ステージおきたま

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クリント・イーストウッドの吹き替え?そりゃご勘弁!

2015-02-28 09:56:17 | アート・文化
 クリント・イーストウッドの『マディソン郡の橋』を見た。20分でチャンネルを替えた。

 理由、導入部分がたるい!不倫相手の母親がいかにも不倫待ちって感じでげんなり。クリント・イーストウッドのカメラマンが登場して、あっ、もうダメ!吹き替えの声が、違う!あの深みがあってどこか憂いのあるクリント・イーストウッドの声と違い過ぎる。いかにも不倫しそうな平々凡々の声!見るに堪えない?聞くに堪えない!

 いっつも考えてたことなんだけど、最近やたら吹き替え、多すぎないか?民放が流す外国映画はほぼ吹き替え版だし、映画館での上映でも必ず吹き替え版と同時上映だ。なんの映画だったか忘れたが、3Dも普通版、なんて言うんだ?どっちも吹き替えで、山形まで行かないと字幕版が見られないなんてこともあって、ひたすら驚き呆れ、そして嘆いた。

 吹き替え罪悪論を展開するつもりはない。吹き替え大いに結構って映画もある。『マディソン郡の橋』の前後に見た『ミスター&ミセス・スミス』(監督:ダグ・リーマン)なんかは吹き替えで大いに楽しんだ。ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが別組織の殺し役でそれを知らずに結婚し、組織の命令でお互い命を狙い合う、なんて突拍子もない設定の映画だ。二人の声、もっと魅力的だよなとは感じつつも、こういうハチャメチャアクションなら許せる。勝手!だって、映画の命がスピード、スリル、サスペンスの3Sだもの、声の違いなんて気にしちゃいられねえ。

 だけど、『マディソン郡の橋』となると、そうはいかない。男と女の機微に触れる話しだからねぇ。じっくりと俳優の生声で楽しみたいんだよ。違うぞ!その声、なんて違和感感じてたら主人公たちの心の襞に入り込めないじゃないか。

 それと、声の違いてのは、俳優当人と違うってことだけじゃなく、声質には国民性があるってことも大きい。そう、ある意味、こっちの方が問題かもしれない。日本人には日本人の体があり、その体から発せられる音がある。欧米人とも違えばアジアの人たちとも異なる。さらに、日本語には日本語のリズムや音感があって、目をつぶって聞けばありありと日本人の顔、身体、仕草、表情、さらには背景までが浮かんでくる。文芸作品とか芸術作品って部類に入る映画ではこの身体性、文化性がどうしたって大切なんだ。

 そうまで言うなら字幕だっていい加減だろ?ってつっこみはまあ、あるだろうな。できれば、字幕なんて翻訳家の頭通さず、その国の言葉で理解したい。でも、それ無理だから、僕の場合。字幕製作に携わる人たちにはせいぜい力付けてもらって、原作の意図やニュアンス生かしつつ、日本語としてもこなれた字幕作ってもらいたいと思う。なんて、金出して映画みない人間が偉そうに要求するな。

 ということで、NHKBSの外国語映画放送はとってもとっても貴重だ。吹き替えを求める安易でお気楽な視聴者に抗して、字幕版放送の孤城をどこまでも守ってほしい。特に金曜の夜11時過ぎから始まる映画番組は、こんな地味なの日本で見る人いんのか?ってくらいじっくりと落ち着いた作品選択で、この喧噪と猥雑な今時社会に涼風を吹き込んでくれている。これもぜひぜひ続けて欲しい。

 あっ、NHKBSなら金払ってんだった。要求する!でいいんだった。
コメント
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