TAOコンサル『市民派アートコレクターズクラブ』

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インド人からのお礼のサリー、をいただく

2012年08月08日 | 私の数寄な一点展
 

 私の初めての海外旅行はインド。20数年前のことになります。町を歩けば、向こうからゾウがやってくるし、牛ともすれ違う。足元には牛の落とし物、天からは鳩の落とし物。そんな中、行き交うインド人たちの美しいこと、怪しいこと。まとっている衣服の面白いこと、興味深いこと。お土産として買わない手はありません。けれども、サリーを持ち帰って日本で着る機会などないだろな。そんな現実的思考に従った私は、パンジャビドレスを購入。上下バラバラで着用すれば、インドの民族衣装だなんて分かりません。のちに、ちゃっかり会社にまで着ていったのでありました。
 けれども、ときどきサリー姿のインド人とすれ違うと、こう思ったりもするのです。1着現地で仕立てておいてもよかったかもね。なので、KSさんからの思いがけない言葉に歓喜したのは言うまでもありません。「昔お世話したインド人の方からお礼にいただいたサリーがあるの。ずっと仕舞い込んであるのだけど、もらってくださらない」。しっぽフリフリ状態な私。
 つい先日、そのサリーをいただきました。ほんのり紫に傾いたようなセロリアンブルーのシルク素材。そこに配されたとても繊細な銀糸の刺繍。刺繍は3種類。両耳に帯のような刺繍、ところどころにアクセント的な刺繍、1メートルぐらいの幅で両耳いっぱいに広がる刺繍。おそらく1メートル幅の刺繍が、サリーを巻いた時に最後にふわりと肩から垂らして見せる部分になるのではないでしょうか。サリーならではの刺繍の配置にちがいないと見入ってしまいます。というきちんと考えられた刺繍のバランスを無下にすることなどできはしません。巻きスカートやスカーフに仕立てるのもありかなという、私の頭の中にぼんやりと浮かんでいたアイデアの、なんと無礼千万なこと。これらには静かに後ずさりし頭の中から退室いただいたのでした。
 これはフォーマル用のサリーということで、ボレロのような上着もセット。ちゃんと袖口にも、刺繍がぐるりと囲むように仕立てられています。ボタンはなし。生地にボタンホールなどないところがいいです。代わりに、糸で作ったループに小さなフックをひっかけて身頃の前を閉じるようになってます。ボレロの丸い立体的なラインは、KSさんの採寸に合わせたもの。一点一点の手作業をじんわり感じさせてくれます。
 いっぽう、本体(?)のサリー。こちらは5、6メートルほどの長~い生地。一切、切ったり縫ったりという箇所がありません。約4500年前のインダス文明までたどることのできる、世界最古の民族衣服らしさに頷くばかり。この長~い歴史の間、長~い生地のまま、姿形を加工されることなく今に伝わってきただなんて。シンプルなだけにバリエーションが楽しめるところがすでに完成形を成していて、進化する必要などなかったのかもしれません。着方としては、まずは下半身に巻きスカートのように巻き付けてから上半身へと被せる、という流れ。巻き方はいろいろあるそうです。地域により10以上。この、自在に形をつくれるところが、日本の民族衣装である、きものの帯を結ぶ表現に、どこか通じている気がしてなりません。
 もちろん、このサリー、眺めているだけではかわいそう。その昔、現実的に考えて「サリーは日本で着る機会がない」とパンジャビドレスを選んだ私。あれから20年あまり経過して、こう思うわけです。「着る機会がない」のなら「着る機会をつくってしまえ」。インド人とお友達になるか、インドに再び赴くか。そういえば、20年うん年前に一緒にインドに旅して、鮮やかなピンク色のサリーを買い、インドで着たまま成田空港に到着し、自宅へと堂々帰った友達が1人だけいました!記憶が急に蘇ります!イナジョー(彼女のあだ名)、いまどこにいるのかな。

 KSさん、本当にありがとうございます。なんとか着こなした姿をお見せしたいと思っています。しばしお待ちくださいませ。(山本理絵)


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