さかなの眼

眼からうろこが落ちる「さかなの眼」です。

やまあらしの距離

2005-02-08 | Weblog
 最初と最後をきちんとしなくてはならないといつも思っている。
最初と最後だから一番大事なことは時間の事、そして最初の問題
提起のフレーズをなんにするかも大事な事、後は最後に提起され
た問題を自分の言葉できちんとまとめられれば聴衆の反応がしっ
かりと返ってくる。時間どおりに始めて時間内に終わりにするこ
とが基本、そう思って会場に到着したのが30分前。いきなり言
われた言葉が「他の人の話があまりないので60分の話の中身を
90分にして貰いたい」。いきなりその場で90分かと思いなが
らも始めた演題が「やまあらしの距離」。パワーポイントで話の
組み立てはしっかり出来ているから大丈夫、あとは聞いている人
の気持ちをいかに惹きつけられる喋り方が出来るかにかかってい
る。画面を見ないで話す事が基本、聞き手の顔をきちんと見渡し
ながら話せば90分間、満足のいく答えは返ってくる。

 去年は何回か「やまあらしの距離」で最初の問題提起のフレー
ズを使った。そもそも「やまあらしの距離」を引用しようと思っ
たのは自分の会社の新人女子社員の研修会での資料を点検してい
て見つけた言葉。全国から早稲田慶応を始め名のある大卒ばかり
約百五十人の中に入った10日間近くの社会人になるための泊り
込みの導入研修だから資料を見ているだけでも面白い。挨拶の仕
方から始まって組織人になった心構えが書いてある。「やまあら
し」は全身にとげを持った動物、敵に攻められた時に自分の身を
守るためにとげが役に立つ。もっと掘り下げて「やまあらし」の
習性を観察してみれば「やまあらし」は昼と夜で寒暖の差が激し
い熱帯地域に生息している。寒暖の差を防ぐためにもとげは有利
に働く。肝心なのは「やまあらし」は群れを成して行動する事、
決して1匹では行動しない。かといって群れを成すのに近寄り過
ぎてはお互いのとげで傷つけあってしまう。そう、とげを出しな
がらちょうど良い距離を保って行動するのが「やまあらしの距離」
と言うことである。

 似たような人間関係の距離の話なら「スープの冷めない距離」
もある。少し違うといえばお互いが自分のとげをしっかり持って
いるかどうかということになる。みんなで渡れば怖くないといっ
て戦後高度成長の波に乗って出来上がったシステムが護送船団方
式だった。各種業界団体が全国に沢山出来てきたし、右肩上がり
で何でもこなしていかなければならない時代はこのシステムはそ
れなりに存在意味もあったし機能もしてきた。せいぜい団体の行
動規範を作って集団でものを言っていれば事足りた。今は違う、
ぬめ―っとしたとげも何もない船団を引き上げてくれる時代は終
わった。結果として残ったのが理論構築も感性もない業界団体が
取り残されただけだった。自立のとげがないからお互いもたれあ
いの近寄り過ぎ、近寄った挙句に起きてきたのが世間で言われて
きた不祥事となって浮き彫りにされて来たと言ってもおそらく外
れてはいない。

「やまあらしの距離」、去年は何遍もあちこちで使わせて貰った。
結婚式の祝辞にまで使ったような気がする。確か後で調べてみる
とショーペンハウエルの言葉だった。どんなビジネスにも組織に
も当てはまる。ビジネスの基本は「商品力」×「営業力」。しっ
かりとした商品力のある商品を持つ事も大事、加えてその商品が
上手に売れていくかどうかは営業力、お客の心を信頼感でしっか
りいつも繋ぎとめていられれば間違いなくビジネスは成功する。
いきなり金額勝負はもちろんとげのない近寄り過ぎた売り方、行
き着く先は見えている。反対に予定調和とまでは言わないが距離
が「やまあらしの距離」どころかとんでもなく離れ過ぎた社会に
なりつつある事も事実、近寄り過ぎるのを忌み嫌って離れ過ぎて
しまったら元も子もない。コミュニケーションが成り立たない。
自分自身のとげは何なのか、いつも自問自答しながらとげをつく
りあげていく。求められているのは「知」、対立でももたれあい
でもない自立した個の社会である。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
距離 (五代裕作)
2005-02-09 18:51:46
よその国のことは良くわからないが

日本人は本当に議論が下手である。

「同意」が「馴れ合い」に「反意」が

「対立」にすぐつながる。感情的にな

る。なぜ意見の矛盾や対立の中から,建

設的な議論を生み出せないのか。またそ

ういった傾向は分野によっても異なるよう

である。政治性や思想性の高い議論はまず

ダメである。科学のようにデータの蓄積な

ど客観性の高い議論はかなり冷静に進めら

れる。殆ど見ないが数年前「朝まで生テレビ」という番組の中で原子力エネルギーが

テーマになった時,科学者が客観的なデ

ータをもとに冷静に議論しているのにNGO関

係者が感情的になって茶々を入れる,というパターンがひたすら繰り返されていたことを思い出す。先日の三井物産のデータ捏造問

題など「理系的」なことにもいろいろ問題はあるようであるが,しかしまだ個人的な感情が絡む余地が少ないだけマシである。国際政治でも日本は他国との距離のとり方がわからない。だから,謝罪外交・追従外交を繰り返している。英語だの何だのの教育と言って教育ママが幼児に英会話を習わせたりするが,

まず人との距離のとり方,議論の作法,マナーなどをしっかりと教えた方がいいと

思う。そちらの方がよほど教育的である
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非マルコフ過程 (さかなの眼)
2005-02-09 21:10:33
明日のブログ欄でもう少し具体的に書こうかと思いましたが一つ一つの事象が完結した中で積み重ねられていくのがマルコフ過程、いろんな事象が複雑に絡み合って形成されていくのが非マルコフ過程です。科学的なデータに基づいた議論は冷静に進められますが、人間同士の距離のとり方、感情のぶつかり合いはなかなか難しい。もちろんもっと大変なのが国際政治の距離のとり方。簡単に擦り寄り妥協政治は決して許されるものではありません。要は自立した国家にきちんとなれるかどうかにかかっていると言うことです。
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