さかなの眼

眼からうろこが落ちる「さかなの眼」です。

「布文化」

2005-02-01 | Weblog
「可憐な野菊を染めた四角の布片がグッチの鞄より機能的で美しい
と西洋人が目をみはった」(「無窓」146頁白井 晟一著 筑摩
書房)
 ‘布文化’をつきつめて考えていくと、日本文化のありようが見
えてくる。良く言われる事だが風呂敷は、中身があって初めてかた
ちが作られ、中身がなくなるとかたちも消えていってしまう。建築
の地鎮祭などの儀式でも大地を幕で囲うと、そこは神様が降りてき
て、工事に携わる人たちと、酒を酌み交わし、魚を食べて、季節の
果物を味わう虚構としての神聖な空間と化す。幕を取り外せば大地
だけの何もない平面的な現実の空間となる。もう少し進んで考える
と木造建築の透明性をもった仮設性のある架構は‘布文化’の延長
なのかもしれない。

 木綿の‘手拭い’。静かなブーム。東京の代官山の‘手拭い’の
店、「かまわぬ」。若い人から年配の人まで幅広く人気がある。布
の端は切りっぱなし、湿気の多い日本の風土からの知恵、吸水性が
良く、乾きやすい。縫い目をつけると雑菌がつきやすく衛生的でな
く、自由な大きさに切れるのが良い。手を拭くだけでなく‘手拭い’
は、いろんな用途に使える。豆絞りの‘手拭い’をキリリと頭に巻
けば一気にお祭り気分にもなれるし、ねじり鉢巻は気持ちを引き締
め仕事に熱中できる。タオルで鉢巻では絵にならないし、想像した
だけでちぐはぐな姿になる。バンダナ、エプロン、暖簾、怪我をし
た時の包帯代わりにも木綿の‘手拭い’はなる。昔、腰に‘手拭い’
をぶらさげていたのがバンカラ学生、きれいな図柄の‘手拭い’を
バックに綺麗に折たたんでしまっておいたりするのが、今風のお洒
落なのである。

 ‘手拭い’は角を決めながら清潔感があってきちんとおりたたむ
ことが出来ることが日本人の粋なお洒落感覚となんにでも使えると
いう合理的精神に合っているのかも知れない。‘タオル’。いつの
間にか洗面や手を拭くときの主流になったが、もともと西洋から移
入したもの。ふわふわした分かさばるが、身体を洗ったり、湯上り
の身体を拭いたり、ホテルに備え付けのバスローブ、どんな事をし
ても‘手拭い’には変えられない心地良さがある。‘タオル’の目
的とする機能は気持ちよく‘拭く’という単一機能にはもってこい。
しかしながら他の用途にはあまり使えない。ましてやかさばる分だ
け持ち歩きには不便なのである。

 いろんな用途に使えて、綺麗に小さく折たためて、その上そっと
忍ばせて持ち歩ける木綿の‘手拭い’。西洋文化には‘かばん’が
ある。ものを入れるにもきちんと左右対称で軸線が通っているし、
入れるものと、入れる場所まで決められている。入れものとしての
かたちも最初から決められている。あるようでない、それでいてい
ろんな用途に使え、自由なかたちの日本の風土にあった日本の文化
としての「布文化」。落語の小道具には‘手拭い’と‘扇子’は欠
かせない。日本の伝統文化、世界に誇れる職人文化であることを誇
りに思えてくる。


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3 コメント

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江戸人の粋の真髄を見た! (もふ)
2005-02-01 10:10:10
てぬぐい愛用派、一昨日もかまわぬで春物を購入してきました。ふじ、かきつばた、さくら、いちご・・・「季節を感じる」というのも、ハンカチやタオルにはなてぬぐいのよさです。



江戸時代には山東京伝による「てぬぐい合わせ」というてぬぐいコンテストのようなものも開催されています。その中の「熊野染」など、この時代にこんな斬新なデザインがあったのかと驚かされます。http://www.yumeshigoto.gr.jp/tenugui/tngi3.htm
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Unknown (k-enter)
2005-02-01 14:28:17
私は年齢が若いということもあって手拭いを身近に感じる機会があまりありません。

たしかにタオルと違って用途はたくさんある上に使用される場の雰囲気も変えてしまうほど効力があるということを改めて感じました。身近に感じたくなったので今度代官山の手拭い屋見に行こうと思います。きっと高くて買えないと思うので見るだけになりますがw

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Unknown (さかなの眼)
2005-02-01 15:21:19
そのうち自分でデザインした手ぬぐいを作ってみようかと、この間から真剣に考えている。モチーフは多分染めだから繰り返しの面白さだと思っている。
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