「原発と映画」プロジェクト準備ブログ

原発に関する映画の紹介や、首都圏で放射能から子どもを守る取り組みの紹介や、子育てしていて疑問に感じることのつぶやきなど

広河隆一さんの語るチェルノブイリと福島

2011-11-20 21:53:53 | 放射能と原発

私は(私たち日本人はといってもいいのですが)、チェルノブイリのことを知らな過ぎたのだと思っているので、可能な限りチェルノブイリのことを知るようにしています。

「チェルノブイリのかけはし」の野呂さんのお話もだからこそ真しに耳を傾けています。

広河隆一さんのことは、「チェルノブイリの真実」という10年後のチェルノブイリを描いたドキュメンタリーをとおしてしか詳しくは知らなかったのですが、今日初めて直接講演をお聞きすることができました。

チェルノブイリ子ども基金20周年 「チェルノブイリと福島」という講演会でした。他に顧問の黒田信一さんのお話と佐々木真理事務局長のお話もありました。

「チェルノブイリ子ども基金」の活動としてずっとチェルノブイリ支援を続けてこられ、何回もチェルノブイリを訪問し向こうの方たちとも深いつながりをもっているだろう広河さんのお話は、大変興味深いものでした。一時間にわたるお話は全部書ききれず、後日ユーストリウム中継もされるということですので、印象に残ったことだけをお伝えします。

◆2011年2月にもチェルノブイリにいってきた。近年「安全ですよ」と言われ避難地域から少し離れた村の住民の病気が多いと感じている。

◆ブリピャチの町からの避難は何故行われたのかというお話

警察・消防・軍・共産党・医学者・町の市民代表などによる対策委員会が開かれ、「人々を避難させるべきかどうか」「人々に汚染を知らせるべきかどうか」で激しい議論がおこったそうです。結局物理学者・消防・軍が避難すべきと主張し、最後は「ここには17000人の子どもがいる」という町の代表のことばで決まったそうです。

◆30キロ圏の避難

全員一緒では混乱がおこるということで、まず5月2日女性と子どもの避難が行われ、あとから男性が避難したそうです。

家畜の移送車を国中から集め、農民は家畜と一緒に避難できるようにしたそうです。

◆ウクライナのキエフでは、こどもが全員避難したそうですが、それは当時の大統領(ソ連邦は存在していたので、今の大統領とは違う)が女性大統領で、こどもだけは助けなければということで、5月12日学校を閉鎖し、国中から列車を集め、5月14日にはキエフ中のこどもたちを保養地に向けて送り出したそうです。「早めの夏休みをあげるから楽しんでらっしゃい」ということばと共に。

◆チェルノブイリ事故後しばらくはさかんに除染が行われたそうです。

例えば松の木は放射能によって赤く染まってしまい、汚染をまき散らすので、全部斬って地中に埋めたり、家々の屋根を水で洗ったり、コンクリートの方がいいというので、道路をコンクリートに変えたり…。

でも結局除染のお金が続かなかったのと、いくら除染しても無駄だということが次第にわかってきて、途中で断念したそうです。

◆除染されたものは、地中に埋めた以外は、高濃度汚染地域に持っていって捨てることになっていたそうです。

地中に埋めたものはやがて地下水を汚染し、貯水庫にまで移行していくので、今でも雪解けの時期には飲料水の汚染が高くなるそうです。

◆1993年になってはじめて母乳検査が行われたそうです。検査した全員からセシウムとストロンチウムが検出されたそうです。

◆放射線障害を低く見せるからくり

  チェルノブイリの事故のときに急性放射線障害で亡くなった人は28人ということが、盛んに宣伝されているが、この数字は、モスクワの病院に運ばれて事故から2週間以内に亡くなった人の数字である。3週間以後亡くなった人は含まれていない。

90年~91年にかけてIAEAが調査して「小児甲状腺ガンは増えていない」という報告をしているが、この時の調査人数は大人700人(そのうち子どもは約半分)。もともとヨーロッパでは50~100万人に一人の病気だったので、調査人数が少なすぎる。

避難民のカルテが保管されていたホエイキの病院のカルテの貯蔵庫は3回火事にあっている。副院長が一部持ち出した分だけが残された。その副院長は降格にあう。

◆現在チェルノブイリではドームをつくろうとしているが、ドームをつくる会社は原発を作る会社。

その前に補強工事を進めているが、作業しているのは汚染地の人々である。

◆食べ物の偽装がこれからますますおこる。だからこそ市民測定が大切。

◆事故直後現地にはなかなか入れなかった。ようやく入れたのが三年後(?)。

その時は日本製の測定機をもっていった。知れば知るほど大変な問題であるということがわかってきて、何を支援するか重点を決めて取り組んできた。

◆今の福島の状況

夏休みを機に疎開がもっと進むと思っていた。逃げることが大変な状況がある。

これから疎開に全力をつくすつもりだ。

☆事故直後に計測機をもって福島にいったときのお話もいろいろありました。

 

追記

事故直後にはチェルノブイリにはいけなかったということで、はじめていけたのが〇〇年と聞いたのですが、ちょっと不確かなので確認します。

追記②

チェルノブイリ子ども基金のHPです。

チェルノブイリ支援とはわけて、姉妹団体として「未来の福島子ども基金」を立ち上げて、活動をスタートされているそうです。HPです。

 

                                       

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« こんな時間がほしかった… | トップ | 私たちにとってのチェルノブ... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

放射能と原発」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事