緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

独り身。

2023-07-13 | 人生観
  身内が亡くなる事で、縁というのが何を教えて何を伝えてという話をしていましたが。
その中でも夫婦の縁は濃く奥深いです。
簡単だけど難しい。
好きで好きで結婚していると思っているけど、
真実は自分の人生においての大きな学びの課題を共に共有するという縁。
神様の導きによってだけど、最後は自分が決めるという。
それを儀式までして約束して契約を交わして添い遂げようと。

「病める時も健やかなる時も富める時も貧しき時もいかなる時も敬い悲しみお互いを愛する」こんな事を誓約して家族を築き始める。
凄い誓いですよね。

途中は多々色々様々です。
命も人生も個人のものだけど、それを共有契約です。
お互い様で、それぞれが成長しますし、共有しながら共に成長もしようという。
我(エゴ)も、認め合い理解しあうところまでです。
さらけ出し、揺さぶり合いながらでも愛をもってという事です。
凄いですね結婚って (^^;)

婚姻制度が決まった昔から今まででもそんな覚悟して結婚した人ってどれだけいるんでしょうね (^^;)

そしてその中でもそのパートナーが亡くなるという事に関連して、
というより、結婚してから独身に返り咲く時。
結婚せずに生涯独身でいる事。

私はいずれにせよ個人の人生は個人のものだと思っていて
もちろん奥では魂で繋がっているという根底を持っていますが。
というより、人生の中でそういう哲学に行きついたわけですが。

母親のお腹から産まれて、生きて死ぬまでを通して、
本来は全て自分(個人・独り身)の人生。
どんな縁があって、どんな縁に結びついて、縁がほどけるか。
人世の終焉に向かいどんな独り身を飾るか。
全てを通してどんな花に咲き、どうやって散り行くか。

結婚後年老いて男性が独り身になる、
結婚後年老いて女性が独り身になる、
結婚半ばで男性が独り身になる、
結婚半ばで女性が独り身になる、
結婚を選択せず男女ともに独り身でいる、
離婚して男性が独り身になる、
離婚して女性が独り身になる、
こんな状況になるのは一般的で普通だと思うけど、

昔なら「女性が年老いて夫に先立たれ未亡人になる」なんて言うと凄いドラマにもなるような不幸な出来事だと言われてきました。

少し時代が進むと、年老いて男性が先に亡くなると、妻はやっと解放された水を得た魚のように人生を謳歌するといわれ。

妻に先立たれた年老いた夫は何もできず惨めに生涯を暮らすとか、妻の後を追うようにすぐに亡くなるとか言われ。
今まで相手にゆだね過ぎた、依存し過ぎた……となると、それからも解放されるのです。

好きに言うてくれ!!と世の中にいらん意識や価値観が飛び交う!!
大きなお世話やと (^^;)

こういう状況の中でまさに中心に居合わせている人は、その状況に真剣に向き合い悩み考え選択し苦労もだけど決断している訳で。
まさに自分の人生を考える機会となっているただの出来事で。

それをどう思うかどう思われるかで変わるだけで。
普通に人生を通してと考えると本来はずっと独り身。

縁をどうこなして行くだけが人生なのかなって思います。

先日の友達のご主人の訃報の時もですが。
病めるときも健やかなる時も富める時も貧しき時もずっと夫婦は向き合っている。
その時にお互いが敬い愛し合っているかというと結構難しい問題課題満載なのです。

最終夫が先に病気で亡くなったかも知れないけど、
そして周りは大変やったね、寂しいね、あんな優しい旦那さん、あんな良い旦那さん、あんなに働き者の旦那さん、
そんな風に旦那さんは英雄のように讃えられ次の世へ行きます。
もちろん傍から見ればそんな旦那様、友達の旦那さんもホントに良い旦那さん。
でも途中頑張って向き合った奥さんは影の主役 (^^;)

どちらでもですが、
死別って、讃えられ褒められって良かったりしますね。
本当の苦労なんか誰にも認められなかったり分かってもらえなかったり。
そこには影の存在や主役というのがあるのに。

離婚なら……、
あんなに良い旦那さんだったのにとか、あの奥さんだからかとか、
理由も本当の事も分からず良いように詮索される。
奥さんとか旦那さんという固定概念とか観念で決めつけられる。

結婚という縁も必ず陰陽という縁でもあって、
敬い讃えあい愛し合う共有する人生である

日向の役割も在れば日陰の役割もある。
それはどちらが正しいとか間違いとかではなく
共有の学びと気づきだけであり、
光の役割は影の部分を照らし表に出し、
日陰の役割は光の存在を表に出す。

どちらがあっても無くてもじゃなく、どちらも必要。
そんな愛を結婚したことで学ぶんだと思うんです。

それを学んだなら独り身も良いんでしょう。
死別でも離婚でも未婚でもです。
独り身になって人生を謳歌して終焉へ向かえば良いんだと。
愛を学ぶため。光と影を学ぶため。

人世は最初からいつでも独り身。
どうやったら独り身の人生を光と陰で埋められるか。




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