
☆写真は 2008年 3月4日 我が家の庭のクロッカス
私の母は 天に召されました
もう あと 何日か という2月の末 寒い夕方
母の叔母が 京都から お見舞いに きてくれました
もう70を とうに過ぎていましたが 「会いたいのよ」と
幾度も 京都の里から やってきていました。
母の意識は あったり なかったり 薬のせいで うとうと していました
それでも 叔母は ベッドのよこで だまって 母を 見つめていました
日が暮れて 叔母が 帰り しばらくして
「おねえちゃんのスカーフ きれいだったわ
おしゃれして来てくれると うれしいわ」
と 母が 突然 目を開き 言ったのです。
意識がないと 思っていましたが 叔母が来ているのに 気づいていたのです
叔母は 若いころから エスプリのきいた おしゃれな人で
お金をかけずに 都会的で エキセントリックな演出の上手な女性です
その日も 淡い紫と ブルーの スカーフを 首高に 巻いていました。
ああ いつもの母が ここにいる
死を間近にして 母の正気は まばらになり
あの天真爛漫な 少女のような母が 間遠くなっていました。
母の一言は いつもの おしゃれが好きな 母らしい言葉
大事なことづてではないけれど いつもの言葉を 聞けたことが なによりでした
聞いておきたいことは山ほどあっても
死を知らぬ母に きくことは できませんでした
しかし その いつもの言葉が 私を 温めてくれたのです。
「まーしゃ 今日 庭に クロッカスが咲いたのよ
これから クロッカスが咲くたびに 思い出すわね」
帰り際の叔母の言葉
その叔母も 泉下の人となりました
クロッカスの咲くころ
マレーシアには クロッカスは 咲かないけれど
クロッカスが咲かないところで 生きているけれど
うちの庭には 今年も 黄色いクロッカスが 咲いていることでしょう。
☆写真は 2008年 3月4日 我が家の庭のクロッカス
素敵な日記をありがとう
その素敵な感性は、お母様やおばさまから 続いてるんですね
日本の庭には 球根が たくさん
眠っています
水仙 ムスカリ チューリップ アマリリス
ヒヤシンス
いまごろ 咲いているでしょうか
熱帯は ブーゲンビリヤにハイビスカス
です