アーカイブ『市民派アート活動の軌跡』

「アートNPO推進ネットワーク通信」
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挨拶 我が絵画コレクション人生


2016年04月06日 | YTアートコレクション
『好きな絵に囲まれ思索する至福のひととき』



 「私は今、書斎&サロンで、マーラーを聴きながら読書している。流れる曲はルキノ・ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』でも使われた交響曲5番第4楽章“アダージョ”である。好きな絵に囲まれ、珈琲を飲みながら思索する。最高に贅沢なひと時だ。

 コレクション人生も30年を超える。何故絵など買うようになったのだろう。昭和40年代前半に損保業界に入り、高度経済成長時代を生きてきた。仕事は充実感もあり、概ね満足できる会社人生であったが、もう一つの自分の世界を築き上げたい願望を常に心の隅に感じていた。そんな時、ブリヂストン美術館でルオーの『郊外のキリスト』を見て感動、それからである、私のルオー探索と現代美術コレクションが始まったのは・・。

 特にコレクション哲学などという立派なものはないが、私にとっての美術品コレクションは一言で言うなら、“心の贅沢と知的な冒険”ということになるだろうか。芸術とは崇高かつ難しいものである。西洋の古典絵画について言うなら、ヨーロッパの歴史観やキリスト教に関する知識は必須であり、学ぶことも重要である。一方、現代美術は作家自身の生き様の表出であり、作品鑑賞には人間理解や想像力、時代認識が必要である。

 つまり、私にとっての絵画コレクションとは“人生探求の旅”なのかも知れない。私は表面的な美しさより、知的で深い精神性を感じさせる絵に魅かれる。絵の見方も、目に見えるものを見るというより、絵全体を包む空気を感じたり、作家の思いを読み取ったりすることを楽しみにしている。ジャコメッティの彫刻に漂う空気感に魅かれ、長谷川等伯の『松林図屏風』やリ・ウーハンの作品に余白の美しさを感じる。“絵は見るものではなく、読むもの”だと思っている。“絵を読む”とは“思索すること”、もっと言うなら、“本当の自分と向き合うこと”であり、“人間や人生について考えること”に他ならない。(山下透)  


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