アーカイブ『市民派アート活動の軌跡』

「アートNPO推進ネットワーク通信」
小冊子「アート市民たち」

3『絵はぼくを思索に誘う』(AS会誌掲載)

2016年04月06日 | YTアートコレクション
3、砂丘館に溶け込むコレクション作品たち  

 会期が始まって三日目の二五日(土)はギャラリートークの日、あらためて砂丘館全体と我がコレクション作品をじっくり鑑賞することとした。砂丘館はその名の通り新潟砂丘の上にある。明治以後お屋敷町として開発されたこの界隈には、今も幾つか洋館などが残りハイカラな雰囲気を漂わせている。門を入ると車寄せの前庭には立派な枝ぶりの百日紅があり、左手のカーブを描く縁石の脇には地元作家の陶オブジェがどっしりと置かれている。純和風の正面玄関の脇には、『絵は僕を思索に誘う・・山下透コレクション』の看板が立つ。ちょっと気恥かしくもあるが、しみじみ嬉しさがこみ上げる。

 この玄関から三和土に上がり、靴を脱いで左手に入ると、この館の主が訪問客と応対したであろう、ゆったりとした洋間の応接室がある。ここには、まず、岡村桂三郎の夢を喰う中国の想像上の動物「獏」を描いた作品と、集治千晶のニューメキシコの底抜けに明るいお墓をイメージした版画「ハッピー・セメタリー」が掛けられている。「獏」は焼け焦がしたボードに岩絵の具で描いた作品であるが、壁にしっくり納まっている。この応接室の奥には砂丘館の受付を兼ねた書斎があり、草間彌生の油彩「かぼちゃ」と初期版画「靴を履いて野に行こう」が並ぶ。不思議なことに、その古い壁に黒と黄色が鮮烈な「かぼちゃ」の油彩、桃色や緑色・紫色といった極彩色の版画作品が違和感なく溶け込んでいる。ここから奥には幾つもの和室が続くが、すぐ右手の控えの間には、李禹煥の和紙に墨の現代美術「島より」と、戦後の日本人作家として世界の舞台で活躍した第一人者菅井汲の初期版画「果てしない探究」が掛けられている。

 ここから廊下を進んだ左手は和風庭園を前にした二十畳近い座敷であるが、ここはさながらコンテンポラリーアートの部屋といった趣である。まず目にはいるのが、床の間に飾られた李禹煥の油彩「コレスポンデンス(照応)」と、その手前に置かれた流政之の石彫「もどりバチ」である。「照応」は仏・独などヨーロッパを中心に活躍する “もの派 ”作家李禹煥の照応シリーズの初期作品であるが、静寂かつ力強い墨のストロークが床の間の空間に浮いて、余白の美をかたち作っている。そして、NY貿易センタービルのシンボルとして制作した「雲の砦」で国際的評価を得た流政之の石彫「もどりバチ」が屹立している。これは女性のふとももの間の空間を実体化した影の彫刻でもあるが、凛とした姿の何と美しいことか。

 そして、この部屋中央には、日本のアクションペインティングの先駆け、白髪一雄の画面いっぱいに絵の具が渦巻く油彩小品と、戦後の混沌の時代を生きた山田正亮の精神的な彷徨の中から生み出されたストライプ作品が向き合って並ぶ。山田作品の横縞のラインと、左手のよしず戸のすだれ部分が共鳴し合って面白い。部屋の奥の壁には、濃い群青の色彩の中から幾何学的形状が浮き上がる小野木学の美しい抽象「ランドスケープ」が掛けられている。右隣の茶の間を飾るのは、見る者を神話的世界に引きずり込む山口啓介の大型版画「胞子を蒔く船」と浜田知明の風化する街を描いた「ある風景」である。そして、廊下突き当たりの奥座敷の床の間には、軽妙で洒脱な線とフォルムが粋な松田正平の臥牛に跨る明王を描いた「大威徳明王」と、岸田淳平の墨・染料・岩絵の具で愁いを含んだ女を描いた「マリオネット」、次の間には、上野泰郎の現代のイコン「よき訪れ」が飾られている。



 不思議なことに、どの作品も砂丘館の雰囲気に溶け込んで、李禹煥などの抽象作品も和室の床の間にしっくり収まっている。多分、ここを訪ねる鑑賞者の目に入るのはまず建物であり、蔵の梁であり、部屋の佇まいであって、その上で空間と一体になった作品を見ることになる。だから、ここでの作品鑑賞は、作品一点一点の善し悪しだけではなく、作品を包む空気・空間を一緒に楽しむことに意味があるのだと思う。しかも、この砂丘館はまさに生活空間そのもの、美術館や画廊のようなスペースで畏まって鑑賞するのと違って、居間や座敷といった日常生活空間の中で美術を体験できるところに価値があるのである。


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