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イスラムと民主主義は相容れない? 20世紀の哲学は『社会』を扱った

2015-11-17 11:58:27 | 社会思想の終焉

大阪は曇り
 昨日、ねぎの苗を買ってきた。早速、植えよう。早生だから、すぐ食える。

 イスラムへの偏見--イスラムと民主主義は相容れない を正す
 日本で報道されないことが多すぎる。一つは、イスラム教だ。穏健派はどういう論理をもっているか。またISは過激派でどんな主張をしているか。これを詳しく知ると、ISの主張は論外と、より深く理解することができるだろう。過激派の主張は、実際に読むのが一番だ。話にならない、交渉もできない、とすぐに納得できる。

 中身も知らずに、最近『イスラムと民主主義とは相容れない。』と、イスラム教徒は永遠に民主主義や人権を大事に扱わないような識者ぶった『偏見』を昨日、2度聞いた。そんな考えがまかり通る世の中になってはいけない。

 私はイスラム教が民主主義や人権、現代法とは相容れないとは思わない。イスラム法が強い影響をもつとしても。

 トルコはわりとうまく統治している。イスラム諸国の多くが現在、先進国でないのは、何か理由があるとはいえ、ISの過激派がパリを恐怖に陥れたからといって、イスラム教まで現代文明にとって異質と危険視するのは、それはイスラム教への理解が不足しているからではないだろうか。

 テロリストに国を与えると、最悪の人権弾圧国家が生じる
 過激化して、軍事テロリスト集団になったら、もうつぶすしかない。それは歴史的に世界共通である。中南米共産ゲリラはテロを繰り返し、村から人や女食料を強奪した。やがてアメリカに壊滅された。

 もし、そんな過激派に統治権を与えると、もっともひどい国が出現する。ナチスよりもひどいことに。例えば、ソ連ではスターリンやレーニンの時代は粛清で全土で何百、何千万人と虐殺された。餓死寸前の国民が大勢いる北朝鮮。文化大革命で4000万人を殺害したかつての中国。百万人を殺したカンボジア。虐殺の犠牲者数すら数字がないベトナムである。

 最近のケースでは、イスラエルで過激派のPLOなどに自治権を与えたら、テロを容認する組織となって、混乱はいつまでも収まらなかった。毎日のようにガザからミサイルがイスラエルに飛ぶ。自治政府はそれらミサイルの発射を止めようともしない。テロリストはテロを取り締まらない。支配地域は犯罪が横行して、乱れる。南アフリカでもそうだった。そういう治安の極度に悪い国となる。

 テロ組織に、公的な権力を与えると、その国は不幸になる。ISが国を作ることは認められない。それが、世界の意志である。(こういう理由で、日本で共産党が政権に参加する要件がない。国民連合政府などは、日本を犯罪者の国にするようなものだ。)
 
 哲学の話 20世紀の哲学の対象は、『社会』
 社会を合理的に理解するとは、どういうことだろうか? 科学的な社会観を身につけることである。社会を研究して、人間関係や社会に法則を見つけ出す学問がある。それらの世界観を学ぶことである。具体的には、経済学、経営学、社会学がある。当然、それは共産主義という非合理なものではない。もっと正しい社会学がある。それらを習得して、それら社会法則に照らして、社会現象を理解することである。

 経済学に需要曲線や収穫逓減の法則がある。経営学に『組織』、『権限』、『自由裁量』など専門用語がある。組織成長理論では、会社は5段階に組織形態を発展させるという。これは私が得意な理論だ。社会学では、それ以外のものコミュニケーションや異文化交流などを扱う。
 これらを学ぶと、経験的にしか理解できなかった社会の仕組みを、合理的に解釈できる。社会法則をたくさん知ると、社会を科学的にとらえられる。

 これら社会学が"哲学"と思われにくいのは、外の現象を扱うからだ。自然現象を説明するのは、物理学、工学、生物学など。それは哲学と別物と思われている。社会学も、心の外にある『社会現象』を扱う。

 哲学という観点で『社会』を非常に考察しにくい。それは数式を言葉で表現するようなものだからだ。それに挑戦したのが、構造主義やポスト構造主義である。『構造』とは社会制度を意味する。20世紀の主要な哲学・思想は、対象が社会である。理性の時代に哲学は、理性を研究対象にしたように。時流の哲学は、対象が時代のテーマと一致する。あくまでも、20世紀の哲学は、考察対象は"社会"でなくてはならない。そうおおまかに考える。

 彼らの考察は、対象が社会。哲学は、社会が自分にとってどういう意味があるかを考える。だから、20世紀の哲学は大きくは『社会的自己』の解明をする。現代社会は、自分にとって何だろう? どういう存在だろう? と難しく考えたのである。

 正直にいえば、経営学や経済学や社会学の用語を使って明らかにするとわかりやすかった。が、彼らにはそういう才能がなかったようで、彼らの社会哲学は、難解で意味不明のものに、なっている。だから、構造主義とかは、研究対象が不明確なものは、読む気がしない。それでいいと思う。

 物理学を、誰かさん独特の思想用語で説明しても、難解なだけで、身につかない。数学を数式を使わないで、言葉だけで説明する。

 20世紀の哲学は、『組織構造』、『社会的地位』、『社会の役割』は、個人にとってどういう意味があるかを考察した。権限、自由、裁量、地位などという言葉を使うとより的確なものができた。が、20世紀の哲学者は、そういう社会学用語を使わなかった。そのため、難解となった。

 具体的には、どういう表現になったかは、ここでは資料を用意してないから、とりあげない。

 彼らはそんな回りくどいことをした。その努力は評価しても、それは哲学として間違いである。直接に、探求対象をとえらなかったのだから。つまり、彼らはついに、研究対象をとらえることに成功しなかったのである。そういう21世紀の側面的な哲学は、学ぶ価値はないだろう。

 時代のテーマを見据え、それを直接言葉にしたものだけが、20世紀の哲学たりうる。そういう意味では、20世紀の哲学は、社会学そのものだった。社会を合理的に分析して、『自由』を達成する制度を見つけたのが20世紀の哲学者だ。社会の真の法則に到達した者こそが、20世紀の最大の哲学者である。

  本日の被害
 目の痛みは残る。また睡眠中に何か飲まされた。音声送信は毎日ある。

 以上

 

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