ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

終わってみれば欲が出る!『見よ、飛行機の高く飛べるを』

2011-06-27 21:49:00 | 教育

 相変わらずの右往左往、ぎりぎりセーフの本番だった。

 今回は、とりあえずゲネはできた。ただし、2日にまたがってね。ともかく僕は演技の指導で目一杯、顧問Nは木の完成目指して精一杯。照明も音響もぎりぎりまで全体がつかめないって有様。ピンなんて、機械さわったのがゲネプロ直前、打ち合わせ終えたのもゲネプロ直前。こりゃ当たりを外しまくるのも当然ってもんだ。

 本番当日午前の最後の稽古は、ゲネの続きと音響・照明・ピンのチェックに充てて終了。果たしてこんなもんで大丈夫なのか?ひやひやどきどきの昼の部となった。

 その緊張感が強かったせいか、随所で感激してしまった。そう、涙をこらえられなかった。この涙は劇を見ての涙なのか?上手く行っていることへの感謝の涙なのか?どちらとも言えない。ともかく中盤から最後まで感動のしっぱなしだった。観客も総じて共感的で、笑いも多く、暖かく受け止めてくれているのが伝わってきた。拍手も強くいつまでも続いた。よかった。ここまで何もかも犠牲にして頑張ってきた部員たちの努力が報われたと感じた。アンケートを書く人も沢山いて、客出しは活気に溢れていた。

 だからこそ、敢えてもう一つ上を目指して厳しいダメだしをした。ここ数年と違い、昼が上手く行ったので、昼の部がゲネ、夜が本番という緊張感がなくなっていた。下手をすると惰性に流れるかもしれないと恐れたからだ。部員たちもせっかくの二回公演を大切にしようと、一人一人それを真剣に受け止めて夜の部に備えていた。

 そして夜の部、観客は昼の部の1/3程度。少ない。寂しい。しかもすべて大人。盛り上がらない。部員たちも拍子抜けしたのかもしれない。反応の無さにとまどったのかも知れない。昼の部を超える出来にはならなかった。ミスは一ヶ所だけ手堅い舞台を作ってくれはしたが、どこかはじける部分の足りない芝居になってしまった。どんなに発破をかけたところで、やはり稽古でできたところまでしかできない、という昔からの鉄則を思い知らされただけだった。

 ああ、ここは顔の向きはこうだ、そのせりふは違う、そこはこうさせればよかった、残念な思いばかりが浮かんできた。やっぱり稽古不足ってことだな。よくぞここまでとの思いも強いのだが、もっと出来たとの悔いもかすかに残る夜の部だった。

 とは言え、生徒たちはとことん頑張ったと思う。自分の力を出し切ったと思う。上級生も1年生もこの公演で大きく成長できた。これまでの置農演劇部定期公演のレベルを間違いなく押し上げてくれたと思う。キャストも稽古を積み上げるごとに上達して行ったし、スタッフは土壇場で見事に重圧を押し返してくれた。ピンの1年生も見事にやってのけた。

 終演後片づけに入ったのが9時15分。ともかくばらしにばらし外に運び出した。プラザから退館して10時30分。土砂降りの雨にずぶぬれになりながらトラックは4回、学校との間を往復した。20枚ものパネルと大道具、小道具、衣装、すべて部室に運びこめたときには11時30分を回っていた。誰一人いやがる風をみせることなくぐっしょりとなって働いた。公演成功の高揚感ばかりではない。ここにも一人一人の成長を見ることができた。

 さて、公演を成功に導いたのは部員たちの頑張りばかりではない。それを支えてくれた人たちの力が実に大きい。まず、舞台を明治の風に仕上げられた何よりの要因は、女子の髪型だ。前髪も横髪もぎりぎり伸ばして小顔を目指す今の少女たち。その髪をすべて結い上げて顔をしかりと見せてくれたのはさゆり美容室の黒澤とし子先生とそのお弟子さんだった。なんと当日は朝の7時からフル回転で10人の髪型を整えてくださった。さらに本番中も最初から最後まで楽屋に詰めて、手直しを続けてくれた。まったくあり得ないご厚意だ。

 さらに吹奏楽部には各種の音録りに協力してもらった挙げ句、受付までしてもらった。これまた本当にありがたく感謝、感謝だ。チラシの新聞折り込みを無料で引き受けてくれた今野新聞店さん。袴を貸してくれた菜の花座。何人もの方々からカンパや差し入れを沢山いただいた。こんな地域や仲間たちの支えがあってこの公演の成功があった。部員ともども忘れまいと思う。ありがとう。この成功、3年生は一生の宝となることだろう。

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コメント (2)
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