奈良時代の元正天皇の養老2年(718)に創建。桓武天皇の平安遷都(794)に際して御所の鬼門除けとして祈願され、 文徳天皇の嘉祥3年(850)神階最高位を賜り、以来、「正一位小倉大明神」と号する。延喜の制により式内名神大社に列す。 天正10年(1582)、山崎合戦の際豊臣秀吉が戦勝を祈願した。明治維新まで境内地は36万坪余。
※平安京の裏鬼門(南西)に位置する本殿は東北向である。
※方除、厄検の枢神として近年には家屋の新築の際の地鎮祈祷等が多い。
・武甕槌神(たけみかづちのかみ)
・斎主神(いわいぬしのかみ)
・比売大神(ひめのおおかみ)
・天児屋命(あめのこやねのみこと)
※平安京の裏鬼門(南西)に位置する本殿は東北向である。
※方除、厄検の枢神として近年には家屋の新築の際の地鎮祈祷等が多い。
・武甕槌神(たけみかづちのかみ)
・斎主神(いわいぬしのかみ)
・比売大神(ひめのおおかみ)
・天児屋命(あめのこやねのみこと)
【由緒】巨椋池のほとりに住んでゐた巨椋氏一族がその祖神を祀つた