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社会保障は社会主義的ではない、資本主義の発展のために不可欠な制度である

2016-08-24 11:34:08 | 社会思想の終焉

こんばんは
 
  社会保障は資本主義の発展のために不可欠な制度である
  総賃金が低くなって、一人あたりの収入も減った。こんな時に、個人保障をして、最低賃金などを与え、『社会主義政策』をしよう、とのたまう人がいる。実は、これは社会主義でもなんでもない。資本主義の充実というものだ。
 
  というのは、多くの日本人は間違えているが、『富を分散させること』は社会主義ではない。単に、社会主義にすると、それが可能になる、という架空の話だ。
 
  真に社会主義になるとは、個人の自由や私有物をまきあげて、企業も国が取り上げ、国が全てを没収して、一元化することをさす。個人の私有物、財産、貯金、資産が何もかもとりあげられる。社会主義になる時は、必ず国民は貧乏になる。だから、みな財産や土地をもつ国民は、嫌がるのだ。
 
  一部もたない人だけが、その国が接収した分を、あとで一人ひとりに分けてくれと幻想をもつ。社会主義者は、そうやって嘘をついて国家による私有財産の没収を正当化する。が、騙されてはいけない。

 現実は、共産党がとりあげたら最後、2度と国民にそれらが回ってくることはない。彼らが管理して、わずかに国民が飢えないよう配給がなされ、路頭に迷わない程度に、貧弱な住居が割り当てられる。共産党員だけが、独占して、その国有財産を好き放題に使う。
 
  社会主義とは支配者になる共産党員にとっては、夢のような楽園である。が、その他、大多数の国民にとっては、誰もが貧困になる最悪の国だ。北朝鮮、カンボジアなどはそうだった。ベトナムやキューバは今でもそんな共産党トップ以外は誰も豊かにならない極貧体制だ。
 
  社会主義は富を分散させない。これが真実である。『全ての所有物は共産にする』というのは嘘だ。共産党員の取り分が8-9で、国民の取り分が1-2なのである。平等な社会ではない。
 
  社会主義とは、公平な分配をする制度ではない。個人の自由を奪い、独裁を行う制度をさす。それが定義なのだ。

 だから、基本、国家の持ち物を個人に分配して、個人の私有物にするのは、資本主義的なことであって、社会主義的ではない。
 
  個人の保障は、資本主義のシステムである
  個人保障は、社会主義者の偽りの『平等分配』で起きることではなく、資本主義の必然である。というのは、資本主義下では、個人が自由に活動する。それで、社会の生産性を最大に引き上げる。そんなシステムが必要となる。
  一人が飢えて、住居もなく、野宿をしたら、一人の活動の損失である。貧困者はお金がなくて遠くに行けないし、食い物が少なくて、活動も落ちる。そんなに国民が貧そでは、資本主義の理想、個人が自由に活動して、最大の成果をあげる社会になれない。
 
  脱落者が負数いるような資本主義社会では、効率が悪い。例えば、1/2の乞食がいる資本主義社会では、生産力が半分に落ちるだろう。それでは、資本を分散させ、個人に自由を与えた効果がない。彼らに衣食住を与えると、1/2の貧困者は自由に働く。国の生産力もあがる。資本主義では、当然、そのような政策を行うだろう。だから、一人一人を保障することは、資本主義的なのだ。
 
  基本的に、資本主義では、個人や私企業の自由活動を高める施策を行う。よって、個人保障や義務教育は必然なのだ。人権の保護は、個人の自由を基本とするから、自由主義からくるものだ。社会主義国では、教育がとりあげられた。教育を受けない者達が続出した。個人の自由度を高めることは、社会主義では敬遠される。

 個人保障も、人権も、自由も、義務教育も、資本主義社会の政策なのだ。
 
 ここでは、リバタリアンの発想は使わない。個人が自由に活動して、全ての責任を負う。貧乏になっても自力ではいあがるべき。国から保護を負う受けるべきではない、という考えだ。これは国家論ではなく、哲学である。国家論で自由主義や資本主義という時は、この発想は使うべきではない。なぜなら、リバタリアンでは、国益を最大化するという国家目標が抜け落ちるからだ。最低限の管理になり、無秩序に近くなる。

 資本主義というのは、個人の生き様をうたうものではない。国家が、個人を自由にさせるか、自由にさせないか。どちらが国にとってよいかを考え、個人や起業を自由にさせたほうが国は繁栄すると、資本主義を選ぶ。当然、国益の最大化が資本主義の課題だ。それで、アメリカや日本の経済政策者は悩んでいる。

 自由主義や資本主義は、国家論の一部であるから、国の繁栄が目標となる。リバタリアンは人間としての生き方を説いたものであり、国家論にはなりえない、国策になりにくい。

 最近、個人保障の範囲が広がっている。ベーシックインカムが国民投票にかけられた。あれは、社会主義な政策と思ってはいけない。あれは、個人が自由に活動する度合いを高めるための要素なのだ。つまり、資本主義的な政策とみなすべきである。

 逆に、社会主義は、国家に集中させるために、個人の権限を奪い、その活動を低くする。社会主義なら、個人保障も資本主義同様に可能だ。とはいえ、資本主義では、その制度の延長として、行う。が、社会主義では、その制度の目的(独裁と集中)には、反する制度である。社会主義の目標は、全ての富、自由、言論、資産、金を個人から奪うことである。個人の資産は少ないほうがよいのだ。国からはできるだけ個人に与えない。それが社会主義だ。個人保障も最低限にされる。

 が、資本主義では、個人の活動性を高めるために、個人保障は最低限ではだめで、より多くしなくてはいけない。個人保障の充実は、資本主義の発展を左右する。試写会保障は、実は個人の人権を最大に高めるもので、個人の自由をあげるという資本主義的な政策なのである。

     
   大野地震研究所 http://tasuku2013.web.fc2.com/world007.htm
 震災9月17日説です。ギリシア・トルコ地震の後と判明しました。神奈川地震の後です。
   
 本日の被害
 歯茎は刺されたようだ。目は刺されたようだ。ベッドで横になると、首の後ろの筋肉が硬直した。首を傾けると治った。きんにぐか固まった時は、その部位を電波の通り道からはずれるように動かすのが、こつだ。首筋をピンポイントで狙えるのは、隣近所近くの電波である。
 
 今日も目を刺された。目に赤い傷が小さくたくさんある。ストーカーは毎日、大店などでみかける。夜は噴霧剤と目への刺激電波だ。睡眠中に目を刺された。音声送信はある。

 では

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