電波犯罪と超科学

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ユートピアの条件。個人の規律→社会制度→社会空間

2019-11-11 12:03:49 | 社会思想の終焉

こんにちは

ユートピアの条件。個人の規律→社会制度→社会空間

 理想社会は、どういう所か。時代ごとにみていこう。ユートピアにはどういう要素が必要かを理解できるだろう。日本人が理解している程度の知識で語る。

  まずはエデンの園。創世記に登場する。アダムとエバが住み、果物や食べ物が豊富だ。戦いがない。平和と食物が豊富な土地だ。桃源郷は、中国で豊かな田園が広がり、食い物があり、美しい女性もおり、野卑でなく、よき住家があり、過度に労働を強いられることもなく、平和な所だ。これらの特徴は衣食が揃い、平和であることだ。

  哲人政治は、プラトンが『国家』で述べた理想の統治制度。民主主義は、愚衆が賢明な統治者よりも、人気ある者を求める。哲人政治は、その問題を克服する。賢人が治めると、うまくゆく。民主主義、共和制よりも優れた統治のあり方として、理論的に導き出されている。現在は民主主義の段階で、この弊害が目につくようになると、哲人政治(選挙よりもよき人事システムが開発されて、)へと移行するだろう。

  ユートピアは、トーマス・モアが描いた理想社会。Wikiによると平和で理性的な人々がいて、町は計画的に作られ、財産は共有で、清潔。労働時間は少なく、余暇に芸術や科学を行う。町が計画的に作られ、汚く迷路のようでないこと、重労働でないこと、貧乏がないこと、科学や芸術が盛んであることが強調される。

  共産主義の理想社会は、原始共産制だ。それは労働者の天国で、働いた分の給与が受け取れる。自分の好きな仕事につける。私有物がなく、共有とされる。これは大規模に行うと最凶社会だったことは言うまでもない。

 人権をうたうフランス人思想家が描いた理想社会は、国家による人権侵害がないこと。言論、行動の自由があること。身分制度がないこと、身体の安全が保証されていること。不当な裁判にあわないことなどがある。特徴は、個人が国家により守られていること、身分制度がないことだ。

 明治維新における理想国家は、士農工商の身分制度の廃止が大きく、誰もが平等だった。天皇を掲げた神権統治というのは、当時も政治の実権は天皇になく、象徴的な意味合いでしかない。

  仏国土は、仏教徒のめざす国だ。僧侶は修行に励む。在家は自らの仕事をしつつ、信仰する。王は徳による統治をする。国王や国民が仏門であれば、理想的な国となる、という考えだ。特徴は、政治家と国民の精神(規律)が高いことだ。

  キリスト教国は、キリスト教を国教とすることで、理想的な国になる、という発想である。が、ローマでその夢はすぐに打ち砕かれた。統治にキリスト教を利用しても、外敵から侵入され、神による保護は受けられない。国民の多くがキリスト教徒であっても、犯罪が減るわけではない。国民は牧師の説教を毎日聴くが、やや賢明になったくらいだ。ローマ以後、ヨーロッパが再び、世界の中心になるには、ルネサンスまで待たなくてはいけなかった。キリスト教国になっただけでは、理想郷ではない。

  ここまでみて、ユートピアについていくつかの知見が得られる。

 衣食住が足りていること

 エデンの園で木の実が多いとは、食べ物が豊かにあることを意味する。桃源郷も食べものに困らない。また女性も美しいことが大切だ。また住む家が暴漢に襲われない。平和であることも重要だ。原始の社会での理想社会は、豊かな食べ物があり、安全であることが条件だった。

 個人の規律が高い社会であること

 仏国土もキリスト教の国も、徳が高い信者が多くいて、政治家は宗教の正しい指針にそって、規律ある政治をする。精神的に優れた個人がいる社会は、ユートピアだ。という考えだ。が、キリスト教国は、信徒が集まって国家をなしても、そこが理想社会にならないことを示した。仏教もほぼ同じだ。江戸時代に民は僧門の檀家になった。日本はほぼ仏国土だったが、やはり藩や当時の日本は、理想社会ではなかった。仏国土も理想社会ではない。

 なぜか、現代でも仏国土を目指すのがいる。アショカ王の国、キリスト教国で失敗したのを歴史で学ばなかったのだろうか。イスラム教国も戦いにあけくれる。平和は長く続かなかった。歴史に学ぼう。宗教国家はユートピアにならない。

 ニューエイジャーは、これからは精神の時代だ、という。現代で、共産主義者が、道徳をなくそうとした。それで、戦後教育は道徳性が意図的に削られた。それで、戦後は、人間の精神性が低下した。いじめが大人にまではびこり、電波犯罪は蔓延している。社会運動にあけくれる者たちは多い。が、彼らは人間性が悪い。特に、左翼活動家は革命のために犯罪を行い、悪辣である。それを嘆いて、これからは精神の時代という。しかし、それは違う。

  精神の時代は、とっくに終わったのだ。デカルトに始まり、カント、ヘーゲルが内的な理性を探求した。その時のテーマは、理性の獲得、自らを神の等しいくらいに賢くすることだった。内的な精神の究極をさんざん論じた。そうなろうとした人物もいるだろう。精神の探求と向上こそは、近代のテーマだ。当時のドイツやヨーロッパでは、理性を語ること、理性的な人物になることで人々は競った。それこそ、精神性が求められた時代である。そして、人々は科学的精神を獲得した。それは理性に基づき、自らを成長させるモデルだ。

 社会思想の時代に入ると、個人の内面に影響する外圧をなくそうとすることで、より自由になろうとした。社会関係を正そうとした。わかりにくい言い方だが、近代で獲得した高き理性を、社会で表現できるようにした。

 平和であること

 第二次大戦の惨禍が記憶に新しかった戦後は特に、平和が強調された。戦争には死と悲しみがあり、他国軍が町を破壊して、略奪して、家族も妻も夫、子も奪われる。これは最低の社会だ。戦争があること、侵略されること。その2つが理想でない。戦争がないだけで平和というのは、安易だ。戦わなくても、隣国の無慈悲な軍隊に制圧されたら、特に共産国の侵略では、人々は捕虜になり、収容所に入れられ、平和はなくなる。戦争がないなら、平和と言う人物は、香港の民主化運動の活動家の危機感がわからないのだ。平和を保つためには、すべての圧政を斥けなくてはいけない。

  平和のために、ヨーロッパでは難攻不落の城壁都市をユートピアに必須とする人もいる。最強の軍隊をもつことが必要だ。侵略されない、一度も弾圧や破壊が起きないことこそが平和であり、ユートピアの要件である。

  重労働でないこと

 税が重く、働いても満足に食べられない。土地がよくなく、耕しても食物が十分に収穫できない。貧しくて、働いても働いても豊かになれない。これは飢えに瀕しているということで、余裕もなく、民は苦しむ。そこはユートピアでない。共産主義では、特に強調する。江戸時代の藩でも、過労を防ぎ、民を疲弊させないことは大切なテーマだった。

 現代の社会的な貧困は共産主義では解決できない。労働者の国というのは、非労働者という身分が生じる。それは2階層の国で、特権者と虐げられる者に分かれる。また社会主義は個人の自由を取り上げ、人権(特に、自由に生産すること)を否定しないと成り立たない。収容所と独裁のソ連の繰り返しになる。

 現代の経済学の出番だ。格差の是正のために、低賃金をなんとかする、景気をよくするなど。 

 人権が保障されること

 国家が監獄で拷問を行い、手足を折り、カタワにする。革命前のフランスではそういう不健全な者が増え、それら欠損者を養うために社会は負担を強いられた。それが社会全体を暗くした。人体を国家がむやみに傷つけないことを国に約束させる必要があった。そこから人権がより強く訴えられることになった。人権は、国家が個人を保護することで、個人の活動を高く保ち、それによって国家全体の繁栄をもたらす、という目的のものだ。人権自体は、国家の原理の一つで17-18世紀に登場したもので、後期のものだ。もっと根本的な国家の原則はある。

 人権で大切なのは、社会的に自由であることだ。自由でないとき、国民は国家の奴隷だ。それはユートピアではない。

  賢人統治であること

 プラトンが詳しく書いたものだ。愚かな統治者が就任すると、国家は傾く。民の暮らしも悪化する。選挙で多数を獲得した者が、必ずしも賢者ではない。選挙という権力闘争で、人心を掌握することは、一定の賢明さがいる。軍事力の強さで、統治者が選ばれることよりも、選挙はより賢明な者が選ばれやすい。その点では、選挙のほうが良いだろう。が、愚衆化の問題もある。哲人統治を達成するには、よりよい人事制度が開発されなくてはならない。

  これら重労働でないこと、人権の保障、哲人制度は、社会制度上の理想だ。これはユートピアの社会制度面である。さらに、私の考えでは新たな要素がある。

 空間の快適さがあること

 これまでのユートピア論では空間に関することは『町のきれいさ』くらいしか説かれない。が、これは重要なのだ。気温が高い地球では、夏が猛暑だ。アスファルト道路の都市は、自然がない。公害を出す工場のある国の住民は、咳き込む。電線だらけの町は、ノイズで人々は苛立つ。灰色の旧共産国、共産国の町は、汚く、不潔で暗い。このように町並みや都市は見た目で活気の有無、煩雑さ、汚れなど快適か不快かは、すぐに判別できる。汚く、住心地が悪く、そこに長くいたら体調を崩すような都市はユートピアではない。これはユートピアの空間面だ。その改良は今後の課題だ。 

 病人がいないこと

 マラリアで生死の境をさまようことが、数年に一回ある。完治しない慢性の病を持つ人々が多い。難病がいまだにある。肥満の国民があふれる。ベッドで動けない老人が苦しむ病棟があちこちにある。徘徊する痴呆老人がいる。失った腕を取り戻せない。病人があふれる国は、ユートピアではない。ユートピアでは、人々は健康でなくてならない。医学が進歩しなくてはいけない。

 犯罪者がいないこと

 これは治安の問題だ。社会制度で達成されるものだ。治安が悪くては、犯罪者にいつ襲われるか怯えなくてはいけない。治安が乱れた国は平和ではない。平和とは、国内の治安も含む。犯罪をなくすには、監視を強化しなくてはならない。それが、人々の自由を奪うものでないものでなくてはならない。そして、正しく罪を判定するものでなくてはならない。テレビカメラが町にあふれることは、治安を高める上では、とてもよいことだ。さらなる、防犯システムがそこではいる。

 まとめ

 ユートピアの要件は、個人の衣食住が十分、個人の規律が高い社会、平和(他国から侵略されない軍事力をもつ)、重労働がない、人権が保障されること、自由であること、哲人統治、空間の快適さがあること、病人と犯罪者が極度に少ないないことなどだ。これらを達成しないで、ユートピアにはならない。

 信徒たちは、個人が規律さえ高ければユートピアと思わないようにしたい。それは近代思想の考えで、ユートピア住人の要件だ。19-21世紀まではユートピアの社会の制度を求めた。現在、そろそろ結論が出ようとしている。ユートピアは理想的な社会でなくてはいけない。そして、21世紀のこれからは、ユートピアの空間面を見いださなくてはならない。それらは今後、明らかになり、人々は実現してゆくだろう。

快適な地球上に、理想的の個人による理想社会を作ることを目指そう。

以上

『【リセットコリア】文大統領が日本に賠償要求しないと明らかにしよう』(中央日報)
韓国は、日本に賠償させようとしたが、日本は斥けた。韓国はとうとう無法なたかりを諦める論調に。

『収容キャンプを連想 人権団体、無印良品やユニクロの「新疆綿」PRに批判』(大紀元)
 無印良品の通信販売では、かつて売られていた。このサイトに。ユニクロは否定した。

『米、中国「一帯一路」の対抗代替案を発表 日本も参加』(大紀元)
ブルー・ドット・ネットワークという。

『極左団体「アンティファ」、カナダで保守派講演会を妨害 日本でも活動』(大紀元) 
 
『「聖地中の聖地」世界遺産のチベット寺院で火災発生、当局は情報封鎖』(大紀元)
大昭寺、ジョカン寺が燃えた。

電波犯罪
11/10 一昨日の11/8は熱で寝込んだ。中毒の症状。11/9は軽い頭痛で動けた。が、頭はぼんやり。口の中がやや傷だらけで、噛むと痛む。

11/6昨日はなんとか動けましたが、背中が痛むのなんの。ひどい。今朝まで背中が痛む。首があがらないほど。何を注射されたのでしょう? ここから来たにゆくと美山台と丸山台があって、ここ一週間私を襲うのはそこか、加茂です。

 『アカファイルで不倫の子が夫にバレた。夫にも外に作った子がいる。だから死ぬ必要はない。』http://blog.goo.ne.jp/tasuku44/e/55551d70f14aff5b2b47e20ed193777b

 今日の被害も過去と大差ない。頭刺されに、眼の痛み。朝から下痢。

 では

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2019-11-12 11:37:33
何を注射されたのでしょう?
→何も注射されていませんよ。単なる被害妄想です。

それと、あなたのユートピア論でみれば、今あなたが住んでいる環境はまさにユートピアですね!
親に養ってもらって、衣食住が確保されており、重労働どころか全く働かなくても生きていけるんですから。
一般人は働いて収入を得て生活しなければならないので、実に羨ましいです。

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