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実際の火垂るの墓のストーリーはこうだそうです。

2025-08-17 12:08:37 | 日記
アニメと実話の7つの決定的な違い

アニメ「火垂るの墓」は芸術作品として高い評価を受けていますが、野坂昭如氏の実体験とは大きく異なる点がありました。以下に主な違いを詳しく解説していきます。

妹の年齢と人数
アニメ:4歳の節子1人
実話:1歳6ヶ月の恵子。実は他にも1人妹がいた(病死)
理由:物語の展開上、会話ができる年齢に設定された
両親の状況
アニメ:空襲で両親を失う
実話:養父が行方不明になったが、養母は重傷を負うも生存
さらに:実の父親(後の新潟県副知事)は生存していた
生活環境・西宮のおばさんはいい人だった
アニメ:防空壕での孤立した生活
実話:西宮の親戚宅で生活
重要:親戚は実際には面倒見のよい人物だった
兄の態度・実は妹に食べ物を与えていなかった・妹を日常的に叩いていた
アニメ:妹思いの優しい兄
実話:食べ物を独占し、暴力も振るう
告白:「粉ミルクまで飲んでしまった」と後年語っている
生活状況・防空壕で生活はしていなかった
アニメ:完全な孤立状態
実話:親族のサポートあり
補足:当時の一般的な戦災孤児の状況を反映して創作された
死因の背景
アニメ:戦争による不可抗力的な死
実話:兄による世話の放棄が大きな要因
重要:作者の贖罪の念が作品の根底にある
物語の舞台
アニメ:神戸から西宮への移動
実話:最終的に福井へ移動
詳細:地理的な設定も大きく脚色されている
これらの違いは、野坂氏自身が様々な機会に語っており、特に朝日新聞や「わが桎梏の碑」などの著作で詳しく明かされています。これらの事実は、作品の解釈に新たな深みを与えると同時に、戦争の現実の残酷さをより鮮明に伝えています。

【事実との違い1】妹は2人いたし、妹は1才6ヶ月だった

野坂昭如氏は生まれてすぐに張満谷(はりまや)家の養子となりました。張満谷家には血の繋がらない2人の妹がいましたが、このことは11歳になって偶然戸籍を見るまで知りませんでした。

上の妹は戦前に病気で亡くなっているため、「火垂るの墓」の時代設定では確かに妹は1人でした。

しかし、小説の節子(4歳設定)のモデルとなった下の妹・恵子は実際には1歳6ヶ月。まだほとんど言葉を話せない年齢でした。

実際の悲劇は、野坂氏が14歳、妹の恵子がわずか1歳6ヶ月の時に起きました。しかし、小説では節子は4歳に設定されています。 これには物語上の理由がありました。

1歳半では物語を展開するための会話ができず、兄妹の交流や感情の機微を描きにくいためでした。赤ん坊では物語を効果的に展開できないため、作者は意図的に年齢を上げました。

アニメでも節子を4歳という設定にしています。これも純粋に創作上の必要性からです。そうすることで、兄妹の会話やケンカ、遊び、そして甘えるシーンなど、感情的な交流を描くことが可能になりました。

特に、元気な頃の無邪気な姿と、衰弱していく姿の対比が、物語の重要な要素となっています。 この年齢設定の変更は、作品のドラマ性として重要な役割を果たしていますが、同時に実際の悲劇の深刻さを別の形で隠すことにもなってしまいました。

アニメでは、たどたどしく「あんちゃん…」と呼ぶ節子の声に胸を打たれる場面がありますが、実際の恵子にはそれすら難しい年齢だったのです。

【事実との違い2】空襲で両親を亡くしていなかった

アニメでは、神戸大空襲で両親を失う清太と節子の設定が物語の重要な起点となっていますが、実際はかなり異なっていました。

野坂氏は既に養子に出されており、血縁関係のある両親については複雑な状況にありました。

実母は野坂氏が幼い頃に既に亡くなっていましたが、実父(後に新潟県副知事となる野坂相如氏)は生存していました。

養父は空襲で行方不明になりましたが、養母は大けがを負ったものの生き延びていました。

また、一緒に暮らしていた義祖母も無事でした。 この設定変更は、孤立無援の兄妹という物語の構図を作るために必要だったと考えられますが、家族構成や経緯の脚色は作品の中でも最も大きな創作部分の一つです。

野坂氏は『火垂るの墓』以後も、『一九四五・夏・神戸』『行き暮れて雪』などで戦争体験を描き続けています。

注目すべきは、同じ時期の出来事を描いていながら、小説や映画と異なる家族関係が描かれている点です。たとえば『焼土層』では、実際には生き延びた養母を“亡くなった”設定にして描いており、戦災孤児としての物語を自己構築した形跡があります。

これは、14歳で妹の死を看取った自責の念から、「あえて美化しなかった」フィクションの形で昇華する方法だったとも言われています(清水節治『戦災孤児の神話』)

【事実との違い3】西宮のおばさんはいい人だった

アニメでは自分の子供を優遇し、清太たちを差別する冷たい親戚として描かれた西宮のおばさんですが、実際は全く異なる人物でした。

現実のおばさんは、野坂少年と妹の恵子、さらに負傷した養母とその母親までを引き取って世話をしてくれた、むしろ献身的な人物だったのです。

よく観察するとアニメでも大人たちも雑炊を食べている場面があり、清太だけが意地悪されていたわけではなく、当時の厳しい食糧事情を反映した設定となっています。

戦後の混乱期に親族を受け入れること自体が、相当な負担だったことは想像に難くありません。

ちなみに野坂氏はこの家にいた2歳年上の三女「京子」に恋心を抱き、そのために妹の世話がおろそかになっていたという別の事情もあったようです。

【事実との違い4】実は妹に食べ物を与えていなかった、その上、妹を日常的に叩いていた

戦後の深刻な食糧難の中、14歳の野坂少年は生きるために、自分の分を確保することを優先していました。その結果、1歳半の妹への食事は極めて不十分なものとなりました。

特に印象的なのは、雑炊を作った際のエピソードです。野坂氏は自分用に鍋底の米粒を取り、妹には栄養価の低い上澄み液だけを与えていたと告白しています。当時の配給で支給された粉ミルクも、空腹に耐えられず自分で飲んでしまったといいます。

さらに衝撃的なのは、「わが桎梏の碑」での告白です。衰弱していく妹を横目に自分だけが食事をし、最後には妹の太ももにさえ食欲を感じたと記しています。当時の日本では似たような状況が各地で起きていましたが、野坂氏はこの事実を生涯にわたって悔やみ続けました。

また、妹を日常的に叩いていたとも告白しています。

アニメでは優しく妹の世話をする清太像が印象的ですが、現実は大きく異なっていました。満足な食事を与えられない1歳半の赤ちゃんは当然のように夜泣きをしましたが、自身も空腹で苦しんでいた14歳の野坂少年は、その泣き声に耐えられませんでした。

後の短編『死児を育てる』によると、夜泣きを止めようとして妹を叩いたり激しく揺さぶったりしたことがあり、時には脳震盪を起こすほどの暴力を振るうこともあったといいます。生活が苦しくなるにつれ、その不満のはけ口を妹に向けることが増えていきました。

「自分は、火垂るの墓の清太のようないい兄では無かった。・・・恵子には暴力を振るったり、食べ物を奪ったり・・・」 「泣き止ませるために頭を叩いて脳震盪を起こさせたこともあった」  野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」(朝日新聞 1969年2月27日号に掲載) 野坂昭如「プレイボーイの子守唄」(婦人公論 1967年3月号に掲載



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60年後に地球はブラックホールに吸い込まれるカモな話が動画でありました。

2025-08-12 22:37:22 | 日記
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