さかなの眼

眼からうろこが落ちる「さかなの眼」です。

「考えつづけること」

2005-03-03 | Weblog
 ものづくりには「考えつづけること」は欠かせない。建築の納ま
り、デイテールは「考えつづけること」。「考えつづけること」に
よって納まり、デイテールは磨かれ、緊張した空間が出来上がって
いく。最後まで突き詰めていく姿勢、「考えつづけること」は詳細、
デイテールが皮膚感覚となって浮き彫りになってくる。文章を書く
ことは自分の主張を相手に問いかける行為、感動を与え人の気持ち
を動かしていく。一気に書き上げた文章には勢いはある、建築空間
も最初のスケッチは荒々しくても素朴なかたちのなかに主張したい
かたちの生の原点がある。文章を推敲し続け、建築もエスキースを
続ければ続けるだけ生のかたちは洗練されたかたちとなってあらわ
れてくる。ものづくりを通じて「考えつづけること」は磨き上げて
いくことである。

 文化の自動律、オートマテイズム。あるものを了解したものとし
て一人歩きを繰り返していくこと。既製のものを常に安易に受け入
れることの繰り返しだから原点が見えなくなってしまう。建築空間
ならはじめにイメージしてしまうのが床、壁、天井。そして床なら
フローリングかタイルか石、あるいはカーペット張り、壁ならクロ
スかペンキ、天井は石膏ボード張り。床は人、ものをささえる水平
面、壁は空間を仕切る面、天井は覆う面。もともと面で構成される
ものに建築用語として床、壁、天井は後から付いてきたもの。固い
空間を作りたいか、ドロッとした空間か、はたけばキンキンした空
間になるかによってそれぞれの面の素材も変わってくる。後追いに
なったカタログ選びに終始するからわけの分からない建築が出来上
がっていく。思考を止めた安易な組み合わせの繰り返しになるから
原点とは離れ、一人歩きになっていく。ものづくりには「考えつづ
けること」は欠かせない。

 飛行機に乗る人、降りてくる人、荷物の運搬、そしてトランジット、
機能動線の流れが生命線の空港建築。どこの空港も機能美を誇って
いる。飛行機そのものも無駄をなくした流線型のかたちの機械の美
学。最近の空港建築、どこに行ってもハイテクメタリックなシャー
プな形が出来上がっている。上から見た配置プランはさながら機能
とかたちが一体となった昆虫の美を連想させる。そんななかでも機
能美と離れた気になるデザインが飛行機にかぶさるように取り付く
ジャバラ、乗降通路のデッキと飛行機の微妙な角度の胴体に取り付
く接点のジャバラはどうしようもない。デッキと飛行機の胴体との
接点、納まりを決めきれないからジャバラがデイテールを飲み込ん
でしまう。建築の納まりの基本は違った材料、異なった角度のぶつ
かり合いとしまい方を処理するためにある。床と壁のぶつかりが幅
木、天井と壁のぶつかりが廻り縁、ドアと壁の境がドア枠、仕舞い
かたをどうするか「考えつづけること」。その結果あるのがいいの
か、見えなく引っ込めるか、浮き出たかたちにするのか「考えつづ
けること」。選択する材料も「考えつづけること」。ぶつかり合い
を上手に処理すると建築の納まりがきれいに仕上がったことになる。

 ものづくりを通じて「考えつづけること」は、突き詰めた判断を
いつも迫られる。沈黙は「何も考えないこと」、「わからない、で
きない」は「考えつづけること」のまえに「考えること」ができな
いということ。自己表現としての文章表現を「考えつづけること」
は「てにをは」から始まって文章の構成、句読点の打ち方、読み手
の息継ぎまで気になっていく。建築を「考えつづけること」はデイ
テールを浮き彫りにして生活表現を「考えること」。ものづくりを
通じて「考えつづけること」は、自分を磨き上げていくこと、自分
探し、自分を創ることだから面白い。


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2 コメント

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自動化 (五代裕作)
2005-03-09 18:08:21
すっかり忘れてしまったがどこかの哲学者が「自動化」という術語をあみだしていたが,本文中の意味とほぼ同様である。人間の人生は間断の無

い自動化の連続であるともいえるだろう。例えば自転車である。自転車に初めて乗る時は何度も転びながらやがて乗れるようになり次第に当たり前のように乗れるようになっていく。さくらももこ

の「ちびまるこちゃん」の中でまるこが自転車にはじめて乗れるようになる時に街の中で自転車に当たり前のようにのっている人達を見てしみじみ感動する,という場面があったが,とにかくそういったことの繰り返しであろう。同時に人間の行動や思考も自動化するというのはたしかにそうである。学校への入学や入社,結婚など人生には様々な転機とも呼ぶべきものがあって最初は必死だし,全てが新鮮であるが,やがてあらゆるものが日々の繰り返しの中に埋没することとなる。その場所での価値観を当たり前のものとして受け入れてしまう。とはいえ常識や価値観に対するアンチテーゼとして奇抜さを気取って見たり,いきがっている人々もいたりして目も当てられないことになっていたりする。極端なイデオロギーに傾倒する余り思考の柔軟性を完全に失っている人もいる。また職人のように日々同様な仕事をしながらもあまりのせんれんされた手つきに見ていて感動するような人も多い。ただ異なる生き方をしている人と接することや多くの本に接することが悪しき自動化をまぬかれる一つの有力な手段であることは確かなことだと思う。

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オートマティズム (さかなの眼)
2005-03-09 18:16:22
自動化とはまさにその通りです。いつもコメントありがとうございます。又新たに思考できます。
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