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tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

「真珠湾攻撃」和解の象徴へ。

2011年12月13日 | 季節の便り(北陸、福井)
わが国が突然の「真珠湾攻撃」に踏み切り、
太平洋戦争の始まりとなった70年前(1941年)。
12月7日がその日らしい。
このとき2400人もの米国軍人が死亡。
「リメンバー・パールハーバー」との合言葉で
反日の謳い言葉であったこの事件。
いろいろなことを踏まえ、今70年たち、
「反日から和解の象徴」になっている由(勝手に感激)。





私は、ブログでイデオロギーに関することは
触れないようにしていますが、
今回だけは「心に響き感激した」ので
少し意見を述べたい。


さすが、民主主義の国、だからこそであり
見習わなければ成らないのではないでしょうか。


近隣の2~3の国、お互いの国の元首が変わったりすると
必ず「謝罪」を求めてくる、賠償も済み
わが国の外交問題の下手さあるのでしょうけれど・・・
米国を見習ってほしいものである。

アジアの近隣国でも、こんな話しがあります、
この戦争の、戦犯としてマニラの北24kmにある
「モンテンルパ」に2000人余の日本人が収容され、
死刑執行など続く中、
日本の歌手(渡辺はま子さん)よく慰問にいらしたそうです。
その中で、収容者が作詞・作曲した、
あぁモンテンルパの夜は更けて」が謳われた。
その曲を当時のマニラ大統領にオルゴールにして差し上げたところ
「この物悲しい曲は何なのか」
戦犯たちの日本への望郷と知り、
日本との戦闘で妻と子供を死なせているにもかかわらず
わずか1ヵ月後、嘆願などを了解、罪を減刑して
全収容者を日本へ送還された、
・・・といわれている。
(この大統領はフィリッピンのキリノ氏、)

コメント
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