餌に対して、腰が重かったり、軽かったりだけでなく、他の刺激に対してはまた別の反応を見せます。「外敵出現!」「巣が壊れた!」「卵が割れた!などの刺激には素早く反応するアリもいます。反応閾値は優劣ではなく多様性として考えられるのです。人間だってそうでしょう。会社の仕事はてきぱきとできるけど、家の中ではゴロゴロしてる人いるでしょう。今は働き方改革で、「誰でも働ける社会を!」と息巻いてる政治家もいますが、「遊びの天才」なんて人だっていいじゃないですか。なにも1億総働きアリになる必要なんてありません。誰がそれを求めてるんですか。よーーく考えましょうね。
反応閾値の違い=腰が軽い重いは刺激の多様性に対して、程よくバランスよく働かないといけません。餌の発見だけに反応していてはその種は滅びます。外敵から巣をまもることに素早く反応できなければ、その種は生き残れません。
腰が軽い・重い、反応閾値の違いは優劣ではなく、個体差・個性であり、多様な個性があるからこそ、状況や環境の変化に応じて、生き残って行けるのではないでしょうか。
人間の社会も同様だと思います。人間社会はアリの社会と違うのは、意図的にこうしたことを為し得る可能性を持っているということです。
それにしても長い年月を経て、生物の生態に自然と備わっていった自然の叡智に感動すら覚えますね。多様性は組織や社会が生き残れる確立を高めるということでしょうか。障碍者雇用率の数字をごまかしていた日本の高官や官僚は生き残れませんよ。「多様性」のない社会は一時期的には繁栄することもありますが、劇的な変化には持ちませんね。
政治屋さんも、企業のトップに立つ人も、短期的な成果に結びつく、特定の価値基準だけで、人を裁きたがります。そのことは組織に多様性が生まれる余地を奪います。
これからは、これからも、多様な価値基準を持ち、多様な人が活かされる社会を目指したいものです。
働かなアリがいる働きアリの集団に、人間は負けられないぞ。










